南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆当然ネガティフ

2020-07-24 22:16:14 | 体験

 4206 昨日のテストの結果が出ました。当然、ネガティフでした。15時過ぎに昨日の病院へ行った。同じセキュリティーが対応してくれて、外のデスクの横に座っていたら、中から、封筒に入った結果表を持ってきてくれた。

私の名前を確認し、結果も確認した。表は二枚になっていた。そして、同時に言われたこと、有効期限は三日だよと、へ~~、受ける前に聞いておけばよかった。パンガンダランは10日後だ。もっとも、念のためと体験ということなので、ま、いいか。ま、私の持論は、こんなテストの結果で、どこかへ行けるとか入れるとか、意味ないじゃん、だって、血液採取した直後に、コロナウイルスを吸い込んでいるかもしれないよ、次の日に、血液採取すれば、ポシティフだってありうるね、だからだ。

 本当に必要の方、参考になると思いますね。

 ついでに、ファーマーズマーケットで1週間分の食材の買い物をした。駐車場から、先ほど寄った病院です。

 

 

昨日、21日から、政府のスポークスマンがユリアントさんからウィク・アディサスミトさんに代わったが、不思議なことに、その一回だけの報道で、それも、青の長方形の中の、その日、一日の数字の変化の報道がなくなってしまっていた。

 それを、見た人たちから、なぜ変えたのか、ユリの方がよかった、戻せというコメントが殺到したようだ。それを気にしたのか、昨日と今日のアップデートにウィク・アディサスミトさんの報道は出てこなかった。

 だから、私は、他の報道からその日の感染者に関する数字の表を拾っている。だから、ここ何日かの表は以前と違う。

 

update corona 23 Juli 2020

https://www.youtube.com/watch?v=ay1BhiR1xYc

  1. Jumlah kasus positif bertambah 1.906 menjadi 93.657 1. 陽性症例数は1.906件増の93.657件。
  2. Jumlah pasien sembuh bertambah 1.909 menjadi 52.164 2. 回復患者数は1.909人増の52.164人
  3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 117 menjadi 4.576, 3. 死亡患者数は117人増で、4.576人

今日も、現陽性者が少なくなりましたね。これに、新感染者数が減るようになれば、そこがピークということでしょうか。8月中旬前に、そうなってほしいものです。

今日がコメット最接近の日だ。夕方の北と東の空、快晴だ、そして、月はない。しかし、夜中、一列になるといわれている惑星がいくつか見えただけで、それ以外の星は全く見えなかった。

彗星 隕石 惑星直列

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(^_-)-☆体験ラピッドテスト

2020-07-23 22:39:34 | 体験

 4205 日本の新規感染者の数、人口比から見ると、インドネシアと同じになりましたね。まだ増え続けそうなのも、不潔でマスクをしないし、密集が好きなインドネシアと同じですね。いよいよ行き来は難しく遠のきますね。

 

コロナ、ラピッドテストを受けに行ってきた。場所は、ジャバベカゴルフの2番ホールの外になるファーマーズマーケットの前の道を隔てて右筋向いにある。こじんまりとした病院、Rumah Sakit Metro Hospitals Cikarang、以前、BNIがあったビルだ。

それらしき受付があったのを確認してあったので、迷わず行ってみた。外のデスクにセキュリティーがいて、“Surat bebas coronaスラット ベバス コロナ“を欲しくて来たと言ったら、すぐに右前に設置されているテントの中に案内され、名前や住所、勤務先などを書いた。

しばらく、外で待っていたら看護婦が二人、血液採取などの道具を抱えて出てきて、テントの中に入っていた。そのあとに着いて、もう一人の希望者と一緒にテントの中に入った。すぐに手数料15万Rp(千円ちょっと)を払った。先にもう一人がテントの中の奥に部屋に入って、5分も掛からないうちに、終わったといって出てきた。次いで、私、すぐに血液採取を2CCほどされた。それで終わり。テスト風景の写真では、鼻の奥に綿棒のようなものを差しこんで粘膜を採取、それは、ちょっと、いやだなと思っていたが、それはなし。3時間ほどで結果なでるという、終わったのは14時前だったから、今日の夕方以降、何時でもいいから結果を聞きに来てほしいといわれた。明日、気が向いた時間に行くことにする。

