松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

八女のちょぼくれ公演

2009-09-24 23:39:25 | 復活奮闘日記
ようやく八女から帰って来ました。今まで櫨のイベントや活動をしてきた中で、最大級に大変な4日間でした。

なんといっても和蝋燭創作舞踊「八女のちょぼくれ」です。

アイディアを形にして一つのイベントを成し遂げる時ってのは、本当に大きなエネルギーがいるけれど感動も大きいってことを、今更ながら実感しました。

画像はリハーサル公演(9/21)時の外観。オバルさん撮影です。和蝋燭の灯りを演出するには暗闇が必要です。

石灯籠に櫨キャンドルを入れて外側を和紙で囲みました。暗くなると自動で点灯する電灯は電球を外したり、黒い紙で覆ったりして、できるだけ闇を作りました。

正門付近に八女学院の男子高校生数人を配置し、八女提灯を持たせました。

受付付近から門を見ると、提灯の丸い灯りだけがゆらゆらと揺れ、お客様を伴って御案内する男子高校生が近づいてくる演出です。すでにここから和蝋燭公演は始まっていました。

照明を落とした控え室のすぐ横の中庭に和蝋燭を数本灯しました。小雨が降ってきたので和蝋燭が消えるなぁと残念に思いながらじっと見ていると、な、なんと雨の中で力強く燃えているではありませんか。観客は席への案内が始まるまで、中庭を見て静かに過ごしていました。


寿寛聖さん舞踊による演目「五重の塔」です。両側に和蝋燭をスポットライトのようにかざしているのは、「差し出し」と呼ばれる演出で、江戸時代の歌舞伎にも使われました。踊りに合わせて効果的に光を照らしています。

そして…

「八女のちょぼくれ」です。高校生たちは約一ヶ月間、一生懸命声を出して歌詞を覚え込みました。リハーサル公演では制服だった生徒も、本公演では全員が浴衣姿になりました。

実を言うと、この公演のためにわざわざ浴衣を購入させるのは主催側としては気が引けるので、絶対に浴衣で揃えろと指示したわけではありません。しかし今回の公演で花柳一門の洗練された立ち居振る舞いに触れて教えを受けることで、高校生たちには明らかに変化が起こったのです。

挨拶の時は座って手をついてお辞儀をし、ぼんぼりや提灯は少し腰をかがめて低めに持って案内しながら「足下にお気を付け下さい」と気遣う様子に、こ、これが現代の高校生なのか?と目と耳を疑うお客様が続出しました。

また、「ちょぼくれ」は歌詞が6番まであるので、時間は15分ぐらい。その間、正座に慣れていない高校生がヨロヨロと無様な格好をしては申し訳ないと、リハーサル公演の練習時には長椅子を用意していましたが、寿寛氏は長椅子をやめさせ、正座を指示しました。この思い切った指示に主催者側としても内心ドキドキ。見守るしかありません。結果は?


誰一人、ヨロヨロもグズグズもモジモジもすることなく、教えられた通りに姿勢を正し、正座で立派に15分通しました。

高校生の唄の出来はというと、最初にできた「ちょぼくれ」のデモ録音を聞いた私としては、あまりの成長ぶりに驚きました。だって最初は男の子の声が小さくて、ボソボソ不気味に唱えていただけだったんですよ。それが本番では声を張り上げ、歌詞の意味を丁寧に教えこんだ杉山先生の意を汲み、言葉をはっきりと発音することで、「ちょぼくれ」のストーリーの面白さと八女人の心意気を表現しました。

もちろん素人の高校生なんですから、燈籠人形公演で演じられるようなお謡いの上手さには遥かに及びません。しかし精一杯に努力している人を目の当たりにすると、自然に感動がわき上がってくるものです。


昔話を題材にした「天狗の隠れ蓑」。滑稽な話の内容を寿寛氏が豊かに表現して面白さを際だたせていました。電灯のなかった昔、わずかな灯りの下で、庶民はこのように楽しんだのでしょうか。

明々としたネオンと蛍光灯に囲まれた現代では、暗闇は追い払われています。しかし本来、光は暗闇あってのもの。公演の間、効果的な暗闇とほのかな灯りの中で過ごすうちに、観客もスタッフも高校生たちも皆、和蝋燭に心癒されていきました。

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