Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ゴヤ展

2011年11月21日 | 美術
 金曜日の夜間開館に「ゴヤ―光と影」展へ。当日は6時からスライド・トークが開かれていたので、皆さんそちらに行っていて、空いた館内をゆっくり観ることができた。途中でスライド・トークに参加した一団に追いつかれたが、その波が過ぎると、またのんびりした館内に戻った。

 6時に着いて閉館の8時まで。普段は2時間あれば、まず一通り観て、気に入った作品のところに戻って、もう一度じっくり観てちょうど2時間というペースだが、今回はまだ3分の2程度しか観ていないときに、閉館15分前のアナウンスが流れた。とてもじゃないが、最後までは観られない。しかも、後でもう一度観ようと思った作品があったのに、それも無理だ。こういう経験は初めて。

 こうなった原因は、版画および版画のための準備素描が沢山出ていて、どれも面白かったからだ。第一版画集「ロス・カプリーチョス」の奇抜さと第二版画集「戦争の惨禍」の生々しさ。ともに200年前の作品であるにもかかわらず、ひじょうに現代的だ。第三版画集「闘牛技」と第四版画集「妄(もう)」は時間がなくて素通りしたが、じっくり観たらどんなに面白いことか。

 その意味では本展は昨年から続いているブリューゲル、デューラー、レンブラントの各版画展の流れのなかにあるという側面をもつ。

 もちろん油彩画も素晴らしい。素晴らしいというのを通り越して、すごいといったほうがよい。例の「着衣のマハ」では白い衣装の光沢に驚いた。画面右上から左下にかけての対角線上に(つまり画面を最大限につかって)、マハ(小粋な女)が横たわり、膝を軽く前に突き出している。衣装の下に隠された肉体にずっしりした重みがあり、手を伸ばせば触れることができるようだ。

 どんな画集にも載っている「日傘」も、やはりすごい。画集ではわからない透明感がある。同様にタピスリー用の原画である「木登りをする少年たち」はもっと気に入った。題材が満ち足りた上流階級の娘(「日傘」)ではなく、貧しい少年たち(「木登りをする少年たち」)なので、共感しやすいのはもちろんのこと、作品のなかの透明な層に奥行きがあった。

 2008年のプラド美術館展にも来た「魔女たちの飛翔」は、空中を飛ぶ3人の魔女が若い男を貪り喰っている恐ろしい絵だと思っていたが、これは若者に空気=知恵を吹き入れている情景だそうだ。
(2011.11.18.国立西洋美術館)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする