春に開くはずだった『野火』(大岡昇平)の読書会が先頃実現しました。Kさんの体調が回復してきたからです。中年も2人加えて6人の読書会になりました。3時間にわたっての熱いトークでKさんはどんどん元気になっていきました。終了間際にKさんから「次は何を読みましょうか。」のことばをいただきました。私が本の選考を任されました。責任重大です。
読書会のためにいつものようにネットで『野火』を調べてみることにしました。「100分de名著」NHKは2017年8月放送でしたか。
■『野火』(ウィキペディアより)
●概要[編集]
題名の「野火」とは、春の初めに野原の枯れ草を焼く火のことである。この作品にはカニバリズムが出てくるが、大岡はエドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』が、この作品が全体のワクになっていると書いている。
丸谷才一は『文章読本』(中央公論社、1977年)において、修辞技法の個々の技法を説明する際、例文を全て本作品とシェイクスピアの諸作品に拠った。
1959年に市川崑、2015年に塚本晋也がそれぞれ映画化している。
●あらすじ[編集]
太平洋戦争末期、日本の劣勢が固まりつつある中での、フィリピン戦線でのレイテ島が舞台である。 主人公の田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される。現地のフィリピン人は既に日本軍を抗戦相手と見なしていた。この状況下、米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、全ての他者から排せられた田村は、熱帯の山野へと飢えの迷走を始める。 律しがたい生への執着と絶対的な孤独の中で、田村にはかつて棄てた神への関心が再び芽生える。しかし彼が目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食への欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切る。 ついに、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた田村は、狂人と化していく。
■「100分de名著」NHK 2017年8月放送
大岡昇平の代表作「野火」は、太平洋戦争末期、絶望的な状況に置かれた一兵士が直面した戦争の現実と、孤独の中で揺れ動く心理を克明に描きだした作品です。戦後文学の最高傑作とも称される「野火」は、数多くの作家や研究者が今も言及し続け、二度にわたる映画化を果たすなど、現代の私たちにも「戦争とは何か」を問い続けています。世界各地で頻発するテロ、終わりのない地域紛争、緊迫する国際関係……現代という時代にも、「戦争」は暗い影を落とし続けています。作家の島田雅彦さんは、戦後70年以上を経て、実際に戦争を体験した世代が少なくなっている今こそ、この作品を通して、「戦争のリアル」を追体験しなければならないといいます。
舞台は太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の劣勢が確実になる中、主人公・田村一等兵は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からも食糧不足のために入院を拒否されます。米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、田村は熱帯ジャングルの中をあてどなくさ迷い続けます。絶望的な状況の中で、かつて棄てた神へ信仰が再び芽生えはじめる田村。しかし、絶対的な孤独、発作的な殺人、人肉食への欲望、そして同胞を狩って生き延びようとする戦友たちという現実は、過酷な運命へと田村を追い込んでいくのです。
この小説は単に戦場の過酷な状況を描いているだけではありません。絶望的な状況に置かれながらも、その状況を見極めようとする「醒めた目」で冷徹に描かれた状況からは、「エゴイズム」「自由」「殺人」「人肉食」といった実存的なテーマが浮かび上がってきます。また、極限に追い込まれた主人公の体験から、人間にとって「宗教とは何か」「倫理とは何か」「戦争とは何か」といった根源的な問いが照らし出されていきます。島田雅彦さんは、その意味でこの小説は、ダンテ「神曲」における「地獄めぐり」とも比すべき深みをもっているといいます。
