歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

芭蕉俳諧七部集より「冬の日」評釈

2005-02-23 | 美学 Aesthetics
芭蕉俳諧七部集 冬の日 より 「こがらし」の卷

笠は長途の雨にほころび、帋衣はとまりとまりのあらしにもめたり。侘つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂哥の才士、此國にたどりし事を、不圖おもひ出て申侍る。

狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉    芭蕉
発句 冬―人倫(竹齋・身)―旅
「狂句こがらしの身」は、風狂の人芭蕉の自画像であろう。「狂」は「ものぐるひ」であるが、世阿弥によれば、それは「第一の面白尽くの藝能」であり、「狂ふ所を花にあてて、心をいれて狂へば、感も面白き見所もさだめてあるべし」とされる。「こがらし」は、「身を焦がす」の含意があるので、和歌の世界では「消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露(定家・新古今集)」のような「恋歌」がある。芭蕉はそれを「狂句」に「身を焦がす」という意味の俳諧に転じている。さらに「木枯らし」で冬の季語となるが、同時に、「無用にも思ひしものを薮医者(くすし)花咲く木々を枯らす竹齋」という仮名草紙「竹齋」の狂歌をふまえつつ、名古屋の連衆への挨拶とした。

たそやとばしるかさの山茶花(さんざか)    野水
脇 冬―人倫(誰)―植物(うゑもの)―旅
「とばしる」は元来、水が「迸(ほとばし)る」の意味で、威勢の良い言葉。芭蕉を迎え新しい俳諧の實驗を行おうとしていた名古屋の若い連衆の心意気を感じる。「旅笠」に山茶花の吹き散る様を客人の芭蕉の「風流」な姿に擬して詠み、「風狂」の人である芭蕉に花を添えたと見たい。
有明の主水(もんど)に酒屋つくらせて  荷兮
第三 秋―月(光物)―夜分―居所
第三は、冬から秋へと転じ、有明の月を詠んだ。前句の「とばしる」は水に縁があることばであり、「たそや(誰か)」という問に「主水(元々は宮中の水を司る役人、のちに人名として使われる)」で応じた。俳諧式目では、人倫の句は普通は二句までであるが、役職名は人倫から除外される。なお、この歌仙の詠まれた貞享元年は新しい暦が採用された年であるが、その暦を作った安井算哲の天文書によると、「主水星」とは水星のことである。秋、新酒をつくるために、有明の月の残る黎明、主水星のみえるころに、酒の仕込みをはじめる圖。客人である芭蕉に、まず「一献」というニュアンスもあるかも知れない。

