Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2018年05月10日 | 音楽
 高関健らしいよく考えられたプログラム。1曲目はムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」(原典版)。原典版は、CDはもちろん、実演でも聴いたことがあるように思うが、今回ほど衝撃力のある演奏は初めて。冒頭のトランペットの刻みからして、リムスキー=コルサコフの編曲版では記憶にない音が混じっている。その後の展開でも(よい意味で)予想が裏切られる。高関健の指揮は原典版の尖った部分を強調しているかのよう。おもしろいことこの上ない。

 2曲目はニールセンの交響曲第6番「素朴な交響曲」。全6曲あるニールセンの交響曲の中で、この第6番は一風変わっている。第4番「不滅(滅ぼし得ないもの)」や第5番は、第一次世界大戦との関連で、愛国的ロマン主義の面で理解しやすいが、第6番になると抽象化が進む。それが捉えがたい。

 第6番だけではなく、その後に書かれたフルート協奏曲とクラリネット協奏曲も同様だが、それらの作品群は、抽象化が進む中で、奇妙な皮肉とか、おどけとか、突然の躁状態とか、何かそんなものが紛れ込む。

 そのように、ニールセンは最晩年になって、じつに風変わりな、前代未聞の境地に至ったと思うが、それがおもしろく、また現代においても謎の部分を残す。だから、というべきだろうが、妙に現代的でもある。

 そういう第6番は、演奏する側からすれば、難しい面があるだろう。今回の演奏は、聴いている間はひじょうに楽しんだが、聴き終わったときに、少し重かったかな、という感じがした。重かったというのは、リズムが重かったということではなくて、浮き浮きした気分に欠けていたということ。もしかすると、楽員の中には、未消化の人がいたかもしれない。もしいたとしても、それは仕方がない。経験の積み重ねの長い道程の一部だ。

 以上2曲が前半。高関健はこの前半で、オーケストラを新しい挑戦へと導き、また聴衆を未聴感の世界に誘った。そして後半は、その埋め合わせを図るように、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏は清水和音。

 清水和音の、太く、張りがあって、輪郭のはっきりした音は、一つの個性であることは確かだし、清水和音は一切ブレないので、もう何もいうことはない、という演奏。その個性というか、価値観を認めて、立派に構築された演奏を楽しもう、そう割り切った。

 アンコールに弾かれたショパンのノクターン第10番も同様の演奏。
(2018.5.9.東京オペラシティ)
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