以前、ある寺の住職さんから
「昨今の若者には宗教心がなくなった…。」という話を聞きました。
宗教自体の数はむしろ昔より多いといわれていますし、
新興宗教にのめり込む若者も少なくはありません。
街頭で何やら宗教めいたことを行っているのも、やっぱり若者です。
宗教の始まりは、有史以前のミイラの周囲に花を手向けた跡があったところからと言われています。
人々の哀しみや苦しみを癒す術として、全く宗教を持たない国はなく、
歴史を見ても宗教は大きく発展してきました。
これからも人間が存在する限り、なくなることはないと思われます。
つまり、「若者の宗教離れ」じゃなくて、「若者の寺離れ」じゃないかと思うわけです。
ネットで検索していたら、こういうページがでてきました。
本当に宗教離れなのか、否、住職の門徒離れだ
宗教関係者の対談なのですが、かなり鋭く意見を交わしています。
ここで注目したことがこの意見。
-----引用-------
最近思う事は、″寺離れ″はもちろんの事ですが、その前に、私自身が″門徒離れ″になっているのではないかと、不安になる事があります。それは、月参りという大切なご縁の場を与えられておりながら、仏教の話はもちろん、日常会話すら充分にできず、時間に追われて、次のお参り先へと走りさる。忙しそうにしている姿だけ残し、その結果、″寺離れの種を蒔いているのは私自身ではと感じます。
------引用終わり----
この意見を言っている方は、
本当はもっと門徒や檀家さんとお話ししたいのに、
それができなくて苦しいのだなと思います。
私が実際にお会いした他の住職さんも、他にも仕事を持っていて
とても法話とはいえないような中身のない空虚なうわごとを
5分程度話したかと思ったら、
忙しそうに次の場所へ行ってしまった事がありました。
その時、正直言うと、
私はあの住職さんを尊敬する気もおきなかったし、
いくら悩んでいても何かを相談したいとも思わなかったし、
とにかく何か関わりを持ちたいとは全く思いませんでした。
しかしひょっとしたら、あの住職さんも、
少しは住職としてのあり方を悩んでいたのかもしれません。
日本には数多くの立派な寺がありますし、
どんな田舎へ行っても寺は存在します。
昔から檀家や門徒は僧の話すありがたい話を聞きに寺に通い、
自分たちの亡くなった近しい人たちの遺骨を寺に預け、
供養してもらう代わりに経済的な援助をしてきました。
しかし、それが今、根本から崩れているのです。
こういう事件もありました。
---引用---------
配便で遺骨送る 室蘭の住職、檀家に 寺の改築反対され「関係絶つ」(07/04 16:01)
【室蘭】室蘭市内の寺の住職が五月中旬、同市内に住む檀家(だんか)が寺の建て替えに
反対したことなどを理由に、寺に納められていた親族の遺骨を、檀家宅に宅配便で 送り付けていたことが分かった。住職は「反省している」と話すが、 檀家らは「あまりに乱暴なやり方だ」とカンカンで、別の寺に遺骨を移すことにしている。
遺骨は木箱に入れられ、新聞紙が詰められた段ボール箱で届いた。
遺骨は檀家の叔母のもので、この寺の納骨堂に五、六年前から納められていた。 供養は道外に住む叔母の二男が行っていたという。
この檀家によると、昨年十月ごろ、老朽化した寺の建て替えについて住職と話した際、 建設費が多額になることなどから強く反対した。その後連絡がなくなり、 今年五月に自宅の仏壇の供養を頼んだところ、
「関係を絶ちたい」という内容の手紙とともに、遺骨が送られてきたという。
住職は、宅配便で遺骨を送り付けた理由について、檀家らの寺の維持・管理費の未納に加え、 「建て替えに威圧的に反対されたから」と説明。これに対し、檀家らは「お布施は年数回包んでおり、 それとは別に維持・管理費が必要とは知らなかった」とし、住職の心ない対応に疑問を投げかけている。
寺の住職が宅配便で遺骨を送ったことについて、複数の仏教宗派の総本山は 「聞いたことがない」「あってはならないこと」などとしている
ソース 北海道新聞
---------引用終わり---------
この事件は寺と檀家の意思の疎通を欠く典型的なケースでしょう。
しかし、上記のように住職が忙しく飛び回って檀家とろくに話さなかったら、
他山の石とはいえず、どこででも起きる事だと思います。
特に寺の立て替えなどの建設費用のことで、
寺と檀家の溝が深まるというのは、案外身近な問題です。
実際のところ、今の若者が従来の仏教や寺に関心も興味もないのならば
これからはこんな風に檀家が寺から離れる場合も、
もっと頻繁に出てくることが予想されます。
それに、自分の子供の給食費を払わない親がいるんだから、
そういう人がお布施を出すとは考えにくいですね。
寺は苦境に立っているのだと思います。
このままだったら、50年後、全国各地にある寺は廃墟になるのか、あるいは
観光客が訪れる町の博物館みたいな存在になったとしても
不思議ではないような気がしてきます。
