CWニコルさんが亡くなられました。
私は彼の本を2冊もっています。『風を見た少年』(クロスロード)という小説と鈴木孝夫さんとの対談『ことばと自然』(アートデイズ)です。
『風を見た少年』を買ったのは児童劇「風を見た少年」(劇団あとむ)を見たときです。関矢幸雄さんが提唱した素劇という手法で劇化したものでした。
ラボ教育センターにとってニコルさんはとてつもなく大きな存在だったようです。そのあたりを松本輝夫さんと矢部顕さんに「証言」してもらいます。
●福田三津夫様
4月2日の毎日新聞にニコルさんが寄稿しています。
「雑食動物としての人間」という題で、その中の
2行を抜粋しました。
「自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる
他の生命を虐げていることに多くの警告を発している。
新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄
の先駆けにすぎない」
4月3日に亡くなりました。
4月2日の新聞記事は遺言になったのですね。
添付します。
矢部 顕
ニコルさんは毎日新聞で月1回コラムを連載していたようです。最後のコラムの冒頭の部分です。
◆Country・Gentleman
「雑食動物」としての人間=C・W・ニコル
人類は「雑食動物」として進化した。植物の根や果実、種子から貝、魚、鳥、動物まで、幅広く食べてきた。
最も貴重かつ危険な獲物を捕らえるには皆が状況をしっかり理解し、緊密な連携を図る必要がある。「鯨一頭、七浦潤す」といわれる通り、セミクジラ1頭で7カ村が生き延びられる一方、漁に出たクジラ捕りが全員命を落とすこともあった。灼熱(しゃくねつ)のサハラ砂漠でも、雪と氷に閉ざされた北極でも、人々は狩猟の伝統を受け継いできた。
宗教には独自のルールや禁忌があり、それぞれの作法に従って動物を食肉に加工してきた。イスラム教徒、ユダヤ教徒、エチオピアのコプト派キリスト教徒は豚肉を口にしないが、ブタの生育環境や健康上の理由に基づくのではないかと個人的には考えている。(以下、略)
つぎに松本さんや矢部さんの追悼文を紹介します。
◆追悼 CWニコルさん
●(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)発第171号より抜粋
谷川雁を敬愛し、彼の近くに住みたいと長野県黒姫に移住し、作家として、また環境保全活動家として活躍してきたニコルさん死去(4月3日)の報道を受けて、今朝一番で、鈴木先生から電話があり、またあれこれお話しました。
このお二人はラボ・パーティ発足40周年の年(2006年)、黒姫の「アファンの森」やニコルさん宅等で何度も会って対談し、その対談集を『ことばと自然ーー子どもの未来を拓く』という一冊の本として出版した仲でもあります(司会役・編集は松本)。
2020年4月5日 鈴木孝夫研究会主宰:松本輝夫
「ケルト系日本人」と自称していた(氏は1995年、谷川雁が亡くなった年に日本国籍を取得)ニコルさんと鈴木先生とは、経済成長主義の愚劣と誤り批判、地球生態系保全を最優先する考え方において共通しており、昔から互いに関心と敬意を抱いていたのですが、実際に会ったのは、この時が初めてでした。
お二人とも草創期のラボに関わりあったのですが、諸事情からすれ違うこと多く、かく成った次第で、ラボ40周年という記念すべき年に遅まきながら具体的に出会えたことを大喜び。ニコルさんなどは、氏の自宅で乾杯を重ねた後、歌まで歌い出すほどのはしゃぎようでしたね。
この対談のまとめは、「ラボ・パーティ発足40周年記念出版」として株式会社アートデイズより刊行されていますので、未読の方は是非この際入手してみてください。新型コロナ災禍で南極を除く全世界が黙示録的に益々激しく震撼し続けている現下の状況において、お二人からのメッセージは新たな意味合いと輝き、迫力をもって伝わってくることでしょう。
ニコルさんの逝去に対しまして、改めて鈴木先生と共に心から哀悼の誠を捧げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)発第170号より抜粋
新型コロナ災禍は、地球生態系の許しがたい破壊に次ぐ破壊を重ねた上で成り立ってきた現代人類文明(生活)に対する自然(地球)の側からの意表を突くゲリラ的な大反撃・復讐みたいなもので、これを機に人類は目下翻弄され放しの現代科学、医学等の限界も改めて思い知るとともに、この事態についての哲学的猛省を深める必要がある。