日本人が来たのは初めてだと言われた。どこかへ行くためかと聞かれた。必要ないと思うが、パンガンダランへ行くためだと答えておいた。

領収書は39,8万Rpになっている。

 

update corona 22 Juli 2020

https://www.youtube.com/watch?v=frpk7gXVpYQ

  1. Jumlah kasus positif bertambah 1.882 menjadi 91.751 1. 陽性症例数は1.882件増の91.751件。
  2. Jumlah pasien sembuh bertambah 1.789 menjadi 50.225 2. 回復患者数は1.789人増の50.225人
  3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 139 menjadi 4.459, 3. 死亡患者数は139人増で、4.459人

また、現感染者は46人少なくなりましたね。治った人も死者も多かったからですね。しばらく、このせめぎあいが続くでしょう。

 

Petugas jenozah dipukul kularga pasien https://www.youtube.com/watch?v=5BVjLnslzE8

コロナで亡くなった人を埋葬するする人が、家族に殴られた。一体、何がったのでしょうかね。それにしても、この家族、無防備ですよね。

Jaringan Narkoba Kampus Dibekuk, Ada Mahasiswa dan Tukang Ojek

学内の麻薬組織が逮捕された。学生とバイクタクシーの運転手。

Penyembelihan hewan kurban saat pandemic covid-19

https://www.youtube.com/watch?v=yxLDtcl4RaI

https://www.youtube.com/watch?v=9NKFMy9UXNc

Sidang Isbat Idul Adha Digelar Kemenag,Mui dan Komisi V111 DPR

 

Jangan Terkecoh, Berikut 3 Saran Palsu Terkait Pencegahan Virus Corona Covid-19

だまされてはいけません、ここにコロナCovid-19ウイルス防止に関する3つの誤った提案があります

  1. 1Memakan bawang putih bisa mencegah covid-19 1. にんにくを食べることは、居心地の良い 19 を防ぐことができます。タマネギを消費するFacebook上の多くのアップロードは、コロナcovid-19ウイルスを防ぐことができます。ニンニクに関しては、証明されていないそうだ。

  1. Membuat hand sanitiser sendiri 2.あなた自身の手の消毒剤を作成する

ソーシャルメディア上の多くのアップロードは、自宅で簡単に手指消毒剤を作成する方法を示しているが、残念ながら、手の消毒剤のレシピだけでは真実ではないということです。

  1. Meminum air putih setiap 15 menit 3. 15分ごとに水を飲む。ウイルスは胃の中で死ぬそうです。

ラピッドテスト ナルコバ イドゥルアドゥハ

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(^_-)-☆20時間の滞在

2020-02-18 22:59:53 | 体験

 4049 往復、16時間くらいかけて、パンガンダランにいたのは20時間、その内、寝ていたのが8時間くらいだった。頭がふらふら、疲れにわざわざ行ってきたようなものだった。

サヲSawoを地元のチカランやジャバベカの果物屋やスーパーで、ずっと探しているが、この雨季に出回るはずが、見つからない。今年は不作で産地から来ていないのかもしれない。私が好きなサヲ、やっぱりパンガンダランにはあった。以前、10月に行ったときも買ったが、今回も、大量に買った。大き目を2Kg,小さめを3Kg、これが、それぞれの価格が大きい方は1Kg2万Rp、小さい方が3Kg、なんと2万Rp、安!ただみたいな値段、良いのかなと思う。どこからかと聞くから、日本からだと言ったら、ピンタールヤバハサと言われ、おまけに、マルキサを3個、袋に入れてくれた。

 高架の工事をしているチレウニインターから高速に入ってしばらく、ジャカルタから約140Km地点の道路南側、チレウニからは左、ここが、高速鉄道のターミナルの工事現場への入り口です。三車線の内、路肩側、一車線は工事車両用になっている。しばらく行くと、高速を跨いで高架は右側(北側)になる。

今回、行きの途中でウビ(サツマイモ)やタフゴレン(揚げ豆腐)を、買えなっかので、途中、ウビチレンブだけは買った。オーブンで焼いた物はマタンと言って、1Kg2万Rp,生の物はムンターと言って1Kg、1.5万Rp、安いでしょ、100円ちょっとですよ。サヲの大きい方1Kgと一緒の生の方はこれで1Kgです。

 

先週、木曜日に作ったチューブの径を大きくした。今日、水槽から出して、その作業をしようとしたら、水槽の中に無かった。聞いたら、土曜日、昼前にだしてしまったという。まずい、架橋時間が足りない。しかし、準備してしまったので、大きくしてみた。その作業は成功した。要するに拡径は、金型を作りさえすれば、確実にできることを証明された。以前が6φにしたが、今回は7.3φにした。ところが、それに熱を掛けても収縮しなかった。架橋が足りないということだ。仕方がないから、また、水に浸けた。日を改めて拡径をすることにした。一週間後になる。というのは、ちょっと、他にも、この原料に関して、やっておきたいことがあるからだ。

