こんにちはタッキーです。
基本的に働いて帰って気づいたらバタンキューしている日々なのですが、今日は珍しく早く上がりました。さて、あまり変わったことのない私の日常ですが、苦し紛れに最近の出来事を挙げますと、ゲームを買いました。PS4の『信長の野望』というシミュレーションゲームです。私は昔からゲームが好きでして色々やってきましたが、働いているとそうはいかず、自然とゲームからは離れていきました。とはいえ、やはり今でも時折購入してはプレイするのですが、以前よりも熱中できなくなりました。というか、プレイしていると疲れてきます。うーん、年月の変化を感じますね。ゲームというと、すごいくだらないものに思われるかもしれませんが、今ではエレクトリック・スポーツという世界がありますし、ゲームといえど頭を使うものや反射神経が問われる競技性の高いものもありますし、プロのゲーマーというのもいたりします。物語で感動したり、芸術性の高い作品もあるでしょう。そんなこんなでゲームも奥が深いと思います。
まあ、全ての行為は暇つぶしであり、どんなことでも人によってはくだらないものにも見えるでしょう。例えば私はバスケが好きですが、「玉入れ遊び」と言っても案外間違いではないかもしれません。バスケに限らず、一つのボールを中心に何十人もの人がああだこうだする様は、それを知らない人から見たら狂気的にも見えるかもしれませんね。
人間はじっとしていることができない生き物であり、じっとできないというただそれだけのためにあらゆる不幸を招くのだと、「考える葦」で有名なパスカルは述べているそうです。そうだとしたら、じっとできないがために行っている暇つぶしは虚しいことなのかもしれません。
パスカルの述べたことは実は的を得たものです。しかし、暇つぶしが虚しいことであるかといえば、そうではないでしょう。人間がじっとできないのは確かにそうですが、暇つぶしは人生に色どりを与えるだろうし、「暇」というものは一生付き合っていかねばならない事柄です。簡単に切り捨てられるものでもありません。社会の具体的な事象(例えば労働問題)に目を向けてみても、「暇」は確保されなければならないと思います!ただ、その上で暇をどうやり過ごすのかが課題となってくるでしょう。
ここで、唐突ですが久しぶりに本の紹介をしましょう。『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎 朝日出版社 2011年 ※増補新版は太田出版 2015年)という本です。タイトルの通り、「暇と退屈」というテーマについて様々な学問の視点から述べられていきます。上記のパスカルのくだりもこの本に載っています(パスカル自身の著書から引っ張ってこないとホントはよくないと思いますが)。いわゆる「哲学」系の本にあたると思いますが、とても面白くてわかりやすいです(後半の章は難しくなってきますが)。デカルトとかカントとか、ガチガチの哲学書に挑んで挫折しても(こう書いておきながら私も読めません)、この本は最後まで読むことができると思いますので、ぜひぜひ。
なんかゲームの話から一気にはずれましたね。公演が終了し、再びやまと塾では幻の存在と化していくでしょうが、ブログには出没できるよう頑張りたいと思います。それでは。