4月24日に日本版が出版されたので読んだ。
エリック・クラプトンの凄まじい人生が描かれている。
1945年3月30日サリー州リプリーの小さな家の2階の奥の寝室で生まれた。2歳のとき実の母パトリシアは、エリックを残しリプリーを離れた。エリックが6、7歳のとき、母と父であるローズとジャック・クラップが実際には祖父母だったということを知る。1954年エリックが9歳の時、実の母親が突然現れた、パットに「おかあさんって呼んでもいいの?」と聞き、完全に拒絶された。その時の憎しみと怒りが、その後の人生を決定付ける…。
家族に対する不安と戸惑いを音楽で忘れることができるのを発見、全身全霊で音楽にのめり込んでいった。バディー・ホリー、チャック・ベリー、マディ・ウォーターズ、B.B.キング、ロバート・ジョンソンたち…。ザ・ルースターズでバンド活動が始まる、フレディ・キングの「アイ・ラヴ・ザ・ウーマン」をソロで弾く。クロウダディクラブの土曜の夜のレギュラーバンドだったローリング・ストーンズが急にアンドリュー・オールダムと契約したので、ジョルジオ・ゴメルスキーは代わりのバンドを探し、ヤードバーズと契約。1965年ブルースブレーカーズ、1966年クリーム。クリームは1966年ウィンザーでデビュー、チャス・チャンドラーが連れてきたジミ・ヘンドリックスの「キリング・フロアー」の演奏に衝撃を受ける。アメリカでアーメット・アーティガンによって、アレサ・フランクリンの歌う「ビー・アズ・グッド・トゥ・ミー・アズ・アイ・アム・トゥ・ユー」で演奏。ザ・バンドの最初のアルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」の素晴らしさに立ちすくんだと書いている。1968年ジョージ・ハリソンとの付き合い、9月にビートルズのレコードで演奏して欲しいと頼まれる「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。1969年ブラインド・フェイス結成、コンサートツアー、サポートバンドのデラニー&ボニーに魅せられる。デラニー&ボニーの後に出るのはきついこと、彼らの方が格段に上だと思っていた様だ。畏敬の念を持っていたカール・レイドル、ボビー・ホイットロック、ジム・ゴードンでデレク・アンド、ドミノズ結成。デュアン・オールマンとのレイラ。
アルコール、ドラッグ、SEX、全てにおいて中毒症状、母パトリシアへの恨みを晴らすために自分を傷つけ、愛する女性を傷つけ、捻じれ切った精神と退廃の極みのただれた生活。
ただ、音楽に対する純粋さだけが失われなかった。
そして、2001年、56歳でメリア・マッケナリー(25)とサリー州の教会で結婚式を挙げ、ようやく暖かな家族と共に“安息の地”を得た、前妻は1988年に離婚したパティ・ボイドだった。
この本を読むと、私が、ヤードバーズ、ブルースブレーカーズやクリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー、デレク・アンド・ドミノズ…同時代にレコードを聴いて、感動し感じ取ったことがクラプトン自身のその頃の気持ちにも通じていたように思える、それ程、全身全霊を掛けて魂の救いとして演奏していたのだと…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます