後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔208〕こんな偶然があるのでしょうか、吉野弘の詩集が降ってきたようでした。

2019年02月02日 | 図書案内
  吉野弘の詩を愛読するようになったのは、教師に成り立ての頃でした。
 新卒教師の私は、村田栄一さんの学級通信「ガリバー」をまねて、3年生の子どもたちと親に向けて学級通信「仮面ライダー」を発行し始めました。巻頭に詩を掲載するのも村田さんのぱくりです。思潮社の現代史文庫から手当たり次第読みあさりました。黒田三郎、鮎川信夫、茨木のり子、川崎洋…その中の1冊が吉野弘詩集(143ページ、1968年)でした。
 吉野弘の詩は私にとっては平易で読みやすいだけではなく、なにかしら大切な心の機微を発見できるものでした。その本の裏表紙に鮎川信夫のことばがこう書かれています。
「現代における『受難』の意味を、心のやさしさに求めるところにこの詩人に特有の人間性への愛と理解が感じられはすまいか。社会的現実と自我の矛盾に苦しんでいる人間によせる作者のあつい同情は、ともすれば索漠としたものになりがちな現代人の心にうるおいを与えるものになるだろう。」
私は、とりわけ「奈々子に」という詩が好きで、長女の名前にいただいてしまいました。大学での授業通信も「奈々子に」です。

 前ブログに書いた晩成書房40年お祝いの会の後、池袋のブックオフに立ち寄り、ここで下掲の2冊の本を安価で買い求めました。思潮社の吉野弘詩集と重なるものももちろんあるのですが、娘などにあげてもいいかなと思ったのでした。なお、前者は水内喜久雄さんが、後者は本人が選者です。

■『素直な疑問符』吉野弘詩集 (詩と歩こう)、水内喜久雄 (選・著)、葉祥明(絵)理論社 116ページ、2004年
■『贈るうた』吉野弘、新装版、花神社、89ページ、2006年

 詩集を2冊購入してから1週間もたたないうちに浦所街道沿いのブックオフで再び吉野弘詩集を1冊見つけてしまいました。本日のことでした。
 これはなんと長女の久保田奈々子さんが選者で、次女の梅原万奈さんが銅版画で本を飾っているのです。

■ 『花と木のうた』吉野弘、青土社、134ページ、2015年

 さらに驚かされたのは、奈々子さんのあとがきを見て知ったのですが、1972年に吉野一家は狭山市北入曽に移り住んでいるのです。そして出版されたのが『北入曽』という詩集なのでした。私は1976年に狭山市入間川に住居を定めました。娘の奈々子が生まれたのが1979年ですから、吉野一家はごく近くにいらしたことになります。なんという偶然でしょうか。
 さらに奇遇は続きます。今朝の朝日新聞の「天声人語」に吉野弘の「二月の小舟」が紹介されていたのです。こんな書き出しです。

 春の気配を探したくなるが、なかなか見つからない。この時分になると思い出すのが、吉野弘さんの詩「二月の小舟」である。〈冬を運び出すにしては 小さすぎる舟です。春を運びこむにしても 小さすぎる舟です。〉▼2月は短く、そしてまだ寒い。〈川の胸乳(むなぢ)がふくらむまでは まだまだ、時間が掛かるでしょう。〉雪が溶け、川の水が増える春を楽しみに、ゆっくり待ちましょうよ。そんなふうに声をかけられている気がする。…


 この詩の全文を載せておきましょう。


  二月の小舟   

冬を運び出すにしては
小さすぎる舟です。
 
春を運びこむにしても
小さすぎる舟です。

ですから、時間が掛かるでしょう
冬が春になるまでは。

川の胸乳がふくらむまでは
まだまだ、時間が掛かるでしょう


 前ブログに書きましたが、私は『演劇と教育』の編集代表を20年務めましたが、その前の10年間は副島功さんが編集代表を務められていました。副島さんは私が最も信頼する先輩のひとりでした。編集代表を交代してから日本演劇教育連盟の委員長をされていたのですが、病気で退任されることになりました。体調が戻られて、花小金井の喫茶店で久しぶりにお話ししたときにいただいたのが吉野弘の『感傷旅行』(葡萄社)でした。達筆で「吉野弘『新しい旅立ちの日』に捧げて 副島功」と書かれていました。後で私が、「1999年7月2日、喫茶クロサワ」と書き込んでおきました。このとき工藤傑史さんも同席していたはずです。
 「何で本をいただけるのですか。」と尋ねたら「僕も冨田博之さんから本をもらったことがあるから。」と言われました。

 『花と木のうた』には『北入曽』と『感傷旅行』から多くの詩が採録されているのでした。

 ところで、ここまで書き終えた時、前ブログにも紹介させていただいた市橋久生さんから次のような素敵な詩が届けられました。許可を得たので掲載させていただきます。


【入選】『[詩と批評]ユリイカ』2019年2月号(青土社)

 食べる分    市橋久生

あんなにたくさん
食べなくていいんだよな
と、不意に思いがよぎったのは
法要を終えて
帰りの列車を待つ駅のホームでだった
いくつもの皿や椀が眼の前にあった
どこから何から箸をつけていいかわからない
ひとは、あんなにたくさんのものが
いるのだろうか
薄曇りの夕空を見やりながら
自問自答していた

沖縄陸軍病院南風原壕群20号
「飯あげの道」の話が耳奥に棲みつく
ひめゆり学徒隊の少女たちが
砲弾の恐怖に身をひそめ
ぬかるみに足をとられながら
死にもの狂いで
桶をかつぎ駆け上がり駆け下った
傷病兵の命のつなぎ
ひとつとて落とさぬようこぼさぬよう
日に日に食糧は減り続け、そして
おにぎりは「ピンポン玉ぐらい」に

ノーベル賞が話題になって
もったいないがMOTTAINAIになる
それから
食品ロスだのフードバンクだのが
ニュースの言葉になって
「宴会のおしまいに
食べきる時間をとりましょう」
そんな呼びかけはなにかヘン

世界の人口、七十億八十億
ひとは、どれだけ食べればいいのだろう


■選評 水無下気流(みなしたきりゅう=詩人、国学院大学教授、社会学)
 食べる、身体に取り込むことは生命力に通じながら、社会的な過剰はグロテスクさに通じます。このあり方を、奇妙にユーモラスに表現した点が面白いですね。ユーモアの語源はラテン語の「フモール」ですが、これはもともと人体に流れる四種の体液を意味したとか。体幹のぶれない言語感覚を感じます。


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