この前、曽根の庭で雉がピョコピョコと歩いていて、美しい鳥だなあと思いながらみとれていた。次に谷中の雉丼の店に何度か行ったことを思いだした。なんてことはない昔の労務者が昼に寄るような食堂だったが、脇の個室に池波志乃と中尾彬夫妻がいた。穴場の店としてJALのウィングという雑誌でこの店が紹介されていた。歯ごたえもよく、タレも旨かった。
ちょうどその頃は池波正太郎の鬼平や剣客商売などを愛読していて、ちょっと食通めいたことをしてみたかった時分であった。
よく尾鷲と東京を行き来していた。結局馴染みとなって定着した店はなかった。幾つかの店は思い出として残るだけだ。
もう二月も半ばになってきたのに、鰯が獲れない。小さなカレイが揚がったらしく、昭子さんの家の前でツナギとして干してあったのをみた。すると知り合いの女性から電話がかかってカレイあるよって明日昭子さんとこへ行ってこい、と言う。するとぼくの分を作って置いてあった。鰯の話になったが、さっぱり獲れんという。サンマもイワシも獲れずでは尾鷲の市場はどうなるのだろう。黒潮は貧しい潮で、岩礁に当たってこそ泡立ってプランクトンんがわく。イワシをとる漁師がいなくなったのか、水温が高く、通り道が変わってしまったのか。毎日チェックを入れているのだが、いまのところ朗報がない。
ちょうどその頃は池波正太郎の鬼平や剣客商売などを愛読していて、ちょっと食通めいたことをしてみたかった時分であった。
よく尾鷲と東京を行き来していた。結局馴染みとなって定着した店はなかった。幾つかの店は思い出として残るだけだ。
もう二月も半ばになってきたのに、鰯が獲れない。小さなカレイが揚がったらしく、昭子さんの家の前でツナギとして干してあったのをみた。すると知り合いの女性から電話がかかってカレイあるよって明日昭子さんとこへ行ってこい、と言う。するとぼくの分を作って置いてあった。鰯の話になったが、さっぱり獲れんという。サンマもイワシも獲れずでは尾鷲の市場はどうなるのだろう。黒潮は貧しい潮で、岩礁に当たってこそ泡立ってプランクトンんがわく。イワシをとる漁師がいなくなったのか、水温が高く、通り道が変わってしまったのか。毎日チェックを入れているのだが、いまのところ朗報がない。