こんにちはタッキーです。前回の投稿で触れた選挙が終わりましたね。
私も投票に行ってきました。夜勤明けでフラフラでしたが「必ず行く」と心掛けていたので。
結果については・・・まあ私的なブログではないのであれこれ述べるのはやめておきましょう。
今日は何の話をしようかと考えあぐねていたのですが、
頭の中で「自分らしさ」について出てきたので、そのことでちょっと書いてみたいと思います。
「自分らしく生きよう」とか「自分らしさを発揮しよう」とか、場面問わず「自分らしい」云々って言葉は見聞きしますよね。
さて、ここでよくある悩みとして挙がるのは、「自分らしさって何」みたいな問いだと思います。いわゆるアインデンティティーってやつですかね。
よくある悩み、とはいえ確かに「自分らしさ」ってなんだか宙に浮いたような感じでいまいちわかりません。
そもそも、考えてみると自分の中に「自分らしさ」というものがどれほどあるのか疑問です。
というのも、人は各々が育っていく中、その生きてきた環境が自己の形成に大きく影響しているからです。
自分の話し方をとってみても、それは誰かから学んだものであり、また日本語という言語を借りて言葉を発しています。
言葉は自分が生み出したものではありません。
それと同様に、思考や身体動作、慣習等、自分が思っている以上にあらゆるものが周囲から影響されていると思います。j
「いやいや、これは誰にも何にも影響されず自分で思いついたものだよ」と思ったとしても、
気づいていないうちに影響されたこともあるかもしれません(創作活動で生まれるものも自分の経験内の範囲だと思います)。
結局のところ、「自分」というものはあらゆる要素からの借り物に過ぎないのかもしれません。
だから、「自分らしさって何?」という問いに対して一つの答えを出すならば、「そんなものはない」です。
あるのかもしれませんが、困難な自分探しになるのではないかと思います。
「自分らしさ」に囚われてもしょうがないということです。それでも、「自分らしさ」に囚われてしまうからこその悩みではありますが。
ただ、自分が借り物の綜合によるものだからといって、悲観する内容ではないと思います。
色々な環境から影響され、色々なものを借りてこなければそもそも「自分」なんて形成されません。
借り物の集まりでもいいじゃん、という開き直りみたいなものです。
しかし、「洗脳」という形で一方的に貸しつけることもありますので、それは問題として挙げておきます。
さて、「自分らしさとは何か?」という問いと同じかもしれませんが、「本当の自分とは」みたいな問いもありますね。あと、アイデンティティーの意味を調べると「連続する同一のものであること」なんて出てきますね。
もし、また書く気があれば次回も「自分らしさ」について述べるかと思います。それでは。