「自己実現の欲求」が最高の欲求である。<マズローの欲求5段階説>
自分の社労士としての、ウリは研修講師でもあろうとしているところですが、職場研修においては、その重要性を指摘されるのが、自己啓発です。なんぼ実際の研修の時間を増やしたところで、本人にやる気がなければ、意味がありませんし、必要な知識として足りない部分は、いくらもあり、時間がいくらあっても足りないというのが、実情でしょう。そこで、自分で何か足りないと思ったら、その足りない部分を率先して、自分に自ら「自己啓発」を行うというのが、一番良いということになります。必要な知識を、必要なときにというのは、自己啓発以外にはありません。なんぼ一流の研修講師に話をさしても、その場限りの局所的な効果しかありません。しかも、話はその話のみです。一番いいのは、本人自ら勉強する姿勢を作らせることです。
ところで、その研修理論によく出てくるのが、マズローの欲求5段階説です。以下、監督者の研修(JST基本コース指導参考書)からの引用です。
マズローは、成功した人を研究することから発展して欲求段階説を唱えました。マズローによれば、人間が持つ無数の欲求も、子細に見れば相対的に優位に立つものとそうでないものがある。これらは階層をなしている。その階層の段階が満たされると、より高度の欲求性の重要性が増してくるという関係にあるという。マズローが特に重視する欲求は次のとおりである。
(1)生理的欲求・・・生命欲求に関する欲求(食欲、性欲、睡眠欲、新鮮な空気・適度の温度、保護を受けることなどの欲求)
(2)安全の欲求・・・この安全の欲求は、満たされているときは欲求そのものがあまり意識されず、公正、公平、自由の範囲の拡大などの欲求が意識される。
(3)所属と愛の欲求・・・集団の中の一員になろうとし、あるいは信頼で結ばれた友人を得たいという欲求
(4)承認の欲求・・・自尊心及び他人からの評価を受けたいとする欲求。
(5)自己実現の欲求・・・自己の発展、可能性を展開し、高次の自己を現実に作り上げようとする欲求で、個人が潜在的に持っている可能性を現実化し、社会的に大きな存在となり、大きな働きを通じて大きな満足を得ようととする欲求である。 以上
これを、国司義彦氏は、次のように述べている。(「人間関係をよくする心理学」成実文庫) 一例をあげれば、食べることにこと欠いていれば何よりも「食べたい」と思い、食料の確保に全力の行動をとるわけだ。しかし、食べるという低次元の欲求が満たされると、さらに高次元の欲求を持つようになる。お腹がいっぱいになれば、「安全に暮らしたい」と思い、それが充たされれば「何らかの社会に貢献したい」と願い、それが実現されれば、「その社会で承認されたい」と考える。・・・とある。(1)(2)(3)(4)(5)の順で、順を追って次の欲求があらわれてくるというわけである。
(5)の自己実現の欲求は、社会に働きかけて、そこから自分の大きな満足を得るのが目的であり、なんらの「報酬」や「利益」を得るのが目的ではなく、自己実現そのものが欲求となるという、至上の最高の欲求である。
また、それは、誰でも持っているものであるが、(3)の所属の欲求、(4)の承認の欲求が満たされて初めて出て来る欲求ということになる。職場で考えると、(3)職場の一員になりたいという欲求、(4)職場に認められたいという欲求、これらが満足されて、初めて出てくる欲求ということになる。(3)職場の一員になる欲求が欲求として成り立ち得るためには、もちろん、なんらかの誇りが持てるような職場でなければならないでしょう。そんな大きなものでなくても、本人にとって帰属しうるその何かをその職場にあればいいはずである。そして、その職場で、上司から褒められたり、仕事を任されたりなど「認められれば」(4)が達成されることになり、(5)に進むことになるが、それがなければ、(3)、(4)のままである。
職場で、愛情を持って育て、認められて、初めて(5)の欲求という最高の欲求がでてくることになるのでしょう。
研修講師は、先ほどの話に戻れば、「自己啓発」を動機づけることが重要になるわけですが、この動機づけは、この「自己実現の欲求」に基づくものであることが、一番ぶれないし、くじけないしということになりますので、最終的には、自己実現の欲求に基ずく自己啓発ができるように導くことが講師の務めということになります。ただ、4に基ずく承認に欲求によるものであっても、必ずしも否定するものでもありません。ときには、職場に認められようとして、自己啓発を行うことが必要性だって出てくるわけです。ただ、5に基づくものであるならば、その職場は、わきあいあいとした、報酬、利益を求めない、最高の職場となると考えられます。
ところで、ここからは、今日の論点とは離れますが、国司義彦氏は同書で次のようなことを言っておられます。要約すると次のようになると思われます。
これは、一般論、原則論であって、すべてのものにあてはまるわけではなく、それはマズロー自身も述べている。日本人の「武士は食わねど高楊枝」「生き恥をさらすよりは美しく死ぬといった美意識」のような独特の文化は、マズロー理論の枠外にある。また、ほとんどの低次元の欲求が満たされた現代において、自己実現よりは、金等ものに執着することが、一般庶民よりは、政治や経済や社会の中枢を握る人々にこの傾向が強いのは、いったいなぜか、と問いかけている。
マズロー研究家である国司義彦氏にとっては、実際のところ不思議に見えるのであろう。震災復興の今、政治には、「報酬」や自分の「利益」を求めるのでなく、名誉欲でない、本当の(5)の自己実現という、内なる欲求からくる大義を持った人が出てくることを期待したいものである。
自分の社労士としての、ウリは研修講師でもあろうとしているところですが、職場研修においては、その重要性を指摘されるのが、自己啓発です。なんぼ実際の研修の時間を増やしたところで、本人にやる気がなければ、意味がありませんし、必要な知識として足りない部分は、いくらもあり、時間がいくらあっても足りないというのが、実情でしょう。そこで、自分で何か足りないと思ったら、その足りない部分を率先して、自分に自ら「自己啓発」を行うというのが、一番良いということになります。必要な知識を、必要なときにというのは、自己啓発以外にはありません。なんぼ一流の研修講師に話をさしても、その場限りの局所的な効果しかありません。しかも、話はその話のみです。一番いいのは、本人自ら勉強する姿勢を作らせることです。
ところで、その研修理論によく出てくるのが、マズローの欲求5段階説です。以下、監督者の研修(JST基本コース指導参考書)からの引用です。
マズローは、成功した人を研究することから発展して欲求段階説を唱えました。マズローによれば、人間が持つ無数の欲求も、子細に見れば相対的に優位に立つものとそうでないものがある。これらは階層をなしている。その階層の段階が満たされると、より高度の欲求性の重要性が増してくるという関係にあるという。マズローが特に重視する欲求は次のとおりである。
(1)生理的欲求・・・生命欲求に関する欲求(食欲、性欲、睡眠欲、新鮮な空気・適度の温度、保護を受けることなどの欲求)
(2)安全の欲求・・・この安全の欲求は、満たされているときは欲求そのものがあまり意識されず、公正、公平、自由の範囲の拡大などの欲求が意識される。
(3)所属と愛の欲求・・・集団の中の一員になろうとし、あるいは信頼で結ばれた友人を得たいという欲求
(4)承認の欲求・・・自尊心及び他人からの評価を受けたいとする欲求。
(5)自己実現の欲求・・・自己の発展、可能性を展開し、高次の自己を現実に作り上げようとする欲求で、個人が潜在的に持っている可能性を現実化し、社会的に大きな存在となり、大きな働きを通じて大きな満足を得ようととする欲求である。 以上
これを、国司義彦氏は、次のように述べている。(「人間関係をよくする心理学」成実文庫) 一例をあげれば、食べることにこと欠いていれば何よりも「食べたい」と思い、食料の確保に全力の行動をとるわけだ。しかし、食べるという低次元の欲求が満たされると、さらに高次元の欲求を持つようになる。お腹がいっぱいになれば、「安全に暮らしたい」と思い、それが充たされれば「何らかの社会に貢献したい」と願い、それが実現されれば、「その社会で承認されたい」と考える。・・・とある。(1)(2)(3)(4)(5)の順で、順を追って次の欲求があらわれてくるというわけである。
(5)の自己実現の欲求は、社会に働きかけて、そこから自分の大きな満足を得るのが目的であり、なんらの「報酬」や「利益」を得るのが目的ではなく、自己実現そのものが欲求となるという、至上の最高の欲求である。
また、それは、誰でも持っているものであるが、(3)の所属の欲求、(4)の承認の欲求が満たされて初めて出て来る欲求ということになる。職場で考えると、(3)職場の一員になりたいという欲求、(4)職場に認められたいという欲求、これらが満足されて、初めて出てくる欲求ということになる。(3)職場の一員になる欲求が欲求として成り立ち得るためには、もちろん、なんらかの誇りが持てるような職場でなければならないでしょう。そんな大きなものでなくても、本人にとって帰属しうるその何かをその職場にあればいいはずである。そして、その職場で、上司から褒められたり、仕事を任されたりなど「認められれば」(4)が達成されることになり、(5)に進むことになるが、それがなければ、(3)、(4)のままである。
職場で、愛情を持って育て、認められて、初めて(5)の欲求という最高の欲求がでてくることになるのでしょう。
研修講師は、先ほどの話に戻れば、「自己啓発」を動機づけることが重要になるわけですが、この動機づけは、この「自己実現の欲求」に基づくものであることが、一番ぶれないし、くじけないしということになりますので、最終的には、自己実現の欲求に基ずく自己啓発ができるように導くことが講師の務めということになります。ただ、4に基ずく承認に欲求によるものであっても、必ずしも否定するものでもありません。ときには、職場に認められようとして、自己啓発を行うことが必要性だって出てくるわけです。ただ、5に基づくものであるならば、その職場は、わきあいあいとした、報酬、利益を求めない、最高の職場となると考えられます。
ところで、ここからは、今日の論点とは離れますが、国司義彦氏は同書で次のようなことを言っておられます。要約すると次のようになると思われます。
これは、一般論、原則論であって、すべてのものにあてはまるわけではなく、それはマズロー自身も述べている。日本人の「武士は食わねど高楊枝」「生き恥をさらすよりは美しく死ぬといった美意識」のような独特の文化は、マズロー理論の枠外にある。また、ほとんどの低次元の欲求が満たされた現代において、自己実現よりは、金等ものに執着することが、一般庶民よりは、政治や経済や社会の中枢を握る人々にこの傾向が強いのは、いったいなぜか、と問いかけている。
マズロー研究家である国司義彦氏にとっては、実際のところ不思議に見えるのであろう。震災復興の今、政治には、「報酬」や自分の「利益」を求めるのでなく、名誉欲でない、本当の(5)の自己実現という、内なる欲求からくる大義を持った人が出てくることを期待したいものである。
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