その意味で、鈴木先生におかれては、犠牲者は誠に気の毒だし、哀悼の真情では人後におちないが、密かに「新型コロナウィルス様」と敬称で呼びたい心持ちでもある由。勿論こんなことは人前では決していわないし、他ならぬご自身が感染・重症化して死ぬことがあってもやむなしと受けとめることを大前提として、だとも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●毎日新聞4月2日 ニコルさん寄稿「雑食動物としての人間」記事より抜粋
自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる他の生命を虐げていることに多くの警告を
発している。 新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄の先駆けにすぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラボ40周年記念出版『ことばと自然――こどもの未来を拓く』(鈴木孝夫×CWニコル対談集)は何回かに分けて、アファンの森やニコルさんの自宅、東京のホテルなどでのお二人の対談をまとめたものですが、わたくしは編集実務者として、そのすべての対談に同席し録音機を回し続けました。そのころ、わたくしはラボ40周年記念事業事務局長でしたので、このような幸運な仕事に立ち会うことになったのです。
謹んでニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。 2020年4月5日
鈴木孝夫研究会/谷川雁研究会 矢部 顕
◆ニコルさんと谷川雁と鈴木孝夫
友人各位
以下は谷川雁研究会のメンバーへのお知らせです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雁研(谷川雁研究会)発第248号
一昨日ニコルさんが直腸がんのため長野市の病院で死去とのこと(享年79歳)。これをうけて今朝鈴木孝夫先生からも電話がありましたが、ニコルさんと雁との関係はそれなりに知られていようが、鈴木孝夫との縁も実は深いのです。氏のご冥福を祈りつつ、氏と谷川雁、鈴木孝夫との共同関係をこの際、筆者の知る限りまとめておくことにしましょう。
2020年4月5日 雁研(谷川雁研究会)代表:松本輝夫
英国南ウェールズ生まれのニコルさんが初めて来日したのは1962年。その頃から北極探検・調査の活動の傍ら生活費稼ぎのため「大嫌いな」英会話学校講師などやっていたなかで、テック(=後のラボ教育センター)を知り、谷川雁と出会って、ラボと深く関わるようになる。それが1968~70年のこと。
1)その頃からラボはそれまでの英会話、英語教育では全くダメだということで、谷川雁主導の下、物語中心の活動に切り替え始めたのだが、それがニコルさんにとっても大きな救いになる。「物語なら自分も書ける」と豪語したら雁が「じゃあ、書いてみよ」と言って一か月の時間をくれて、一生懸命書いたら「雁さんが高く評価してくれ」、結果的に人生で初めて出版した本が『たぬき』となった。「これにより作家として生きることに自信がもてたので、以来雁さんへの感謝を忘れたことはない」というふうに。『たぬき』はラボ物語作品としても不滅の名作であり、今もラボの子ども達から愛され続けています。
2)その後『日時計』や『ゴロヒゲ平左衛門』等のラボ・オリジナル作品を書くと共にいくつかのラボ物語作品の英語も担当したが、雁との共同作業で一番苦しみ、その分最も大きな手応えを得たのが『国生み』4話。
3)この『国生み』制作も一因となってテック経営が分裂し、雁が解任される事件が勃発⇒大混乱となり、結果的に雁が1980年9月にラボ正式退社となった時、ニコルさんも一緒に退社。その後雁が「十代の会」「ものがたり文化の会」を立ち上げた時も協力(ただし「ものがたり文化の会」との関係は事情により途中まで)。なおニコルさんが黒姫に1980年移住したのも78年先に移住していた雁への敬愛やみがたく、近所に暮らしたかったからのこと。