番組では、作家・島田雅彦さんを講師に迎え、「野火」を現代の視点から読み解きます。そして、終戦記念日を迎える8月、あらためて「人間にとって戦争とは何か」という普遍的な問題を深く考えていくきっかけとしたい
さすが『野火』は多くのネット検索に引っかかってきます。そのなかで、発信元はわからないのですが、以下のようなサイトがありました。きっと名のある方でしょう。思考の掘り下げが尋常ではないのです。「大岡自身の戦争体験と創作」は数項目にわたっていました。興味ある方はアクセスしてみてください。
■大岡自身の戦争体験と創作1(あるサイトより)
大岡昇平の諸作品において、過去の経験を主題とした作品は、大きく三つの系列に分類することができる。
1.幼少年期を題材とした作品系列…『幼年』、『少年』、『父』、『母』
2.青年期を左右した詩人たちの作品系列…『中原中也』、『富永太郎』
3.中年補充兵としての戦地体験に基づく作品系列…『俘虜記』、『野火』、『レイテ戦記』
これら三つの作品群は、相互にさまざまな形でリンクし合っている。例えば、『俘虜記』『野火』に見られる神の観念は、『少年』でのキリスト教体験を抜きに語れないものであり、また野火のイメージと『幼年』の煙突のイメージは切り離すことができないものである。 逆に、戦争体験が他作品に与えた影響としては、衰弱者としての富永太郎を描く際に、比島を彷徨し飢餓に苦しみ、マラリヤに倒れた経験が、どれだけ富永への接近を可能にしたであろうか。また、上記のような直接的影響のみならず、兵士として要求された、時々刻々の事実を見定める能力や、視点の正確さは、復員後の執筆活動の中核をなすものである。巨視的でありながら同時に微視的でもある、大岡の筆法傾向は、戦争というとてつもなく大きな歴史事件の中にあった一人の兵士としての体験によって、培われたものであると言えるだろう。また、『武蔵野夫人』の「勉」を「復員者と形容して、その健康快復の物語を書く」と、大岡自身が述べていることからも、大岡=「勉」ではないにしろ、戦争が残した痕跡の大きさが窺える。
これらのことから、大岡自身の戦争体験を考察することが、大岡文学の研究において、非常に重要な手がかりになると思われる。大まかな全容について、年次を追って以下に記す。
昭和十九年三月、暗号手の特殊教育を受け、六月には東部第三部隊で輸送大隊に組織、マニラに向かう。到着後第百五師団大藪大隊に配属、ミンドロ島警備を命ぜられる。大隊所在地バタンガスで西矢隊に配属。
昭和二十年一月、南方からの追撃砲撃を受け、脱出組に追随しようとしたが、マラリアで発熱のため及ばず、昏倒中のところを米軍に発見されて俘虜となった。レイテ基地俘虜病院にて二ヶ月の静養を取った後、タナウアンの一般収容所、次いでパロの新収容所で俘虜生活を送った。敗戦の報はパロで聞いている。十一月「信濃丸」で出港、十二月には復員している。
さて読書会ですが、参加者それぞれ様々な視点から読後感想が話されました。人それぞれ受け取り方は千差万別で共感することが多々ありました。
私の感想は、『野火』は素晴らしい戦争文学で、その極限状態を克明に描ききっています。しかし戦争はもちろんもっと過酷に違いありません。戦争を知ることは並大抵ではないと思うのです。
そこで、『日本軍兵士』(吉田裕)を併読することを出席者に勧めたのです。実体験を下敷きにしたフィクションの『野火』と戦争を客観的に捉えた『日本軍兵士』です。ミクロとマクロでしょうか。
『日本軍兵士』を紹介します。
■『日本軍兵士』吉田裕、中公新書、2017年
〔ソデ〕310万人に及ぶ犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高率の餓死、30万人を超えた海没死、戦場での自殺・「処置」、特攻、劣悪化していく補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験をせざるを得なかった現実を描く。
●吉田裕著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』が、第12回新書大賞を受賞しました。
本書は、兵士の目線・立ち位置から、過酷さを増した1944年以降の戦争の実態を描いた作品です。戦闘で斃れたと思われがちな兵士たちが、実際には餓死や海没死などの亡くなり方も多かったこと、歯や軍服、軍靴の劣化、過重な装備で悩まされたことなど、兵士たちの現実を描いています。
発売以来、朝日・毎日・読売・日経・産経のほか地方紙などにも書評や紹介が掲載されて多くの反響がありました。また、第30回アジア・太平洋賞特別賞を受賞し、学術面での高い評価も得ています。
