藤岡幸夫指揮東京シティ・フィルの定期。プログラムは前半が千住明(1960‐)の「月光-尺八、十三弦とオーケストラの為の-」と大島ミチル(1961‐)の「箏と尺八のための協奏曲-無限の扉-」、後半がショスタコーヴィチの交響曲第5番。
あらためていうまでもないが、藤岡幸夫は東京シティ・フィルの首席客演指揮者に就任して以来、日本人の作品とイギリス音楽とをプログラムの柱にしている。今回は日本人作品が2曲プログラムに組まれた。しかも邦楽器を使った作品である点が今回のプログラムの特徴だ。
また作曲者の千住明と大島ミチルは、クラシック音楽だけではなく、テレビ番組、映画、アニメ、CMなどで幅広く作曲活動を続ける人である点も特徴だ。そんな二人の作品なので、今回演奏された2曲は難解な現代音楽ではなく、耳に馴染みやすく、すっと入っていける曲だ。なんの予備知識もいらず、初めて聴いた人でも親しめる。そういう音楽を定期演奏会で取り上げるのも藤岡幸夫のカラーのひとつだろう。
千住明の「月光」は文字通り月夜をイメージさせる曲だ。約8分の音画だと思って楽しめばよいのだが、発展性がないので、わたしは物足りなかった。もうひとつ、オーケストラがモヤモヤしていたことも、楽しめなかった一因だろう。
大島ミチルの「無限の扉」は楽しめた。オーケストラのモヤモヤ感がなく、フランス近代の音楽のような明るい透明感があった。全3楽章、演奏時間約20分の堂々たる曲だが、少しももたれず、サラッとした爽快感があった。なお、言い遅れたが、以上2曲の独奏者は、尺八が藤原道山、十三弦/箏が遠藤千晶だった。
ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、音量が通常の1~2割増しの、大声でまくしたてるような演奏だった。もちろん第3楽章などは抑えに抑えた音量なので、一概にはいえないのだが、指揮者がクライマックスと捉えた箇所では、大音量の激烈な演奏になった。東京シティ・フィルは高関健に鍛えられたアンサンブルで応えたが、今回のような指揮者の要求が続くなら、アンサンブルが荒れる懸念がある。
藤岡幸夫はプレトークで、第4楽章のコーダについて「金管のファンファーレがフォルテ2つなのにたいして、弦の刻みがフォルテ3つなので、今回はその通りにやる」といっていた。たしかにそうやったが、そうすると異様な効果が生まれた。それは強制された歓喜(=金管のファンファーレ)を民衆が必死になって担う、その苦しさ、あるいは抵抗を表しているように感じられた。
(2021.9.3.東京オペラシティ)
あらためていうまでもないが、藤岡幸夫は東京シティ・フィルの首席客演指揮者に就任して以来、日本人の作品とイギリス音楽とをプログラムの柱にしている。今回は日本人作品が2曲プログラムに組まれた。しかも邦楽器を使った作品である点が今回のプログラムの特徴だ。
また作曲者の千住明と大島ミチルは、クラシック音楽だけではなく、テレビ番組、映画、アニメ、CMなどで幅広く作曲活動を続ける人である点も特徴だ。そんな二人の作品なので、今回演奏された2曲は難解な現代音楽ではなく、耳に馴染みやすく、すっと入っていける曲だ。なんの予備知識もいらず、初めて聴いた人でも親しめる。そういう音楽を定期演奏会で取り上げるのも藤岡幸夫のカラーのひとつだろう。
千住明の「月光」は文字通り月夜をイメージさせる曲だ。約8分の音画だと思って楽しめばよいのだが、発展性がないので、わたしは物足りなかった。もうひとつ、オーケストラがモヤモヤしていたことも、楽しめなかった一因だろう。
大島ミチルの「無限の扉」は楽しめた。オーケストラのモヤモヤ感がなく、フランス近代の音楽のような明るい透明感があった。全3楽章、演奏時間約20分の堂々たる曲だが、少しももたれず、サラッとした爽快感があった。なお、言い遅れたが、以上2曲の独奏者は、尺八が藤原道山、十三弦/箏が遠藤千晶だった。
ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、音量が通常の1~2割増しの、大声でまくしたてるような演奏だった。もちろん第3楽章などは抑えに抑えた音量なので、一概にはいえないのだが、指揮者がクライマックスと捉えた箇所では、大音量の激烈な演奏になった。東京シティ・フィルは高関健に鍛えられたアンサンブルで応えたが、今回のような指揮者の要求が続くなら、アンサンブルが荒れる懸念がある。
藤岡幸夫はプレトークで、第4楽章のコーダについて「金管のファンファーレがフォルテ2つなのにたいして、弦の刻みがフォルテ3つなので、今回はその通りにやる」といっていた。たしかにそうやったが、そうすると異様な効果が生まれた。それは強制された歓喜(=金管のファンファーレ)を民衆が必死になって担う、その苦しさ、あるいは抵抗を表しているように感じられた。
(2021.9.3.東京オペラシティ)