かしらの露をふるふあかむま    重五
表四 秋―降物(露)―動物(うごきもの 赤馬)
和歌の世界では、月と露の取り合わせはあるが、そこでは「秋の露や袂にいたく結ぶらむ長き夜飽かず宿る月かな(後鳥羽院)」のように「涙の露」という意味になることが多い。ここでは、そういうしめやかな情念ではなく、おそらく、荷駄に新酒を積んだ赤馬を出したのであろう。露は、おそらく「甘露」の意味をこめて、新酒の香にむせている圖としたほうが俳諧的である。
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき  杜國
表五 秋―植物
前句の露は赤馬(朝鮮馬)にかかるが、ここではそれを「朝鮮のほそりすすき」に転換し、(酒の)匂いを消すと同時に、時刻を早朝から昼へ転じている。
日のちりちりに野に米を苅    正平
表六 秋―光物(日)―植物
作者の正平は執筆(書記係)で、この句のみ詠んでいる。
日の「ちりちり」は夕刻を表す。前句の侘びしい感じを受けているので、豊かな収穫を連想させる「稲を苅る」ではなく、僅かに残った作物を求めて「米を苅る」としたか。
わがいほは鷺にやどかすあたりにて    野水
初裏一 雑―居所(庵)―人倫(我)―動物
「わが庵は」はおそらく、「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人は云ふなり」のパロディーであろう。「しかぞ(然ぞ)」→「鹿ぞ」の誤読をもういちど転じて、「鷺」という異生類をだしたか。辺鄙なところにある仮庵を表す。発句で亭主役を脇を勤めた野水が初裏の初句を詠み、それに客人の芭蕉が続けるという趣向になっている。
髮はやすまをしのぶ身のほど    芭蕉
初裏二 雑―恋(しのぶ)―人倫(身)
鷺(尼鷺)から、恋に転じた付句。
なにか恋愛事件が原因で還俗した人の世を忍ぶ仮庵住まいを思わせる。 それと同時に、野ざらし紀行の旅を終えて、尾張の野水の家に逗留している芭蕉が、自分を還俗の修行者になぞらえて詠んだともとれる。
いつはりのつらしと乳をしぼりすて    重五
初裏三 雑―恋
前句の「人」を、不実な相手に捨てられ、子供も奪われた女性と見定めて付けた句。「いつはり」や「つらし」は、連歌の恋の句に頻出する常套句であるが、「乳をしぼりすて」は俳諧でないとあり得ない即物的表現。
きえぬそとばにすごすごとなく    荷兮
初裏四 雑―釈教(卒塔婆)
前句の「いつはり」を恋人の不実ではなく、この世の儚さ、虚仮の世間の意味にとりなして、子供の死を悼んで嘆く母親として付けた句。「きえぬ卒塔婆」とは、卒塔婆の文字も墨跡がきえていないこと。
影法のあかつきさむく火を燒(たき)て    芭蕉
初裏五 冬―夜分(暁)
卒塔婆を死者の影法師ととりなして付けた。
あるじはひんにたえし虚家(からいへ)    杜國
初裏六 雑―居所―人倫(あるじ)
前句の場を、貧しさ故に断絶し、一家離散したあき家と定めた。
田中なるこまんが柳落るころ    荷兮
初裏七 秋(柳落つ)―植物―人倫
「小万が柳」は、はっきりとした典拠があると言うよりは、「小万」という名前の遊女にちなんだ物語を漠然と詠みこんだものらしい。月をそろそろ出さねばならぬので、「散る柳」で秋としつつ、「散る」を「落る」に替えて、落魄の気分を出した。
霧にふね引人はちんばか    野水
初裏八 秋―降物―水辺―人倫
八句は月の定座であるが、ここは杜国に遠慮して杜国に月を譲り、月前の
月前の句とした。初めの月が、「引き上げられた下弦の月(有明の月)」であるので、次の月の句を、「引き下げられた上弦の月(夕月)」として詠んで欲しいという要請。舟をひくのは、「上り」へとむかう運動である。この辺のやりとりには、どんな種類の月を詠むか、誰に月を詠ませるかという遊びの要素がある。
たそがれを横にながむる月ほそし    杜國
初裏九 秋―月(光物)―夜分
黄昏時の細い三日月(上弦の月)で前句に応じたもの。川の流れに逆らって舟を曳く人の身体の屈伸を表しながら、その眼に三日月が映じたとしたもの。
となりさかしき町に下り居る    重五
初裏十 雑―居所
「隣りさかしき」は近所の口がうるさいの意であるから、この町は下町。前句の人を、宿下がりして実家に戻っている御殿女中などとみさだめたもの。夕暮れになってもすることもなく無聊をかこつ人のようである。
二の尼に近衞の花のさかりきく    野水
初裏十一(花の定座)春―花―人倫―釈教
平清盛の妻は剃髪して「二位の尼」とよばれたことから、おそらく「二の尼」とは身分の高い人が剃髪して尼となったのであろう。そのひとに、近衛公の邸宅の枝垂れ桜の様子を聴くという趣向。
蝶はむぐらにとばかり鼻かむ    芭蕉
初裏十二(綴目) 春―植物―動物
むぐらは八重むぐらで雑草。「鼻かむ」は涙を流すこと。宮中はすっかり荒れ果てて雑草が生い茂っていると云いつつさめざめと泣いたという意味。
のり物に簾透顏おぼろなる    重五
名残一(折立) 春(おぼろ)
前句の「八重むぐら」に花の面影を見て、簾越しにみる貴人の顔として付けた。、「朧月夜の君」との密会が露見して別離を余儀なくされた光源氏の面影付けか。
いまぞ恨の矢をはなつ声    荷兮
名残二 雑
前句まで女房文学的な情感が続いているので、戦記物のような男性的な調子に転換した付句。簾越しにおぼろに顔の見える人を仇敵とみて矢を放つとの意。
ぬす人の記念(かたみ)の松の吹おれて    芭蕉
名残表三 雑―植物―人倫
