25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

30年の停滞

2019年02月10日 | 社会・経済・政治
 泉佐野市の100億円キャンペーンも、Paypayの100億円還元もデフレ現象のひとつだと思う。消費者から言えば安くなるのだから結構なことだ。これがダメだというのなら、賃金を上げるしかない。企業が内部留保金を吐き出し、設備投資にだすか、人材育成や研究費にだすか、市場を新たに開拓するかしかないわけで、それが見込めないから賃金が上がらないのである。つまり労働力が不足しているというが、景気がよいために不足しているのではない。生産年齢人口が減っているからだ。一億総活躍社会というのも、夫婦共働きでないと一定の生活水準を保てないからだ。
 この30年間での日本企業の衰退は著しい。
 思い出すよい例がある。
 バリ島に通っていたとき、まだスマホが登場していないときだ。携帯電話をもっていくと、日本のはバリ島内で使えないのだ。一度日本を経由するらしい。いろいろな機能があって素晴らしい携帯電話なのだが使えない。ところがフィンランドのノキアの携帯はシンプルそのもので、電話ができ、しかもプリペイもできて、安い。日本の携帯はその後世界を席巻することもなく、iPhoneスマホの登場でIT世界は激変し、日本の電機企業は格下になってしまった。
 新しいイノベーションに政府がお金を使うこともなく、旧態依然としたオリンピックの箱もの、ホテルという箱もの、災害復興のための土建工事にお金を注いでいる。これでは発展のしようがない。特区をつくって獣医学部を許可する。それが大きな産業を生み出すというのだろうか。

 田原総一朗が共産党の議員をからかっていた。国鉄、電々公社、専売公社の民営化が当たり前のように、討論番組に参加している人に「民営化反対の人.手を挙げて」と言って、「共産党はなんだって民営化に、反対でしょ」と言ってからかう。またその若い共産党議員も上手い反論ができない。「競争のない独占的な民営化は断固反対だ。なぜ、国民の資産を一社にまかせ、国民は株主の利益分までお金を払わなければならないのか」と共産党議員は言えないのか。首を傾げてしまった。
 日本の停滞のひとつにJRの高値があると思う。それとコンピュータと相性の悪い日本語。変換手間だけでも時間にするならたいへんなものだ。
 
 競争相手がいない民営化など許すべきでない。切符代に株主配当を折り込むなどとは奇妙な話だ。JRの鉄道資産は国民のものではないか。
 JRは長い間新幹線を走らせながら世界への売り込みをしてこなかった。遅すぎた。腰が重かった。今リニアを開通させようとしているが、リニアを世界に売るような機運もない。まあ、そもそもリニアが日本にいるのかという疑問もあるが、中国は自国でリニアより速い超高速鉄道を走らせる計画でいる。アメリカでは空飛ぶ車も飛び始める。
 30年前の新自由主義が今頃また日本に押し寄せている。元小泉政権が格差社会を作ったではないか。郵便局までも売ってしまったではないか。日本が売りつくされて、やがて債権までも外国に売られるようになる。
 電機産業企業はリストラの嵐である。銀行も同様である。それで外国人労働者に働きにきてもらい、賃金が上がらないシステムを作る(ように思えてならない)

 よい製品を作り、職人を尊ぶ日本は職人のガラパゴスとなった。

 年金が支払われないようになったら、日本社会も終わりである。もっと言えば支払われるのだが、そのお金の価値がなくなれば支払われないのと同じである。年金機構が株式に国民から 預かったお金を株式に投入している。日銀も株を買い、株式市場のコントロールをしている。それにより株をする人は大きく損をすることなく売り買いを続けることができるが、そんなことをいつまで続けられることだろう。

 政府だけが景気の良さをアピールしてアベノミクスを自画自賛している。実情は空き家をつぶして空いた土地さえ売れないという経済状況なのだ。