2000年夏から2001年にかけて起きた「カリフォルニア電力危機」を覚えているだろうか。
米国では1990年代から電気料金の引き下げが経済の活性化に資すると、電力自由化が進められた。カリフォルニアでは1998年に電力の小売り自由化が行われたが、2000年、ITブームによる好景気や猛暑による電力需要の増加に供給が追い付かず、大規模な輪番停電が行われる事態に陥ってしまった。東日本大震災後の日本をイメージすれば良いだろう。もっともカリフォリニアの停電は天災ではなく、人災あるいは市場の失敗が原因であるが。この電力危機は、大手電力会社3社のうち1社の破綻や、カリフォリニア州知事のリコールにまで発展し、その後米国の電力自由化には大きなブレーキが掛かった。
そして今、人口、面積全米第2位、石油など天然資源が豊富なテキサス州で、1、2年のうちに電力不足になる、カリフォルニアの二の舞になる懸念が生じている。テキサス州はカリフォルニア電力危機以降も電力自由化を推し進め、その反動で電力の設備投資が遅れてしまったのである。
一方、我が国では、2016年の電力の小売り自由化実現に向け、経済産業省が今国会で電気事業に関連する約40もの法案改正を目指している。
しかし、電力自由化は本当に国民の利益になるのだろうか。
そもそも電力は初期投資が莫大であることから規模の経済の典型(つまり、複数の企業でやるよりも1社でやった方が効率的)とされ、電力事業は公営でやっている国が多い。日本の地域独占もその点では理に適ったシステムといえる。電気料金が高い、総括原価方式にあぐらをかき企業努力が足りない・無駄が多い、政治と密着している等々、我が国の電力業界に対する批判は多いし、ある程度それは正しい。しかし、我が国の電力業界が高度成長期以降の増大する電力需要に対応してきたことや、全国津々浦々あまねく電力を供給してきたことは事実であるし、原発事故までは我が国の電力システムが上手く機能していたことは高く評価できる。
いったい我が国で電力の自由化が進められたとき、かつてのカリフォルニアや今のテキサスにならないと誰が断言できるのだろう。
東電はじめ日本の電力会社は、電力需要のピーク(夏の甲子園決勝の日?)に合わせた設備能力を維持してきた。そんな1年の限られたピークにしか使えない設備、つまりは赤字必至の設備を、誰が好んで維持するだろうか。また設備の維持補修に掛ける費用も圧縮される懸念があり、万一どこかの発電所で事故が起きた際、即停電となるリスクは高くなる。電力需要の伸びが期待できない中、設備の増設は行われず、さらに設備のメンテナンスやリプレイスにも不安が残る。
確かに我が国の電力料金は世界的にみて高いが、一番の理由は我が国が資源に乏しく、燃料のほとんどを輸入に頼っているからである。これは自由化したところで変わらない。ヨーロッパでも1990年代終わりから電力自由化が進められているが、残念ながら自由化以後電気料金の下がった国はない。電力自由化により電気料金が下がるというのは幻想と思った方が良い。さらに今後コストの高い再生可能エネルギーの利用を増やして行けば、それだけでも電気料金は上がってしまう。
私は電力会社の人間ではないし、何も電力業界を擁護するつもりはない。しかし、まずは貯蔵できない、送電ネットワークが必要、送電によりロスが発生等の電力そのものの特徴をよく理解する必要がある。加えて、東日本(50Hz)と西日本(60Hz)では電源周波数が違い相互の電力融通に大きな制約があること、さらには周波数の変換には莫大なコストが掛かり、また周波数の統一にはもっと莫大な費用が掛かり、ともに容易ではないとの我が国固有の問題を考えれば、電力自由化がすべてを解決するとは到底思えない。少なくとも電力自由化に過度の期待をしない方が良いことだけは確かだ。
米国では1990年代から電気料金の引き下げが経済の活性化に資すると、電力自由化が進められた。カリフォルニアでは1998年に電力の小売り自由化が行われたが、2000年、ITブームによる好景気や猛暑による電力需要の増加に供給が追い付かず、大規模な輪番停電が行われる事態に陥ってしまった。東日本大震災後の日本をイメージすれば良いだろう。もっともカリフォリニアの停電は天災ではなく、人災あるいは市場の失敗が原因であるが。この電力危機は、大手電力会社3社のうち1社の破綻や、カリフォリニア州知事のリコールにまで発展し、その後米国の電力自由化には大きなブレーキが掛かった。
そして今、人口、面積全米第2位、石油など天然資源が豊富なテキサス州で、1、2年のうちに電力不足になる、カリフォルニアの二の舞になる懸念が生じている。テキサス州はカリフォルニア電力危機以降も電力自由化を推し進め、その反動で電力の設備投資が遅れてしまったのである。
一方、我が国では、2016年の電力の小売り自由化実現に向け、経済産業省が今国会で電気事業に関連する約40もの法案改正を目指している。
しかし、電力自由化は本当に国民の利益になるのだろうか。
そもそも電力は初期投資が莫大であることから規模の経済の典型(つまり、複数の企業でやるよりも1社でやった方が効率的)とされ、電力事業は公営でやっている国が多い。日本の地域独占もその点では理に適ったシステムといえる。電気料金が高い、総括原価方式にあぐらをかき企業努力が足りない・無駄が多い、政治と密着している等々、我が国の電力業界に対する批判は多いし、ある程度それは正しい。しかし、我が国の電力業界が高度成長期以降の増大する電力需要に対応してきたことや、全国津々浦々あまねく電力を供給してきたことは事実であるし、原発事故までは我が国の電力システムが上手く機能していたことは高く評価できる。
いったい我が国で電力の自由化が進められたとき、かつてのカリフォルニアや今のテキサスにならないと誰が断言できるのだろう。
東電はじめ日本の電力会社は、電力需要のピーク(夏の甲子園決勝の日?)に合わせた設備能力を維持してきた。そんな1年の限られたピークにしか使えない設備、つまりは赤字必至の設備を、誰が好んで維持するだろうか。また設備の維持補修に掛ける費用も圧縮される懸念があり、万一どこかの発電所で事故が起きた際、即停電となるリスクは高くなる。電力需要の伸びが期待できない中、設備の増設は行われず、さらに設備のメンテナンスやリプレイスにも不安が残る。
確かに我が国の電力料金は世界的にみて高いが、一番の理由は我が国が資源に乏しく、燃料のほとんどを輸入に頼っているからである。これは自由化したところで変わらない。ヨーロッパでも1990年代終わりから電力自由化が進められているが、残念ながら自由化以後電気料金の下がった国はない。電力自由化により電気料金が下がるというのは幻想と思った方が良い。さらに今後コストの高い再生可能エネルギーの利用を増やして行けば、それだけでも電気料金は上がってしまう。
私は電力会社の人間ではないし、何も電力業界を擁護するつもりはない。しかし、まずは貯蔵できない、送電ネットワークが必要、送電によりロスが発生等の電力そのものの特徴をよく理解する必要がある。加えて、東日本(50Hz)と西日本(60Hz)では電源周波数が違い相互の電力融通に大きな制約があること、さらには周波数の変換には莫大なコストが掛かり、また周波数の統一にはもっと莫大な費用が掛かり、ともに容易ではないとの我が国固有の問題を考えれば、電力自由化がすべてを解決するとは到底思えない。少なくとも電力自由化に過度の期待をしない方が良いことだけは確かだ。