4)ラボとは長い間ブランクがあったが、2006年のラボ40周年に向けて、ニコルさんとの協力関係を再構築しようということで、当時会長であった松本が書状を送った時のニコルさんのこだわりは唯の一点。「雁さんはラボにも迷惑かけてやめたのだろうが、しかしその功績は抜群で不滅のはず。そんな雁さんの功績を否定するのであれば関わることはできない」⇒「谷川雁とはたしかにラボ・テープの著作権をめぐって争いもしたが、裁判過程ですっきりと和解し、雁やニコルさんの作品は全面的に今のラボが使用しているし、テューターやラボっ子から深く愛されてもいる。そうである限り雁の功績を高く評価することはあっても否定するなんてありえない」⇒これにてニコルさんはラボとの関係を復活。その後ラボの為に物語作品を書いてくれたり、40周年記念行事に鈴木孝夫先生らと一緒に参加。
5)鈴木孝夫との関係では、ラボ40周年の2006年に黒姫の「アファンの森」やニコルさんの御宅等で何度も対談を重ねて、それを一冊の本『ことばと自然ーー子どもの未来を拓く』(アートデイズ刊)として出版した仲でもある(司会役・編集は松本)。
ニコルさんと鈴木孝夫は経済成長主義の愚劣と誤り批判、地球生態系保全を最優先する考え方において共通しており、昔から互いに関心と敬意を抱いていたのだが、実際に会ったのは、この時が初めて。二人とも草創期のラボに関わりがあったのだが諸事情からすれ違うこと多く、かく成った次第で、ラボ40周年という記念すべき年に遅まきながら具体的に出会えたことを大喜び。ニコルさんなどは氏の御宅で乾杯を重ねた後、歌まで歌い出すほどのはしゃぎようでしたね。その後も氏は「黒姫の拙宅にお出でいただいたひと時は本当に楽しい時間だった。心が通い合う交わりの時をいつか再び持ちたいと願っている」とも記している。
6)ニコルさんが世界中の国々を数多く回り、よく知った上で、日本の自然と文化、人々の優しさが一番好ましいということで英国籍を捨てて日本国籍を取得した点も鈴木孝夫は高く評価し、アングロサクソン系の人間にも稀には優れものがいるものだと感心していたところニコルさん曰く「私はアングロサクソンではなく今ではケルト系日本人です」。さらに言えば、そのうえで、この何十年かで様変わりしつつある日本の自然,森や川の現状、それと相まって進む日本人の心の荒廃については苦言を呈し、危惧もしてきたのだが、その点でも鈴木孝夫と同じだ。安倍のような低劣・無恥・非道な政治屋が異常なまでの長期政権を保ち得ているところにその荒廃ぶりが端的に現れているというふうに。
――以上ですが、改めて、ニコルさんの死去を悼み、心から哀悼の誠を捧げます。――松本輝夫
私は彼の本を2冊もっています。『風を見た少年』(クロスロード)という小説と鈴木孝夫さんとの対談『ことばと自然』(アートデイズ)です。
『風を見た少年』を買ったのは児童劇「風を見た少年」(劇団あとむ)を見たときです。関矢幸雄さんが提唱した素劇という手法で劇化したものでした。
ラボ教育センターにとってニコルさんはとてつもなく大きな存在だったようです。そのあたりを松本輝夫さんと矢部顕さんに「証言」してもらいます。
●福田三津夫様
4月2日の毎日新聞にニコルさんが寄稿しています。
「雑食動物としての人間」という題で、その中の
2行を抜粋しました。
「自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる
他の生命を虐げていることに多くの警告を発している。
新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄
の先駆けにすぎない」
4月3日に亡くなりました。
4月2日の新聞記事は遺言になったのですね。
添付します。
矢部 顕
ニコルさんは毎日新聞で月1回コラムを連載していたようです。最後のコラムの冒頭の部分です。
◆Country・Gentleman
「雑食動物」としての人間=C・W・ニコル
人類は「雑食動物」として進化した。植物の根や果実、種子から貝、魚、鳥、動物まで、幅広く食べてきた。
最も貴重かつ危険な獲物を捕らえるには皆が状況をしっかり理解し、緊密な連携を図る必要がある。「鯨一頭、七浦潤す」といわれる通り、セミクジラ1頭で7カ村が生き延びられる一方、漁に出たクジラ捕りが全員命を落とすこともあった。灼熱(しゃくねつ)のサハラ砂漠でも、雪と氷に閉ざされた北極でも、人々は狩猟の伝統を受け継いできた。
宗教には独自のルールや禁忌があり、それぞれの作法に従って動物を食肉に加工してきた。イスラム教徒、ユダヤ教徒、エチオピアのコプト派キリスト教徒は豚肉を口にしないが、ブタの生育環境や健康上の理由に基づくのではないかと個人的には考えている。(以下、略)
つぎに松本さんや矢部さんの追悼文を紹介します。
◆追悼 CWニコルさん