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「昨今の若者には宗教心がなくなった…。」という話を聞きました。
宗教自体の数はむしろ昔より多いといわれていますし、
新興宗教にのめり込む若者も少なくはありません。
街頭で何やら宗教めいたことを行っているのも、やっぱり若者です。
宗教の始まりは、有史以前のミイラの周囲に花を手向けた跡があったところからと言われています。
人々の哀しみや苦しみを癒す術として、全く宗教を持たない国はなく、
歴史を見ても宗教は大きく発展してきました。
これからも人間が存在する限り、なくなることはないと思われます。
つまり、「若者の宗教離れ」じゃなくて、「若者の寺離れ」じゃないかと思うわけです。
ネットで検索していたら、こういうページがでてきました。
本当に宗教離れなのか、否、住職の門徒離れだ
宗教関係者の対談なのですが、かなり鋭く意見を交わしています。
ここで注目したことがこの意見。
-----引用-------
最近思う事は、″寺離れ″はもちろんの事ですが、その前に、私自身が″門徒離れ″になっているのではないかと、不安になる事があります。それは、月参りという大切なご縁の場を与えられておりながら、仏教の話はもちろん、日常会話すら充分にできず、時間に追われて、次のお参り先へと走りさる。忙しそうにしている姿だけ残し、その結果、″寺離れの種を蒔いているのは私自身ではと感じます。
------引用終わり----
この意見を言っている方は、
本当はもっと門徒や檀家さんとお話ししたいのに、
それができなくて苦しいのだなと思います。
私が実際にお会いした他の住職さんも、他にも仕事を持っていて
とても法話とはいえないような中身のない空虚なうわごとを
5分程度話したかと思ったら、
忙しそうに次の場所へ行ってしまった事がありました。
その時、正直言うと、
私はあの住職さんを尊敬する気もおきなかったし、
いくら悩んでいても何かを相談したいとも思わなかったし、
とにかく何か関わりを持ちたいとは全く思いませんでした。
しかしひょっとしたら、あの住職さんも、
少しは住職としてのあり方を悩んでいたのかもしれません。
日本には数多くの立派な寺がありますし、
どんな田舎へ行っても寺は存在します。
昔から檀家や門徒は僧の話すありがたい話を聞きに寺に通い、
自分たちの亡くなった近しい人たちの遺骨を寺に預け、
供養してもらう代わりに経済的な援助をしてきました。
しかし、それが今、根本から崩れているのです。
こういう事件もありました。
---引用---------
配便で遺骨送る 室蘭の住職、檀家に 寺の改築反対され「関係絶つ」(07/04 16:01)
【室蘭】室蘭市内の寺の住職が五月中旬、同市内に住む檀家(だんか)が寺の建て替えに
反対したことなどを理由に、寺に納められていた親族の遺骨を、檀家宅に宅配便で 送り付けていたことが分かった。住職は「反省している」と話すが、 檀家らは「あまりに乱暴なやり方だ」とカンカンで、別の寺に遺骨を移すことにしている。
遺骨は木箱に入れられ、新聞紙が詰められた段ボール箱で届いた。
遺骨は檀家の叔母のもので、この寺の納骨堂に五、六年前から納められていた。 供養は道外に住む叔母の二男が行っていたという。
この檀家によると、昨年十月ごろ、老朽化した寺の建て替えについて住職と話した際、 建設費が多額になることなどから強く反対した。その後連絡がなくなり、 今年五月に自宅の仏壇の供養を頼んだところ、
「関係を絶ちたい」という内容の手紙とともに、遺骨が送られてきたという。
住職は、宅配便で遺骨を送り付けた理由について、檀家らの寺の維持・管理費の未納に加え、 「建て替えに威圧的に反対されたから」と説明。これに対し、檀家らは「お布施は年数回包んでおり、 それとは別に維持・管理費が必要とは知らなかった」とし、住職の心ない対応に疑問を投げかけている。
寺の住職が宅配便で遺骨を送ったことについて、複数の仏教宗派の総本山は 「聞いたことがない」「あってはならないこと」などとしている
ソース 北海道新聞
---------引用終わり---------
この事件は寺と檀家の意思の疎通を欠く典型的なケースでしょう。
しかし、上記のように住職が忙しく飛び回って檀家とろくに話さなかったら、
他山の石とはいえず、どこででも起きる事だと思います。
特に寺の立て替えなどの建設費用のことで、
寺と檀家の溝が深まるというのは、案外身近な問題です。
実際のところ、今の若者が従来の仏教や寺に関心も興味もないのならば
これからはこんな風に檀家が寺から離れる場合も、
もっと頻繁に出てくることが予想されます。
それに、自分の子供の給食費を払わない親がいるんだから、
そういう人がお布施を出すとは考えにくいですね。
寺は苦境に立っているのだと思います。
このままだったら、50年後、全国各地にある寺は廃墟になるのか、あるいは
観光客が訪れる町の博物館みたいな存在になったとしても
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