2021/6/1
「亡き友への思い」 つれづれ思うこと
6月1日。この日は亡き友人のことを思いだす日でもある。
大学時代、親しくしていた友人の一人、N君は2014年1月22日に亡くなった。そのころ、会う機会がなくなり、交流も途切れていた。
年賀状のやり取りぐらいの交流になっていた。彼が亡くなる、半年ぐらい前だったか(はっきりとは覚えていないが…)、JR大阪駅のホームでばったりと会ったことがあった。久しぶりだったので、びっくりした。
彼の方から「どこかで、お茶でも・・・」と誘ってくれたのだが、約束の用事があったので、時間がなく、「またの機会に・・・」と応答し、別れたのだった。
その時、会ったことが生前の彼と話をした最後になった。
彼の死亡は突然だったことを後日知ったのだった。彼は「心の病」が原因で亡くなったのだった。
同じ年(2014年)の6月1日に大学時代の友人たちと一緒に彼の家を訪問し、お参りさせていただいた。「奥様やご家族の方々も落ち着かれているころだろう・・・」と、お参りの時期を選んだのだった。
2014年6月1日。亡き友人の霊前にお花を献じ、お参りさせていただいた。奥様もやや落ち着かれたような様子で、いろいろ生前の彼のことを話してくださいました。私たちにとっても、彼のいろいろな面を知る機会になった。
あの日から、7年が経過した。
鬼籍に入ってしまった彼と『またの機会に・・・』会うことは、永遠にできないままになっているが、『6月1日』は、ふと彼のことを思い出す日になっている。
いつの日にか、私も鬼籍に入る日が来るだろう。
今月の27日、満73歳になる。「男の平均寿命ぐらいまでは生きていたいなあ」と、なんとなくだが、思っている。
これといったことはできていない私ですが、せめてブログだけは続けていきたいと思っています。
彼との思い出は、3人(彼・サンドラブロクさん・私)で大山へ登ったこと。彼のことを振り返ると、真っ先に思い出すことです。そのほか、彼と一緒に旅行した思い出も甦ってきます。
6月1日は彼の命日ではないのですが、私にとって、「彼のことを思い出す日」になっています。
今頃、あの世で、楽しく暮らしていることでしょう。
大学時代、親しくしていた友人の一人、N君は2014年1月22日に亡くなった。そのころ、会う機会がなくなり、交流も途切れていた。
年賀状のやり取りぐらいの交流になっていた。彼が亡くなる、半年ぐらい前だったか(はっきりとは覚えていないが…)、JR大阪駅のホームでばったりと会ったことがあった。久しぶりだったので、びっくりした。
彼の方から「どこかで、お茶でも・・・」と誘ってくれたのだが、約束の用事があったので、時間がなく、「またの機会に・・・」と応答し、別れたのだった。
その時、会ったことが生前の彼と話をした最後になった。
彼の死亡は突然だったことを後日知ったのだった。彼は「心の病」が原因で亡くなったのだった。
同じ年(2014年)の6月1日に大学時代の友人たちと一緒に彼の家を訪問し、お参りさせていただいた。「奥様やご家族の方々も落ち着かれているころだろう・・・」と、お参りの時期を選んだのだった。
2014年6月1日。亡き友人の霊前にお花を献じ、お参りさせていただいた。奥様もやや落ち着かれたような様子で、いろいろ生前の彼のことを話してくださいました。私たちにとっても、彼のいろいろな面を知る機会になった。
あの日から、7年が経過した。
鬼籍に入ってしまった彼と『またの機会に・・・』会うことは、永遠にできないままになっているが、『6月1日』は、ふと彼のことを思い出す日になっている。
いつの日にか、私も鬼籍に入る日が来るだろう。
今月の27日、満73歳になる。「男の平均寿命ぐらいまでは生きていたいなあ」と、なんとなくだが、思っている。
これといったことはできていない私ですが、せめてブログだけは続けていきたいと思っています。
彼との思い出は、3人(彼・サンドラブロクさん・私)で大山へ登ったこと。彼のことを振り返ると、真っ先に思い出すことです。そのほか、彼と一緒に旅行した思い出も甦ってきます。
6月1日は彼の命日ではないのですが、私にとって、「彼のことを思い出す日」になっています。
今頃、あの世で、楽しく暮らしていることでしょう。