本文からその骨子を抜き書きしました。いかに無謀な戦争だったのか、是非本文を読むことをお勧めします。
〔内容点描〕
・第1期 開戦(1941年12月8日)~1942年5月 日本軍の戦略的攻勢期
・第2期 1942年6月~1943年2月 戦略的対峙の時期
・第3期 1943年3月~1944年7月 戦略的守勢期
・第4期 1944年8月~敗戦(1945年8月) 絶望的抗戦期
*アジア・太平洋戦争の死者
・日本人 軍人・軍属230万人(朝鮮人、台湾人5万人) 外地一般邦人30万人 国内50万人 合計約310万人
・米軍 9万2000~10万人、ソビエト連邦 2万2694人 、英軍 2万9968人、オランダ軍 2万7600人
・中国軍 中国民衆 1000万人以上、朝鮮20万人、フィリピン111万人、台湾3万人、マレーシア・シンガポール10万人、その他、ベトナム、インドネシアなど総計で1900万人以上
・1944年以降の戦没者91%
・異質な軍事思想…短期決戦、速戦即決、作戦至上主義、極端な精神主義、「肉薄攻撃」、「特攻」
・日本軍の根本的欠陥…「統帥権の独立」、ミッドウェー島攻略は天皇が指示、「皇軍」、「軍人精神注入棒」
そしてもう1冊、『沈黙の子どもたち-軍はなぜ市民を大量殺害したのか』もいいですよ。知らない「事実」に遭遇しますよ。
■『沈黙の子どもたち-軍はなぜ市民を大量殺害したのか』山崎雅弘、晶文社、294頁、2019/6
〔扉〕
アウシュヴィッツ、南京、ゲルニカ、沖縄、広島・長崎…。軍による市民の大量殺害はなぜ起きたのか。戦争や紛争による市民の犠牲者をなくすことはできるのか。様々な資料と現地取材をもとに、市民の大量殺害を引き起こす軍事組織の「内在的論理」を明らかにし、悲劇の原因と構造を読み解くノンフィクション。未来を戦争に奪われる子どもたちをこれ以上生み出さないために、いまわたしたちにできること。
さらに、以下の戦争体験手記を読みました。自費出版本です。戦争体験を風化させてはいけないですね。
前者は伯母の友人が淡々と書いた九死に一生した手記、後者は義父と同郷の友人から送られたもので戦争を批判的に凝視しています。伯母も義父も亡くなって久しいです。
■『地獄からの生還-ガダルカナル戦 かく生き抜く』櫻井甚作、豆の木工房 1993年
■『ある特務機関員の手記-日中戦争を風化させない』高田一郎、東銀座出版社2006年
読書会のためにいつものようにネットで『野火』を調べてみることにしました。「100分de名著」NHKは2017年8月放送でしたか。
■『野火』(ウィキペディアより)
●概要[編集]
題名の「野火」とは、春の初めに野原の枯れ草を焼く火のことである。この作品にはカニバリズムが出てくるが、大岡はエドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』が、この作品が全体のワクになっていると書いている。
丸谷才一は『文章読本』(中央公論社、1977年)において、修辞技法の個々の技法を説明する際、例文を全て本作品とシェイクスピアの諸作品に拠った。
1959年に市川崑、2015年に塚本晋也がそれぞれ映画化している。
●あらすじ[編集]
太平洋戦争末期、日本の劣勢が固まりつつある中での、フィリピン戦線でのレイテ島が舞台である。 主人公の田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される。現地のフィリピン人は既に日本軍を抗戦相手と見なしていた。この状況下、米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、全ての他者から排せられた田村は、熱帯の山野へと飢えの迷走を始める。 律しがたい生への執着と絶対的な孤独の中で、田村にはかつて棄てた神への関心が再び芽生える。しかし彼が目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食への欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切る。 ついに、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた田村は、狂人と化していく。
■「100分de名著」NHK 2017年8月放送