パンガンダランは、良い天気の内に離れたが、チカンペック辺りから、猛烈な雨になりチバトゥでも大雨だった。途中、高架高速道路が中央分離帯の上になる。この下を走ると、上から、雨樋に穴が開いたように、バケツをひっくり返したような水が落ちてくる。何メートルかの間隔で。雨よけの屋根にならない。危険だ。だから、一番左車線か路肩を走った。ゴルフ場に近くに来ても、相当な雨、ゴルフの連中、散々だったんじゃないかと思う。

サヲ ウビ 大雨

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(^_-)-☆いきなり、現実!

2019-08-27 16:53:55 | 体験

 3874 自動カッターのパワーアップ、HDPEの製品の厚さが1mm厚の時には、問題なく切断できた自動ナイフカッター、厚さを1.5mmにしたら、刃が製品に入ったところで止まってしまい、切断できない。切れるように改造しなければならない。パワーアップか回転スピードを上げるか、両方か。

 

  インドネシアでの仕事(プラスチックの押出成形)は24年目に入った。1996年に私の元で一緒に仕事をした若者は10人いた。9人が,三交代要員だった。18~22歳、インドネシア大学、化学科卒業のヒダヤット君がただ一人、日勤で私の直属の部下、押出部門のリーダーになってもらいたかった。其の会社は射出成型が主な仕事で、押出は主ではなかった。事実、工場の専有面積は5分の1、従業員数も5分の1、日本人は、その会社からの出向者は本社から派遣されていて,現地社長や副社長、工場責任者、経理、購買などで5人いた。それらの人で、工場のすべて(押出も含む)をコントロールしていた。私の立場はアドバイザーだから、会社の組織図の中の工場長の下の押出部門から横線が出ている先に私の名前があった。

 

 社長から頼まれて、新天地インドネシアで手伝うことにしたのだが、社長以外の人達にとっては、招かれざる存在だということを、一か月も過ぎないうちに、感じさせられた。本社にも、国内の工場や営業所にも、取引先から引き抜いたベテランの人が入ってきていて、それらの人達と従来からの社員との確執が、大いにあることも、この会社の内部に入って、感じた。私は、その外部からの人達と同一とみられたようだ。

 

 そして、ナンバー2の常務が出張できたときに、呼ばれ、話されたことは、「太田さん、貴方みたいな人は大勢いる、任期中、何もしないで過ごしてください、じっとしていてください」と言われた。そして、事務室の中の日本人の席は入り口から正面の外に光が入る窓を背に、事務所全体を見わたせるように、並んでいたが、私だけ、現場側の暗い窓際、コピー機の脇に移された。強烈な逆風だ。

 

 射出は、本社からの注文を受けて、安く作って、本社の送ればそれだけの仕事で、生産量や品質を調整するだけの仕事で、仕事量と利益は本社の匙加減次第だから、こちらの日本人は本社の言うことだけを聞いていればよい。

 

 直ぐには気が付かなかったが、私がいない間の工場の裏側のコンクリート塀が、崩れてしまったとか、裏の通路の幅が半分ほどになってしまっていた。何時、直すのだろう。で、金型の焼き場が工場の前に移されていた。

 

 ずっと、会社の経営をしていた私に取って、いきなり、サラリーマンの生々しい現実を目の当たりして、驚きと、戸惑いと、納得の世界でした。

 23年前 逆風 新天地

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(^_-)-☆special道楽

2017-10-20 22:59:23 | 体験

 3198 囲碁は道楽であり、打ったことで自己満足する。その為の往復で、徘徊をしてみた。三キロほど離れた場所にある生涯(障害ではない)学習センターで、木曜日、夜6時から囲碁同好会の集まりがあるので、薄暗くなり始めた5時半ごろ家から出て、車でなく、歩きで、徘徊しながら、行くことにした。土曜日は昼間なので、歩いてゆく場合もヲーキングとなるが、薄暗い丸子川の土手を主に歩くので、多分,他人が見れば、徘徊に見えるだろうと思う。

 

