25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

大グーチ

2015年06月09日 | 日記
今日は僕のミスから、気分よくなれず、こころも乱れたので、マックでコーヒーを飲み、それから、もっとこころを乱してやろうとヴェートーヴェンの最後の四重奏「大フーガ」を聴いた。胸をかきむしるような曲だ。ヴィオラやチェロはいわゆる刻みをやり、第一、第二バイオリンが高音から低音までを駆使して、弾きまくるのである。甘さも、哀愁もない。大フーガだ。考え事などしていたら、容赦なく「聴け」と言ってくる。邪魔だとスイッチを切るだけのことであるが、「切るな」と言ってくる。「ほら、ここから、集中して聴けよ」と言ってくる。わずか15分に曲であるが、こころの乱れも落ち着いてくる。たいした問題ヴェートーヴェンは。
さて次に何を聴こうかと考えて、同じくヴェートーヴェンの「弦楽四重奏13番」を聴く。それが終わったら、軽快な
高い声でケラケラと笑うような明るい曲を聴こうと予定をたてる。交響曲40番などがいいかもしれない。

今日のミスは情けなかった。気楽に考えていた。ところがそれを知った相手先からは不信の言葉がきた。なんともやりきれない。でも、まあしかたがない。音楽で圧倒されてしまおうということにしたのだ。
気を取り直して、40番をかける。やはりモーツアルトは天才だ。この人は洗い流してくれる力をもっている。今の僕にはそう思える。
大グーチで失礼しました。


ジョルジュサンドとガラ

2015年06月09日 | 映画
ジョルジュサンドという1800年代を生き、数多くの芸術家と恋をして72歳まで生きた女性。

この彼女の長い人生の中でショパンとの同棲は8年だった。39歳で長い肺結核の末に死ぬまでの時期である。ショパンより6歳の年上だった。カールマルクスとも深交があり、当時のパリでは有名な女流作家であった。映画「ショパン」では、ポーランドからパリにやってきたショパンの天才性を一瞬で見抜く。そういう鋭い勘をもっているのだ。当時のピアニストではリスト以外に彼の楽譜を見て弾ける人はいなかったかもしれない。多くの人は保守的で、真似をするか、ちょっと新しいかぐらいのものを受け入れるものだ。それは今だってかわらない人間の属性ですらある。
彼の作り出す音楽は自分の書くものなどと比べ物にならない、石ころとダイヤモンドの違いくらいに感じる。世界への普遍性をもつものだと、それゆえに厳しくそだてたショパンの違い父と同じ思いを強く抱く。8年。献身的にショパンに尽くすが、ショパンは以前かかった肺炎が、やがて強い肺結核になってしまう。感染性の強い結核だといわれ。
ショパンのピアノ曲はショパン独特である。ショパンでしか作り得ないメロディーライン、鍵盤の動き方。後世、ショパンに対等に張り合えるのは、ドビュッシーでばないか、とか、ジャズというジャンルもでてきたから、ビル・エヴァンスなどもいれていいのかもしれない。
スペイン画家ダリの妻であるガラという女性も面白い女性であった。彼女は作家ではないが、シュールリアリズムの担い手たちをとても上手に励まし、マネージングした。ダリは彼女なしでは生きられなかったが、他の男にくっついていき、病気になってダリのところに戻ってきた。ダリはガラを看病し、やがて彼女が死ぬと、悲嘆のあまり引き込もってしまった。絵も描かなくなった。

まあ、すごい女もいるものだ。



肥満

2015年06月09日 | 社会・経済・政治
 コマーシャルで、湖があって、その前にレストランがある。そこにふたりのカップルが車でやってきて、止まる、というとてもカッコイイのが数年前にあった。これがヨーロッパだ、といわんばかりであった。あれはイタリか、ドイツか、オーストリアかどこかはわからないけれど、西洋人というのはスーツも蝶ネクタイもよく似合うし、女性はドレスもよく似合わす。素敵である。毎年アメリカでのアカデミー賞の番組があるが、そこに出てくる女優達のドレスもすばらしい。歩き方だって最高のものだ。

 僕は日本が当然好きで、ましてやふるさとである尾鷲を離れられないのだけれど、愛と憎しみは表裏一体のように日本が憎らしいと思うことも多い。特に日本の「民主主義」などは憎らしいし、似合わないジーンズも憎らしい。

 それでもずいぶんと今の若い人たちは着こなしもうまくなってきた。隠すべきところを隠すとか、自慢のところは見せるというようになっている。
 30代、40代は外食が少なく、馬鹿飲みも慎み、内食、内会食で、節度よく暮らしているというデータも先日発表された。

 構造主義と言ったって、西洋文明の波にはかなわない。とにかく利便性がある。しかしカッコイイのもコマーシャルや雑誌広告や映画ででてくるちょっとした人たちで、西洋文明の行き着いている先は「肥満」だ。
 ほとんどの人が日本人とは違った、巨大な肥満である。僕は以前、「豚の帝国」とアメリカを揶揄したことがあるが、これはオーストラリアもロシアも、同じで、まだヨーロッパはましなほうなのかもしれない。なぜかというとヨーロッパの映画の背景にはややアメリカより「肥満」は少ないからだ。実際はよく知らない。ヨーロッパの気候はたいへんなものらしい。であればそれに立ち向かうヨーロッパの人々はあんまり太らないのかもしれない。

 フランスではBMI(体内脂肪度)が18以下のモデルを使うことが禁止された。それはそれでさすがにフランスだと言いたくなる。アメリカもこれ以上肥満になったら、罰するぞ、ぐらいいたほうが国が長持ちするかもしれない(これは冗談です)。

 肥満大国では戦争の地上戦もできないから、「殺すという実感のない」武器ばかりを作っているのが肥満大国の自らの弱さを知った上で、克服する戦術ではないかと思うことすらある。

 あれ、妙なふうに文が展開してしまった。まあ、これもブログだからこそ、なせる技でもあるか。