2014/5/10
「東海道53次歩き旅②旅行社主催『第3回街道をゆく』(大津宿~草津宿)」 東海道53次歩き旅
久しぶりに「東海道53次歩き旅」をしてきた。今日は比較的楽な行程(瀬田の唐橋~草津宿)であった。旧東海道を3月から歩き始めて、少しは「歩き旅」に慣れてきたらしい。
草津宿の本陣(大名などが宿泊するところ)は、見事な建物であった。草津宿は、中山道(中仙道)と東海道とが合流する宿である。追分(おいわけ=道が左右に分かれるところ)の道標も立派なものであった。
瀬田唐橋(橋の下をボートやカヌーが幾艘も通過していく。)
一里塚跡(東海道などに設置され、距離の目安となる木などがあった。一里=約4km。現在、都市部にはほとんど残っていない。「跡」が示されている程度なので、想像するしかない。)
立場とは、宿場と宿場の間にある「休憩場所」
東海道など、昔の街道は一般に、まっすぐではなくゆるやかなカーブの道が多い。道幅は、一車線道路ぐらいかな? ちなみに、昔の草津宿での道幅は6.3メートルだったとのことである。
野路一里塚跡
草津宿に入ってきた。江戸城を造った「太田道灌」の出身地であり、現在その一族が、太田酒造を経営している。清酒『道灌』の試飲ができるが、私は下戸なので、パス。
本陣 (大名や旗本、幕府役人、宮などの宿泊所) 原則として、一般人を泊めることは許されていなかった。大名などが宿泊する数日前には、幕が張られたとのこと。この日も、幕が張られていた。江戸時代にタイムスリップか?
本陣にもいろいろあるが、草津宿の本陣は立派だった!
見事な追分の道標である。
右=東海道いせ(伊勢)みち 左=中仙道みの(美濃)みち
草津宿の本陣(大名などが宿泊するところ)は、見事な建物であった。草津宿は、中山道(中仙道)と東海道とが合流する宿である。追分(おいわけ=道が左右に分かれるところ)の道標も立派なものであった。
瀬田唐橋(橋の下をボートやカヌーが幾艘も通過していく。)
一里塚跡(東海道などに設置され、距離の目安となる木などがあった。一里=約4km。現在、都市部にはほとんど残っていない。「跡」が示されている程度なので、想像するしかない。)
立場とは、宿場と宿場の間にある「休憩場所」
東海道など、昔の街道は一般に、まっすぐではなくゆるやかなカーブの道が多い。道幅は、一車線道路ぐらいかな? ちなみに、昔の草津宿での道幅は6.3メートルだったとのことである。
野路一里塚跡
草津宿に入ってきた。江戸城を造った「太田道灌」の出身地であり、現在その一族が、太田酒造を経営している。清酒『道灌』の試飲ができるが、私は下戸なので、パス。
本陣 (大名や旗本、幕府役人、宮などの宿泊所) 原則として、一般人を泊めることは許されていなかった。大名などが宿泊する数日前には、幕が張られたとのこと。この日も、幕が張られていた。江戸時代にタイムスリップか?
本陣にもいろいろあるが、草津宿の本陣は立派だった!
見事な追分の道標である。
右=東海道いせ(伊勢)みち 左=中仙道みの(美濃)みち
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