歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

賀川豊彦再発見

2021-08-01 |  宗教 Religion
賀川豊彦再発見ー滝澤克己協会での講演「無者の福音と宗教間対話ー延原時行先生を追悼して」の準備をしているときに、賀川豊彦の「目的論的宇宙論」と「キリスト教的な友愛の政治経済学」が、晩年の延原先生の思想に及ぼした影響、とくにホワイトヘッドの宇宙論と社会論と賀川の思想との親和性に驚いたのが私にとっての賀川豊彦再発見であった。
 賀川豊彦は、1936年に米国のロチェスター大学で Brotherhood Economicsと題する講演を行ったが、それは次のような言葉から始まっている。
「現代の貧乏は、無い故の貧乏ではない。 有り余る為の貧乏である。 過剰生産と、 過剰機械と、過剰労力と、過剰知識階級の悩み である。 無いからでは ない。 有り余って困っているのである。   しかも、 富は少数者に集中し、社会の大衆は失業と、生活不安と、従属性と不信用の世界に蹴落され、永遠に浮び上がり 得 ない 喚叫の声を放っている。 自由放任の市場は、 たちまち修羅の巷 と代わり、幾千万の失業者 は、食糧倉庫を前に見ながら 飢えて いる。」
 この講演の五年後に生まれたバニー・サンダース上院議員が現在の米国の極端な貧富格差の是正を訴えた言葉だといっても通用するような印象的な書き出しである。
 自由主義の資本主義経済の矛盾を指摘しつつも、ソビエトロシアの暴力革命によって生まれた抑圧的なシステムにかわる政治経済学をキリスト教的な「友愛」を基盤とする「協同組合のシステム」にもとめた賀川の講義は日本よりも欧米の聴衆を引きつけた。 この講義は同年末、 ニューヨーク の ハー パー社から 直ちに出版 され て、十数 ケ国 語に翻訳され、 注目された名著であったが、 なぜか、 日本では出版さ れ ず、 2008年 の 賀川豊彦献身100年記念事業の一環 として『友愛の政治経済学』としてようやく日本語版が読めるようになった。(英語版、日本語版ともにKindle で読める)
 キリスト教社会主義は、ロシア革命以後の日本ではマルクス主義者によって「空想的社会主義」として一蹴され、社会的な影響力を持ち得なかったが、ソ連邦の崩壊によって、はたしてどちらが現実的で、どちらが空想的であったかがあらためて問われねばならないであろう。
 私は、社会運動家としての賀川だけでなく、その多面的にして創造的な活動の凡てを統合する中心が何であったにも関心がある。 
 『神はわが牧者ー賀川豊彦の生涯とその事業』(田中芳三編著、<イエスの友会>大阪支部、クリスチャン・グラフ社、1960)のなかに、1925年「六甲山<イエスの友会>大阪支部、同京都支部連合修養会の記念写真とともに、「<イエスの友の会>の五綱領」が掲載されている。
 <イエスの友の会>という言葉に私は引きつけられた。
賀川の云う「イエスの友の会」の五綱領とは次のようなものである。
 一、イエスにありて敬虔なること
 一、貧しき者の友となりて労働を愛すること
 一、世界平和のために努力すること
 一、純潔なる生活を貴ぶこと
 一、社会奉仕を旨とすること
 この、<イエスの友会>の五つの基本方針は、プロテスタントやカトリックというごとき宗派の区別や文化と時代背景の相違を超えたキリスト教の基本精神を要約するものではないだろうか。
 賀川はプロテスタントであるが、カトリックの伝統を受け継いだイグナチウス・ロヨラの<イエズス会>の根本精神と実践的な諸活動にも通底するものと思う。
 田中芳三氏の貴重な編著は
「大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつく者の大部分は賀川豊彦に源を発していると云っても過言ではない」
という評論家大宅壮一の言葉をはじめとして、
「伝道」、「文書」、「教育」、「労働」、「平和」、「純潔」、「奉仕」などの各項目にわたって、賀川を直接に知っていた80名近い人々の証言が収録されている労作であった。
 賀川豊彦の生涯を妻ハルの視点からたどり直した『わが妻恋いしー賀川豊彦の妻ハルの生涯』を書いた加藤重氏、賀川の影響で開拓伝道をされ「賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題」を書かれた鳥飼慶陽氏、「賀川豊彦傳」を書かれた三久忠志氏、等々、先人の書き残してくれた記録を読めば読むほど、賀川豊彦の「友愛の政治経済学」は、エリートの知識人や政治家が説く「友愛政治」のような生やさしいものではなく、文字通り「死線を越えた」命がけの仕事であったことが分かった。
 昔流に云えば、賀川は、「福者(主に祝福された人)」となり「聖人」にも列せられたであろう。しかし、私は、そういう外的な顕彰ではなくて、多彩な活動の中心にあって人々を引きつけてやまない「詩人」としての賀川豊彦に注目したい。賀川豊彦の書く「詩と真実」は、旧訳聖書の詩篇やヨブ記、福音書の「詩劇」使徒書簡の「証し」に由来する魂の詩であり、概念的な神学を超える普遍性を持っているからである。
 かつて与謝野晶子は、賀川の詩集「涙の二等分」を評して
「この詩集が、あらゆる家庭に、教場に、事務室に、工場に、ないし街頭においても読まれることを祈ります。太陽が何人をも暖めるように、香川さんの詩は愛と平和のなかに何人をも率直に還します」
と云ったが、私もまた良寛や宮沢賢治につづく人道主義者、宗教詩人としての賀川豊彦に限りなく惹かれる。

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