今、日本マクドナルドが苦境に立たされている。昨年の異物混入問題以降、顧客離れが止まらず、2014/12期は218億円の最終赤字。今期はさらに赤字が拡大する見込みである。
かつての日本マクドナルドの栄光を知る人間として、また創業者 故・藤田 田(でん)氏のファンである僕としては、やはり悲しい。
海外で“McDonald's”のことを “マクドナルド”と言っても通じない。英語では“マクダーナルズ”が正しい。これは藤田氏が、日本語は3字区切りが良いと、米国本社の反対を押し切って決めたのである。
彼は出店場所でも米国本社に反対した。米国では店舗は郊外型が主流。当然、日本でも1号店は東京近郊での出店を求めてきた。しかし、彼は東京のど真ん中、銀座での出店を譲らない。新しいものを売るには流行の最先端・銀座しかない、銀座で成功すればハンバーガーは全国に広まると考えたからである。1971年7月、銀座三越にマクドナルド1号店が開店。彼の読み通り、銀座1号店は大成功。1店舗当たりの1日の売上高の世界記録をたたき出した。
僕は、小学校の高学年の頃だろうか、この話を氏の著書『頭の悪い奴は損をする』で読んだ。そして、僕以上に氏の著書に感銘を受けたのが、あの孫正義氏である。もっとも、これが凡人と天才の違いであるが、藤田氏の著書(注:氏が『頭の悪い~』の前に出版した『ユダヤの商法』)に感動した当時高校生の孫氏は、教えを乞うため藤田氏に会いに行き、アドバイスをもらったそうだ。藤田氏がいなければ今のソフトバンクはなかったかもしれない。
この藤田氏が率いた日本マクドナルド、70年代は本当に輝いていた。米国の文化、豊かさの象徴の一つであり、若者の憧れであった。銀座の歩行者天国を歩きながらハンバーガーを食べる姿は、日本とは思えない光景だった。
当初マクドナルドは、ハンバーガーそのものの味というよりは、ファーストフードという新たな業態に、つまり作り立ての商品がすぐ出てくることや、笑顔の接客、清潔な店内等の新しいサービスが評価され、急成長したと思う。それが、店舗が増え、皆がマクドナルドに馴染むにつれ、便利さ、手軽さが大きな魅力となり、最近では価格の安さが一番のウリになっていた。必ずしも味が成長の一番の要因ではないだろう。
ところで、藤田氏は関西の出身で、ご自身はハンバーガーよりきつねうどんをこよなく愛すとのこと。ハンバーガーを毎日は食べられないが、きつねうどんは毎日でも大丈夫だという。きつねうどんが氏のいわばソウルフードなのである。
僕は、今のマクドナルドの危機の原因が異物混入だけにあるとは思わない。現に先日販売を再開したペヤングは売れに売れているではないか。
ハンバーガーはこの40年で日本中に広まったが、残念ながら日本人のソウルフードになったとは言えない。日本人のソウルフードといえば、やはり“おにぎり”。ハンバーガーはコンビニのおにぎりに勝てなかったのである。そして、悲しいかな、“ラーメン”や“きつねうどん”にもなれなかった。
もちろん、これは今現在の話である。マクドナルドを食べて育った子供が、大きくなって自分の子供にマクドナルドを食べさせ、その味が受け継がれて行く。マクドナルドが、それこそ関西人にとっての“きつねうどん”になる。これが藤田氏の夢であったし、そんな時代がいつか来るかもしれない。
(そのためにはマクドナルドにもっと美味しくなって欲しいな。でも、米国本社との契約上、日本人に合った独自の商品開発には制約があるのかな・・・。)
かつての日本マクドナルドの栄光を知る人間として、また創業者 故・藤田 田(でん)氏のファンである僕としては、やはり悲しい。
海外で“McDonald's”のことを “マクドナルド”と言っても通じない。英語では“マクダーナルズ”が正しい。これは藤田氏が、日本語は3字区切りが良いと、米国本社の反対を押し切って決めたのである。
彼は出店場所でも米国本社に反対した。米国では店舗は郊外型が主流。当然、日本でも1号店は東京近郊での出店を求めてきた。しかし、彼は東京のど真ん中、銀座での出店を譲らない。新しいものを売るには流行の最先端・銀座しかない、銀座で成功すればハンバーガーは全国に広まると考えたからである。1971年7月、銀座三越にマクドナルド1号店が開店。彼の読み通り、銀座1号店は大成功。1店舗当たりの1日の売上高の世界記録をたたき出した。
僕は、小学校の高学年の頃だろうか、この話を氏の著書『頭の悪い奴は損をする』で読んだ。そして、僕以上に氏の著書に感銘を受けたのが、あの孫正義氏である。もっとも、これが凡人と天才の違いであるが、藤田氏の著書(注:氏が『頭の悪い~』の前に出版した『ユダヤの商法』)に感動した当時高校生の孫氏は、教えを乞うため藤田氏に会いに行き、アドバイスをもらったそうだ。藤田氏がいなければ今のソフトバンクはなかったかもしれない。
この藤田氏が率いた日本マクドナルド、70年代は本当に輝いていた。米国の文化、豊かさの象徴の一つであり、若者の憧れであった。銀座の歩行者天国を歩きながらハンバーガーを食べる姿は、日本とは思えない光景だった。
当初マクドナルドは、ハンバーガーそのものの味というよりは、ファーストフードという新たな業態に、つまり作り立ての商品がすぐ出てくることや、笑顔の接客、清潔な店内等の新しいサービスが評価され、急成長したと思う。それが、店舗が増え、皆がマクドナルドに馴染むにつれ、便利さ、手軽さが大きな魅力となり、最近では価格の安さが一番のウリになっていた。必ずしも味が成長の一番の要因ではないだろう。
ところで、藤田氏は関西の出身で、ご自身はハンバーガーよりきつねうどんをこよなく愛すとのこと。ハンバーガーを毎日は食べられないが、きつねうどんは毎日でも大丈夫だという。きつねうどんが氏のいわばソウルフードなのである。
僕は、今のマクドナルドの危機の原因が異物混入だけにあるとは思わない。現に先日販売を再開したペヤングは売れに売れているではないか。
ハンバーガーはこの40年で日本中に広まったが、残念ながら日本人のソウルフードになったとは言えない。日本人のソウルフードといえば、やはり“おにぎり”。ハンバーガーはコンビニのおにぎりに勝てなかったのである。そして、悲しいかな、“ラーメン”や“きつねうどん”にもなれなかった。
もちろん、これは今現在の話である。マクドナルドを食べて育った子供が、大きくなって自分の子供にマクドナルドを食べさせ、その味が受け継がれて行く。マクドナルドが、それこそ関西人にとっての“きつねうどん”になる。これが藤田氏の夢であったし、そんな時代がいつか来るかもしれない。
(そのためにはマクドナルドにもっと美味しくなって欲しいな。でも、米国本社との契約上、日本人に合った独自の商品開発には制約があるのかな・・・。)