Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鳥のカタログ

2008年11月03日 | 音楽
 児玉桃がメシアンの「鳥のカタログ」を演奏した。メシアンは20世紀フランスを代表する作曲家の一人で、今年は生誕100年に当たる。そこで、さまざまな作品が演奏されているが、この演奏会もその一つだ。

 「鳥のカタログ」は独奏ピアノ曲集で、第1巻から第7巻までの合計13曲から成る。それぞれの曲には鳥の名前がつけられている。ただ、標題の鳥だけではなく、さまざまな鳥が登場して鳴き交わす。さらに驚くべきことには、鳥たちが生息する岩山や海、さらには沼などの自然環境も音にされ、また、夜明け、真昼、日没、深夜といった時の推移も音で描かれる。つまり鳥の棲む世界が丸ごと音にされているのだ。こういう感性あるいは知性はいかにもヨーロッパ的で、日本人にはないものと思うが、どうだろうか。
 ともかく、こういう曲が13曲続く。演奏会は午後2時に始まり、終わったのは5時20分だった。途中15分の休憩が2回あったものの、長い演奏会だった。プロの演奏家のスタミナはたいしたものだ。一方、きいているこちらは、ぐったり疲れてしまった。すべての曲が瞬間の感覚の連鎖で、先の予測がつかず、常に神経を張り詰めていなければならなかったからだろう。

 各曲は一種の音画だ。メシアンはそれぞれ、ある特定の場所で、特定の日時にそれらの鳥をきいて、そのときの情景をイメージの核にして音楽をかいている。しかも、親切なことには、その情景を解説にかいて残してくれた。
 しかし、実際の演奏会では、解説が十分に頭に入っているわけではなく、結局は純粋音楽として、つまり、拍節にとらわれないリズムとか、調性からはなれた音程とか、不思議な色彩の和声とかのアプローチできいているのだ。そのギャップがこの曲のききかたの難しさの所以だと思った。
 各曲は、ちょうど真ん中に位置する第7曲(この曲がもっとも長大で約30分かかる)を中心にして、ほぼシンメトリックに配置されている。前後の第6曲と第8曲は短くて愛らしい曲だ。私としては最後の第13曲に惹かれた。茫漠とした情感がこの曲集としては異例だ。

 全体は自然賛歌であることはまちがいない。また、一方で、音楽的な語彙の拡大の試みであることも確かだ。だが私は、それにとどまらないのではないかと思い始めている。メシアンは敬虔なカトリック信者で、三位一体説はその重要なテーマだったが、父と子と聖霊のその聖霊に近い存在として鳥をとらえていたのではないか。聖霊は、絵画では一般的に鳩で表わされるが、これを各種の鳥として表現したのでは。

 児玉桃の演奏は13曲すべてが均質の出来だったかどうかは分からない。できれば今後も継続して取り上げて、さらに磨き上げてほしい。その道程を私も共に歩みたい。
(2008.11.02.フィリアホール)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寺家ふるさと村 | トップ | 追悼ジャン・フルネ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事