大盗賊にゆかりの松の木(美濃の国青野村の熊坂長範「物見の松」)の吹きおれている様を以て前句の戦闘が行われている場の書き割りとした。
しばし宗祇の名を付し水    杜國
名残裏四 雑―水辺―人倫
前句と同じく美濃の国郡上八幡にある「宗祇の忘れ水」という名の泉。名所旧跡を尋ねる旅人の心で付けた。「しばし」、は西行の「道の辺に清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ」も思わせる。露伴は「しばし、の一語はなはだ巧みなり。一切は仮現なり、大盗の松も山風に吹き折られ、詩僧の泉も田夫には打忘らる、此は世間の常態なり。ここに水に対し、かしこなる松を憶ふ、山深き美濃路の風情は言外に聞こゆ」と云っている。
笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨    荷兮
名残裏五 冬―降物―旅
宗祇の「世にふるはさらに時雨のやどりかな」という発句をふまえたもの。宗祇の後を慕い、風狂を演じて時雨に濡れていく人物の心意気を詠む。芭蕉の前書「笠は長途の雨にほころび」も承ける。
冬がれわけてひとり唐苣(たうちさ)    野水
名残裏六 冬―植物
前句の時雨に濡れることを厭わぬ風流人は、実は冬枯れの野に青菜を捜していたというパロディーに転換した句。目に見えるものはただ「たうちさ」ばかり。
しらじらと碎けしは人の骨か何    杜國
名残裏七 雑―人倫
この句自体は雑であるが、前句との繋がりでは、夏の間は生い茂る草によって隠されていた野ざらしの人骨のような白い物が、冬枯れの野に見えるという意味になる。「骨か何」はあえて断定せずに、次の人にそれが何であるかを決めて貰うという含みがある。
烏賊はゑびすの國のうらかた    重五
名残表八 雑―動物
前句の人骨のような白い物を「烏賊の甲」だといかにもありそうな話を捏造して、謎解き問答のように続けた。ここも、虚実とりまぜて、烏賊の甲は、ゑびすの国(未開の国)では占いに使う物だと詠んだ。
あはれさの謎にもとけし郭公    野水
名残表九 夏―動物
前句の謎を、当時読まれていた王昭君の物語を本説として解いた句。彼女は漢の光武帝の後宮で、戎(ゑびす)にもらわれる。その昭君を取り返すために,史実に名高い人物が、時代を超えて協力し活躍する,なかでも清貧の道者子良が,占星術や祈祷の呪術、知略によって,戎を屈服させるために中心的な役割を果たしている。和漢朗詠集に「王昭君」の題詠がありそこに、「あしびきの山がくれなるほととぎす聴く人もなき音のみぞ啼く(実方中将)」というように、郭公(ほととぎす)の歌があることをふまえる。郭公は、望郷の念を象徴している。
秋水一斗もりつくす夜ぞ    芭蕉
名残表十 秋―夜分―水辺
ここの「水」は水時計(漏刻)の意味。水時計の水が一斗も漏り尽くすほど長い秋の夜を、謎解きで過ごしてしまった、という意味。野水の付けを賞賛しつつ、王昭君の涙を、水時計から漏れる水になぞらえた。
日東の李白が坊に月を見て    重五
名残表十一(月の定座) 秋―月(光物)―夜分―人倫
日東は日本。日本の李白とも云うべき詩才を持った僧侶(石川丈山)を念頭においている。京都の詩仙堂には丈山が工夫を凝らした添水があったので、前句の秋水を承ける。また「一斗」からは当然、杜甫の飲中八仙歌「李白一斗詩百篇」を承ける。中国の李白は春夜桃李宴で酒盛りをし、日本の李白は秋の夜に月見をしながら酒を飲むという趣向。
巾(きん)に木槿をはさむ琵琶打    荷兮
名残裏十二 秋―植物―人倫
中国の故事に、飲中八仙の一人で鞨鼓の名手李爐が、紅い木槿を帽子に挟んで、鞨鼓を打っても、その花が下に落ちなかったとある。その鞨鼓を琵琶にかえおそらく平家物語を奏する琵琶法師のイメージをだしたのであろう。
うしの跡とぶらふ草の夕ぐれに    芭蕉
名残裏一 雑―動物―植物
前句の琵琶法師が、その背にいつものっていた牛の菩提をとむらうために草を手向けたとの意。連歌師の肖柏のような風流人がまた牛に乗っていたという繪が多く記されている。
箕(み)に鮗(このしろ)の魚をいたゞき    杜國
名残裏二 雑―動物
「とぶらふ人」を琵琶法師から、漁村の女性に読み替えた句。この女性は、竹籠に、安産祈願の神撰魚である鮗を入れて頭上に載せている女性。
わがいのりあけがたの星孕むべく    荷兮
名残裏三 雑―光物―夜分―人倫―恋(孕む)―神祇
西日本では、箕は不思議な重力を持つとされた農具で、嫁入りの当日に箕を嫁の頭上に置いたり、まだ子宝に恵まれぬ嫁に箕を送るという風習があった。また、越人が著した「俳諧冬日集木槿翁解」という古注では、当時流行していた説教節のなかの弘法大師の母の面影があるという。
けふはいもとのまゆかきにゆき    野水
名残裏四 雑―恋―人倫
嫁いだ妹がめでたく妊娠したので、眉掻き(眉を剃り落とす)の祝いにでかける姉を詠む。(結婚するとお歯黒をつけ、子供が授かると眉掻きをするのが当時の風習)
綾ひとへ居湯に志賀の花漉して    杜國
名残裏五(花の定座=匂いの花)春―花―衣類
居湯は、他の場所で沸かした湯を風呂桶に入れてはいるもの。志賀は山桜で名高い近江の歌枕。その桜の花が散り込まれた湯を綾絹で漉すという華やかなイメージ。前句の「いもと」がそのように大事にされているという心。
廊下は藤のかげつたふ也    重五
挙句  春―植物―居所
廊下に藤の花の影が伸びている晩春の気分をだして締めくくった。
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