●(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)発第171号より抜粋
谷川雁を敬愛し、彼の近くに住みたいと長野県黒姫に移住し、作家として、また環境保全活動家として活躍してきたニコルさん死去(4月3日)の報道を受けて、今朝一番で、鈴木先生から電話があり、またあれこれお話しました。
このお二人はラボ・パーティ発足40周年の年(2006年)、黒姫の「アファンの森」やニコルさん宅等で何度も会って対談し、その対談集を『ことばと自然ーー子どもの未来を拓く』という一冊の本として出版した仲でもあります(司会役・編集は松本)。
2020年4月5日 鈴木孝夫研究会主宰:松本輝夫
「ケルト系日本人」と自称していた(氏は1995年、谷川雁が亡くなった年に日本国籍を取得)ニコルさんと鈴木先生とは、経済成長主義の愚劣と誤り批判、地球生態系保全を最優先する考え方において共通しており、昔から互いに関心と敬意を抱いていたのですが、実際に会ったのは、この時が初めてでした。
お二人とも草創期のラボに関わりあったのですが、諸事情からすれ違うこと多く、かく成った次第で、ラボ40周年という記念すべき年に遅まきながら具体的に出会えたことを大喜び。ニコルさんなどは、氏の自宅で乾杯を重ねた後、歌まで歌い出すほどのはしゃぎようでしたね。
この対談のまとめは、「ラボ・パーティ発足40周年記念出版」として株式会社アートデイズより刊行されていますので、未読の方は是非この際入手してみてください。新型コロナ災禍で南極を除く全世界が黙示録的に益々激しく震撼し続けている現下の状況において、お二人からのメッセージは新たな意味合いと輝き、迫力をもって伝わってくることでしょう。
ニコルさんの逝去に対しまして、改めて鈴木先生と共に心から哀悼の誠を捧げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)発第170号より抜粋
新型コロナ災禍は、地球生態系の許しがたい破壊に次ぐ破壊を重ねた上で成り立ってきた現代人類文明(生活)に対する自然(地球)の側からの意表を突くゲリラ的な大反撃・復讐みたいなもので、これを機に人類は目下翻弄され放しの現代科学、医学等の限界も改めて思い知るとともに、この事態についての哲学的猛省を深める必要がある。
その意味で、鈴木先生におかれては、犠牲者は誠に気の毒だし、哀悼の真情では人後におちないが、密かに「新型コロナウィルス様」と敬称で呼びたい心持ちでもある由。勿論こんなことは人前では決していわないし、他ならぬご自身が感染・重症化して死ぬことがあってもやむなしと受けとめることを大前提として、だとも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●毎日新聞4月2日 ニコルさん寄稿「雑食動物としての人間」記事より抜粋
自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる他の生命を虐げていることに多くの警告を
発している。 新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄の先駆けにすぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラボ40周年記念出版『ことばと自然――こどもの未来を拓く』(鈴木孝夫×CWニコル対談集)は何回かに分けて、アファンの森やニコルさんの自宅、東京のホテルなどでのお二人の対談をまとめたものですが、わたくしは編集実務者として、そのすべての対談に同席し録音機を回し続けました。そのころ、わたくしはラボ40周年記念事業事務局長でしたので、このような幸運な仕事に立ち会うことになったのです。
謹んでニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。 2020年4月5日
鈴木孝夫研究会/谷川雁研究会 矢部 顕
◆ニコルさんと谷川雁と鈴木孝夫
友人各位
以下は谷川雁研究会のメンバーへのお知らせです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雁研(谷川雁研究会)発第248号
一昨日ニコルさんが直腸がんのため長野市の病院で死去とのこと(享年79歳)。これをうけて今朝鈴木孝夫先生からも電話がありましたが、ニコルさんと雁との関係はそれなりに知られていようが、鈴木孝夫との縁も実は深いのです。氏のご冥福を祈りつつ、氏と谷川雁、鈴木孝夫との共同関係をこの際、筆者の知る限りまとめておくことにしましょう。
