Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

メデア

2012年11月12日 | 音楽
 ライマンのオペラ「メデア」を観た。まださまざまな想いが駆け巡っているが、ともかく一言でいうなら、日本のオペラ界が世界的な水準で現代オペラを上演した――それだけの実力を蓄えた――ことが感慨深かった。

 一番印象的だったのは、下野竜也指揮の読響の演奏だ。これだけ引き締まった、しかも繊細な演奏は、そうめったに聴けるものではない。ドイツのある主要劇場でライマンの「リア」を観たことがあるが、オーケストラは力任せだった(もっともタイトルロールを歌った歌手と演出はすばらしかったが)。

 歌手もよかった。メデアを歌った飯田みち代は、あの困難な歌唱パートを力むことなく歌って、しかも自然な流れを感じさせた。東京ドイツ文化センターでおこなわれたシンポジウムで、ウィーン国立歌劇場の初演のときのDVDを観たが、そのイメージとはちがい、しっとりとした人間味が感じられた。

 他の歌手もよかった。それぞれ一癖も二癖もある役柄だが、それをこなして十分な手応えがあった。そのなかでは、こういうと申し訳ないが、クレオン役は存在感が弱かった。当初発表されていた歌手だったら、もっと癖のある存在になったはずだが――。

 演出は飯塚励生。先述のDVDではもっとウエットな演出だった。今回はクールな演出というか、あまり内面に深入りせずに、突き放した演出だった。その結果、各登場人物の関係がバランスよく表現されていた。

 美術のイタロ・グラッシと衣装のスティーヴ・アルメリーギは懐かしい名前だ。今は亡き若杉弘がびわ湖ホールでヴェルディのオペラを毎年上演していたときの常連コンビだ。当時は美術と衣装を見るのも楽しみの一つだった。今回もよく考えられたものだった。

 ライマンの音楽は、ひじょうに節約された音による、凝縮されたものだった。他には「リア」(1978年)しか知らないが、それにくらべて、ずっと禁欲的になっている。しかも劇的インパクトは強い。この変化はヤナーチェクに似ている気がした。ヤナーチェクも晩年にむかってぐっと凝縮されていった。その道を歩んでいるのだろうか。

 ライマンがこの題材で書いた理由はなにか。わたしなりに受け止めたことは、孤立無援の状況を描きたかったのではないか、ということだ。それは人間だれしも陥る可能性のある状況だ。そのときの人間の行動と、そして尊厳を、ライマンは描こうとしたのではないかと思った。
(2012.11.11.日生劇場)
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