25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

女の決闘 太宰治版

2015年07月03日 | 文学 思想
今は「青空文庫」というアプリがあって、スマホでもタブレットでも著作権が終わった本はこれですべて読めます。漱石の本も太宰治の本も、全部読めます。2年前は漱石の本を手紙からまえがき、予告、本文、それに漱石に関する評論、例えば江藤淳の「漱石とその時代」なども読みました。漱石については結構物知りになったのです。学生時代に全部読んで、40年ぶりぐらいにまた全部読んだというわけです。昨年から現在までは村上春樹を全部読んでいるところで、あと残すところ一冊なので、これは最後の宝物みたいに、18年ものの余市ウイスキーの最後のシングルといったところで、まだ残してあります。その間に、有吉佐和子の「青い壺」と「悪女について」と「開幕ベルは華やかなに」と、新しい研究を披露した「細胞について」を読みました。そんなとき、ふと僕が敬愛する吉本隆明のライブ映像が糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」で無料公開されているので、どれどれと見ていましたら、吉本隆明が太宰治の「女の決闘」について話をしているのです。パソコンの前で聴いているのももどかしいので、読んでみることにしました。この「女の決闘」というのは森鴎外が翻訳したものです。ですから作者は別にいるわけです。この森鴎外の「女の決闘」を読むのでしたら、「青空文庫」で約20分ほどのものです。太宰治はこの「女の決闘」を下敷きにして、想像力をたくましくして、男の視線からも描くのです。

 ある作家には医科学生の愛人がいます。作家は愛人だと思っていますが、女子学生はそんな風には思っていません。彼女は拳銃の名手でもあります。彼女が下宿に戻ると、テーブルの上に置き手紙があります。作家の妻からのものです。「あなたは私が想像しますに、決して私の申し出を断るような責任逃れはしない方でしょう」とかなんとか書いてあり、拳銃での決闘を申し出し、翌朝の10時半に、と場所も書いてあるのです。奥さんのほうは拳銃を触ったこともなく、拳銃屋に行って、拳銃を買い、店主から打ち方をずいぶんその日、長く教わるのです。
 場面は翌日です。二人は停車で会い、白樺のある方へ歩いていきます。奥さんの方がさっさと歩き、女子学生は話しかけようとしてもそれを無視するかのように速足で前を歩いていくのです。

 所定の場所で互いに背を向けて12歩歩きます。そして6発の弾を交互に撃つことになります。奥さんは「あなたからどうぞ」といい、女子学生は撃ちます。一発目は当たりませんでした。今度は奥さんの番です。これも当たりませんでした。二発目もあたりません。三発目、四発目、五発目と当たらず、女子学生は逆上してきます。奥さんのほうも朦朧としています。女子学生は最後の六発目を撃ちます。当たりませんでした。奥さんの方の最後の六発目、意識が霞む中で、中心に白いものが見える(これは女子学生の服です)ので、それに向かって朦朧として撃ちました。するとその白いものが落ちたのです。

 奥さんは拳銃を捨てて、必死で走ります。そして復習の喜びなどはないことを確認します。よろよろと役場に行き、「私は人を殺しました。檻に入れてください」と懇願するのです。役所の人は気が狂っているのか、と思うのですが、彼女の言う、決闘の場所に役人を行かせ、女子学生が死んでいるのと、拳銃が二丁あるのを発見します。決闘が正当なものならば、当時は罪にはなりませんでした。彼女は夫には決してこないようにしてほしいと役所に頼み、誰も来ないようにと懇願し、審査を受けるのですが、矛盾だらけのことを行って、日にちをのばそうとします。そしおて1ケ月以上もたった頃、彼女は餓死をして死んでいるのを役人がみつけるのです。牧師さんも来るものですから、来ないえほしいという手紙を残しています。

 これは森鴎外の方のストーリーです。太宰治はこれに男性の視点からと太宰治の視点からを織り交ぜて、物語を膨らませています。森鴎外のものは20分で読めますが、太宰治のは1時間20分かかります。そして見事なのです。
 このストリーに心理描写、風景描写、からくりを入れていきます。

 戦争中の作品です。戦争に背を向けた数少ない作家です。この頃の太宰治は一番の精神的安定期だったのかもしれません。「右大臣実朝」も書いており、魯迅の日本で過ごした青年時代を描いた「惜別」という作品も書いております。
 それで、青空文庫で、「春の盗賊」とか「駆け込み訴へ」とか「ヴィヨンの妻」とか読みまして、ええい、全部読んでしまおうかな、と思っているところです。確実に百年後も読まれる作家だと思います。比喩もうまいし、皮肉もうまいし、自虐的なところも読ませるものがあります。そして何よりも、人間というものは数秒の間に、善いことも、悪いことも、いろいろな考えが浮かぶものであることを見事にか書き換えております。
 森鴎外が生きていたら、絶賛したか、負けじと森鴎外も翻訳だけではすまさず、森鴎外版を書いたかもしれません。