大岡昇平の代表作「野火」は、太平洋戦争末期、絶望的な状況に置かれた一兵士が直面した戦争の現実と、孤独の中で揺れ動く心理を克明に描きだした作品です。戦後文学の最高傑作とも称される「野火」は、数多くの作家や研究者が今も言及し続け、二度にわたる映画化を果たすなど、現代の私たちにも「戦争とは何か」を問い続けています。世界各地で頻発するテロ、終わりのない地域紛争、緊迫する国際関係……現代という時代にも、「戦争」は暗い影を落とし続けています。作家の島田雅彦さんは、戦後70年以上を経て、実際に戦争を体験した世代が少なくなっている今こそ、この作品を通して、「戦争のリアル」を追体験しなければならないといいます。
舞台は太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の劣勢が確実になる中、主人公・田村一等兵は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からも食糧不足のために入院を拒否されます。米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、田村は熱帯ジャングルの中をあてどなくさ迷い続けます。絶望的な状況の中で、かつて棄てた神へ信仰が再び芽生えはじめる田村。しかし、絶対的な孤独、発作的な殺人、人肉食への欲望、そして同胞を狩って生き延びようとする戦友たちという現実は、過酷な運命へと田村を追い込んでいくのです。
この小説は単に戦場の過酷な状況を描いているだけではありません。絶望的な状況に置かれながらも、その状況を見極めようとする「醒めた目」で冷徹に描かれた状況からは、「エゴイズム」「自由」「殺人」「人肉食」といった実存的なテーマが浮かび上がってきます。また、極限に追い込まれた主人公の体験から、人間にとって「宗教とは何か」「倫理とは何か」「戦争とは何か」といった根源的な問いが照らし出されていきます。島田雅彦さんは、その意味でこの小説は、ダンテ「神曲」における「地獄めぐり」とも比すべき深みをもっているといいます。
番組では、作家・島田雅彦さんを講師に迎え、「野火」を現代の視点から読み解きます。そして、終戦記念日を迎える8月、あらためて「人間にとって戦争とは何か」という普遍的な問題を深く考えていくきっかけとしたい
さすが『野火』は多くのネット検索に引っかかってきます。そのなかで、発信元はわからないのですが、以下のようなサイトがありました。きっと名のある方でしょう。思考の掘り下げが尋常ではないのです。「大岡自身の戦争体験と創作」は数項目にわたっていました。興味ある方はアクセスしてみてください。
■大岡自身の戦争体験と創作1(あるサイトより)
大岡昇平の諸作品において、過去の経験を主題とした作品は、大きく三つの系列に分類することができる。
1.幼少年期を題材とした作品系列…『幼年』、『少年』、『父』、『母』
2.青年期を左右した詩人たちの作品系列…『中原中也』、『富永太郎』
3.中年補充兵としての戦地体験に基づく作品系列…『俘虜記』、『野火』、『レイテ戦記』
これら三つの作品群は、相互にさまざまな形でリンクし合っている。例えば、『俘虜記』『野火』に見られる神の観念は、『少年』でのキリスト教体験を抜きに語れないものであり、また野火のイメージと『幼年』の煙突のイメージは切り離すことができないものである。 逆に、戦争体験が他作品に与えた影響としては、衰弱者としての富永太郎を描く際に、比島を彷徨し飢餓に苦しみ、マラリヤに倒れた経験が、どれだけ富永への接近を可能にしたであろうか。また、上記のような直接的影響のみならず、兵士として要求された、時々刻々の事実を見定める能力や、視点の正確さは、復員後の執筆活動の中核をなすものである。巨視的でありながら同時に微視的でもある、大岡の筆法傾向は、戦争というとてつもなく大きな歴史事件の中にあった一人の兵士としての体験によって、培われたものであると言えるだろう。また、『武蔵野夫人』の「勉」を「復員者と形容して、その健康快復の物語を書く」と、大岡自身が述べていることからも、大岡=「勉」ではないにしろ、戦争が残した痕跡の大きさが窺える。
これらのことから、大岡自身の戦争体験を考察することが、大岡文学の研究において、非常に重要な手がかりになると思われる。大まかな全容について、年次を追って以下に記す。
昭和十九年三月、暗号手の特殊教育を受け、六月には東部第三部隊で輸送大隊に組織、マニラに向かう。到着後第百五師団大藪大隊に配属、ミンドロ島警備を命ぜられる。大隊所在地バタンガスで西矢隊に配属。