2020年4月5日 雁研(谷川雁研究会)代表:松本輝夫
英国南ウェールズ生まれのニコルさんが初めて来日したのは1962年。その頃から北極探検・調査の活動の傍ら生活費稼ぎのため「大嫌いな」英会話学校講師などやっていたなかで、テック(=後のラボ教育センター)を知り、谷川雁と出会って、ラボと深く関わるようになる。それが1968~70年のこと。
1)その頃からラボはそれまでの英会話、英語教育では全くダメだということで、谷川雁主導の下、物語中心の活動に切り替え始めたのだが、それがニコルさんにとっても大きな救いになる。「物語なら自分も書ける」と豪語したら雁が「じゃあ、書いてみよ」と言って一か月の時間をくれて、一生懸命書いたら「雁さんが高く評価してくれ」、結果的に人生で初めて出版した本が『たぬき』となった。「これにより作家として生きることに自信がもてたので、以来雁さんへの感謝を忘れたことはない」というふうに。『たぬき』はラボ物語作品としても不滅の名作であり、今もラボの子ども達から愛され続けています。
2)その後『日時計』や『ゴロヒゲ平左衛門』等のラボ・オリジナル作品を書くと共にいくつかのラボ物語作品の英語も担当したが、雁との共同作業で一番苦しみ、その分最も大きな手応えを得たのが『国生み』4話。
3)この『国生み』制作も一因となってテック経営が分裂し、雁が解任される事件が勃発⇒大混乱となり、結果的に雁が1980年9月にラボ正式退社となった時、ニコルさんも一緒に退社。その後雁が「十代の会」「ものがたり文化の会」を立ち上げた時も協力(ただし「ものがたり文化の会」との関係は事情により途中まで)。なおニコルさんが黒姫に1980年移住したのも78年先に移住していた雁への敬愛やみがたく、近所に暮らしたかったからのこと。
4)ラボとは長い間ブランクがあったが、2006年のラボ40周年に向けて、ニコルさんとの協力関係を再構築しようということで、当時会長であった松本が書状を送った時のニコルさんのこだわりは唯の一点。「雁さんはラボにも迷惑かけてやめたのだろうが、しかしその功績は抜群で不滅のはず。そんな雁さんの功績を否定するのであれば関わることはできない」⇒「谷川雁とはたしかにラボ・テープの著作権をめぐって争いもしたが、裁判過程ですっきりと和解し、雁やニコルさんの作品は全面的に今のラボが使用しているし、テューターやラボっ子から深く愛されてもいる。そうである限り雁の功績を高く評価することはあっても否定するなんてありえない」⇒これにてニコルさんはラボとの関係を復活。その後ラボの為に物語作品を書いてくれたり、40周年記念行事に鈴木孝夫先生らと一緒に参加。
5)鈴木孝夫との関係では、ラボ40周年の2006年に黒姫の「アファンの森」やニコルさんの御宅等で何度も対談を重ねて、それを一冊の本『ことばと自然ーー子どもの未来を拓く』(アートデイズ刊)として出版した仲でもある(司会役・編集は松本)。
ニコルさんと鈴木孝夫は経済成長主義の愚劣と誤り批判、地球生態系保全を最優先する考え方において共通しており、昔から互いに関心と敬意を抱いていたのだが、実際に会ったのは、この時が初めて。二人とも草創期のラボに関わりがあったのだが諸事情からすれ違うこと多く、かく成った次第で、ラボ40周年という記念すべき年に遅まきながら具体的に出会えたことを大喜び。ニコルさんなどは氏の御宅で乾杯を重ねた後、歌まで歌い出すほどのはしゃぎようでしたね。その後も氏は「黒姫の拙宅にお出でいただいたひと時は本当に楽しい時間だった。心が通い合う交わりの時をいつか再び持ちたいと願っている」とも記している。
6)ニコルさんが世界中の国々を数多く回り、よく知った上で、日本の自然と文化、人々の優しさが一番好ましいということで英国籍を捨てて日本国籍を取得した点も鈴木孝夫は高く評価し、アングロサクソン系の人間にも稀には優れものがいるものだと感心していたところニコルさん曰く「私はアングロサクソンではなく今ではケルト系日本人です」。さらに言えば、そのうえで、この何十年かで様変わりしつつある日本の自然,森や川の現状、それと相まって進む日本人の心の荒廃については苦言を呈し、危惧もしてきたのだが、その点でも鈴木孝夫と同じだ。安倍のような低劣・無恥・非道な政治屋が異常なまでの長期政権を保ち得ているところにその荒廃ぶりが端的に現れているというふうに。
――以上ですが、改めて、ニコルさんの死去を悼み、心から哀悼の誠を捧げます。――松本輝夫