やっと静かな日常が戻った。ちょっと考えてしまう。年末年始はどこかへ逃げ出そうか。孫がまだ乳幼児期、いや小学生までは主人公で、来たら放っておくわけにもいかない。JRの腹立たしく高い料金を払ってくるのである。孫たちの成長を目の当たりにすれば、必然的に自分は死に近づいていくことをより自覚するのである。
自分が孫だった頃、ばあさんは小遣いをくれる人で、ばあさんがどんな人生をおくり、今なにを思っているのか考えたこともなかった。ぼくが孫を卒業する頃はもうばあさんは精神的には遠いところにいて、なんとなく死んでいった。悲しみに溢れるのでもなかった。父方のばあさんは夫を早くに亡くし、女てひとつで四人の子を育て、最後は布団の中で脳溢血を起こしたらしく、三日後に回復することなく病院で死んだ。母方のばあさんも夫が相撲を見ていて死んだのはまだ四十代だった。このばあさんはおおらかではなく、うるさく、ぼくは嫌いだった。母が離れの部屋を建て、面倒をみていた。癌だった。寝込んで三年ほどで死んだと思う。
ばあさんのことを思いだしても、孫たちとじいさんはさらに遠く、身内ゆえの虚無感さえ感じる。「もう連れてこなくてええよ。会いたいときはこっちからいくから」と言っていいのだが、小学を卒業するまでぐらいのことだから辛抱と思い耐えている。まあ、耐えていると言っても孫は可愛く、面白いときも多いのではあるが。
一日が自分中心で動いているのが孫中心となる。利己的な自分なのである。年に2回のことだ。
自分が孫だった頃、ばあさんは小遣いをくれる人で、ばあさんがどんな人生をおくり、今なにを思っているのか考えたこともなかった。ぼくが孫を卒業する頃はもうばあさんは精神的には遠いところにいて、なんとなく死んでいった。悲しみに溢れるのでもなかった。父方のばあさんは夫を早くに亡くし、女てひとつで四人の子を育て、最後は布団の中で脳溢血を起こしたらしく、三日後に回復することなく病院で死んだ。母方のばあさんも夫が相撲を見ていて死んだのはまだ四十代だった。このばあさんはおおらかではなく、うるさく、ぼくは嫌いだった。母が離れの部屋を建て、面倒をみていた。癌だった。寝込んで三年ほどで死んだと思う。
ばあさんのことを思いだしても、孫たちとじいさんはさらに遠く、身内ゆえの虚無感さえ感じる。「もう連れてこなくてええよ。会いたいときはこっちからいくから」と言っていいのだが、小学を卒業するまでぐらいのことだから辛抱と思い耐えている。まあ、耐えていると言っても孫は可愛く、面白いときも多いのではあるが。
一日が自分中心で動いているのが孫中心となる。利己的な自分なのである。年に2回のことだ。