昭和二十年一月、南方からの追撃砲撃を受け、脱出組に追随しようとしたが、マラリアで発熱のため及ばず、昏倒中のところを米軍に発見されて俘虜となった。レイテ基地俘虜病院にて二ヶ月の静養を取った後、タナウアンの一般収容所、次いでパロの新収容所で俘虜生活を送った。敗戦の報はパロで聞いている。十一月「信濃丸」で出港、十二月には復員している。
さて読書会ですが、参加者それぞれ様々な視点から読後感想が話されました。人それぞれ受け取り方は千差万別で共感することが多々ありました。
私の感想は、『野火』は素晴らしい戦争文学で、その極限状態を克明に描ききっています。しかし戦争はもちろんもっと過酷に違いありません。戦争を知ることは並大抵ではないと思うのです。
そこで、『日本軍兵士』(吉田裕)を併読することを出席者に勧めたのです。実体験を下敷きにしたフィクションの『野火』と戦争を客観的に捉えた『日本軍兵士』です。ミクロとマクロでしょうか。
『日本軍兵士』を紹介します。
■『日本軍兵士』吉田裕、中公新書、2017年
〔ソデ〕310万人に及ぶ犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高率の餓死、30万人を超えた海没死、戦場での自殺・「処置」、特攻、劣悪化していく補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験をせざるを得なかった現実を描く。
●吉田裕著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』が、第12回新書大賞を受賞しました。
本書は、兵士の目線・立ち位置から、過酷さを増した1944年以降の戦争の実態を描いた作品です。戦闘で斃れたと思われがちな兵士たちが、実際には餓死や海没死などの亡くなり方も多かったこと、歯や軍服、軍靴の劣化、過重な装備で悩まされたことなど、兵士たちの現実を描いています。
発売以来、朝日・毎日・読売・日経・産経のほか地方紙などにも書評や紹介が掲載されて多くの反響がありました。また、第30回アジア・太平洋賞特別賞を受賞し、学術面での高い評価も得ています。
本文からその骨子を抜き書きしました。いかに無謀な戦争だったのか、是非本文を読むことをお勧めします。
〔内容点描〕
・第1期 開戦(1941年12月8日)~1942年5月 日本軍の戦略的攻勢期
・第2期 1942年6月~1943年2月 戦略的対峙の時期
・第3期 1943年3月~1944年7月 戦略的守勢期
・第4期 1944年8月~敗戦(1945年8月) 絶望的抗戦期
*アジア・太平洋戦争の死者
・日本人 軍人・軍属230万人(朝鮮人、台湾人5万人) 外地一般邦人30万人 国内50万人 合計約310万人
・米軍 9万2000~10万人、ソビエト連邦 2万2694人 、英軍 2万9968人、オランダ軍 2万7600人
・中国軍 中国民衆 1000万人以上、朝鮮20万人、フィリピン111万人、台湾3万人、マレーシア・シンガポール10万人、その他、ベトナム、インドネシアなど総計で1900万人以上
・1944年以降の戦没者91%
・異質な軍事思想…短期決戦、速戦即決、作戦至上主義、極端な精神主義、「肉薄攻撃」、「特攻」
・日本軍の根本的欠陥…「統帥権の独立」、ミッドウェー島攻略は天皇が指示、「皇軍」、「軍人精神注入棒」
そしてもう1冊、『沈黙の子どもたち-軍はなぜ市民を大量殺害したのか』もいいですよ。知らない「事実」に遭遇しますよ。
■『沈黙の子どもたち-軍はなぜ市民を大量殺害したのか』山崎雅弘、晶文社、294頁、2019/6
〔扉〕
アウシュヴィッツ、南京、ゲルニカ、沖縄、広島・長崎…。軍による市民の大量殺害はなぜ起きたのか。戦争や紛争による市民の犠牲者をなくすことはできるのか。様々な資料と現地取材をもとに、市民の大量殺害を引き起こす軍事組織の「内在的論理」を明らかにし、悲劇の原因と構造を読み解くノンフィクション。未来を戦争に奪われる子どもたちをこれ以上生み出さないために、いまわたしたちにできること。
さらに、以下の戦争体験手記を読みました。自費出版本です。戦争体験を風化させてはいけないですね。
前者は伯母の友人が淡々と書いた九死に一生した手記、後者は義父と同郷の友人から送られたもので戦争を批判的に凝視しています。伯母も義父も亡くなって久しいです。
■『地獄からの生還-ガダルカナル戦 かく生き抜く』櫻井甚作、豆の木工房 1993年
■『ある特務機関員の手記-日中戦争を風化させない』高田一郎、東銀座出版社2006年