早く着きそうだったので、ちょっと、余分に徘徊してみた。25年ほど前に、碁会所へたまに行っていたが、その後、如何なっているのかなと思い、そのあたりに行ってみた。住宅地の暗い小道を歩いていると、どの家も、センサーが作動して、照明が灯る、そんな場所の一角に、まだ、見覚えのある、その、プレハブの建物はあった。人がいる気配はないし、現在、使われているような気配もなかった。こんな写真を撮っている爺さんは、怪しい。

 

帰り道、また、ちょっと、遠回りして、車が頻繁に通る道を歩いた。ここはちょっと広いが、この道の大部分は、人が道路わきを歩くようにはできていない。道脇まで30CMくらいに白線が引いてあるが、体は、当然、白線の外に出ている。車が後ろからくるたびに、体をぐっと、道脇に寄せる。徘徊老人としては、かなり緊張する道だ。最近、路肩に突っ込む車のニュースが気になっているし。

 

帰りの8時半過ぎ、歩いた大部分の道で車にも人にも会わない。私を目撃する人は、いない。徘徊していても誰も知らない。たとえ、座り込んでしまっていても、誰も、気が付かない。

 

そういえば、大学の同級会で二人、徘徊が趣味です、楽しんでいますという自己紹介があった。俳諧でした。

 

昨日からの続き、私が選んだ仕事は、その遣り甲斐がある、結構、多くの人のためになると思える道楽をしていて、結婚もし、子供もでき、家も手に入れた。多分、他人から見れば、相当、恵まれていると思われていたと思う。七年後には、夫婦合わせて、残業代を含む月給が30万円くらいあった。1972年ごろでした。

ところが、その前から、私が気に入らない環境を感じていた。自己満足できない状態があった。

俳諧 趣味 体験

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(^_-)-☆イジェン山

2016-09-11 22:54:02 | 体験

 2795 Bunung Ijen2799M 頂上まで登った分けではないが、その西、直ぐ傍のKawah(火口湖)の周辺まで行った。そこで、山頂すぐ下の稜線から上るサンライズを拝んだ。その場所に背中側に火口湖が壮大に広がっていた。タンクバンプラフの形に似ているが規模はその三倍以上と感じた。真っ暗のうちにその脇を通って、サンライズスポットに向かった時には、左側が落ち込んでいることは分かっていたし、もうこの時には、完全近くに、体力と足やひざの状態が限界に達していて、ちょっとふらっとしただけで、よろめきそうで、出来るだけ、右側を歩いていた。明るくなって、サンセットを撮り終わり、多くの人が反対側を覗き込んだり、写真を撮ったりしているので、何があるなとちょっと登ってみると、なんと、豪快な火口湖があるではないか、或ることは知っていて、ガイドに、この次は火口湖を身に行きたいと言おうと思っていたところだった。しかし、ここは、危なそう、タンクバンプラフのような、柵がない、カワに向かって、下がっていて、滑りでもしたら、当然、落ちてしまいそうだ。写真を撮るのも及び腰、足が、それでなくても、既にガタガタになっているから、こらえようがない。

 

今朝からのことを、最初から書く、9日23時に、タクシーに迎えに来てもらった。車の駐車場というか、そこからは、バイクや車は使えないという場所まで1時間ちょっと、タクシー料金20万Rp弱、0時ちょっと過ぎに到着、早速、ガイドを運転手が気にいっている人を頼んだ。1時に出発で、7時頃戻る、そして、青い炎とサンライズと火口湖を見るコース、これが、一番ハードで、ほとんどの人は、青い炎一か所、或いは、日の出と火口湖、どちらかだそうだ。私は、甘く見ていて、フルコースにした。防毒マスク、懐中電灯、ガイド代合計25万Rp前払いだった。

 

 歩き始めた、世間話をしながら、30分ほど、それほど急ではないが、砂と小石の間くらいのちょっと、滑りやすい道だった。ところが、急に高角度の上り坂になった。例によって、インドネシアの登山道は日本のジグザグよりはるかに直線に近いジグザグになる。そこに差し掛かって10分もしない内に、腿が急に張り出したのを意識した。こんな坂が続くようだったら、リンジャニの時の時のように、下りの心配をしなければならなくなると思いつつ、上り続けた。早い時間の登り始め他だったらしく、登山者はまばらで、ほとんど、追い越したり、追い抜かれたりしない。真っ暗の中、無言で、黙々と上る。時々、道に縦割りの窪みがある。雨で浸食されているのです。青い炎まで二時間だと聞いていた。一時間ほど登ると、ポイント5という地点に着く、富士山の何号目かの山小屋というか休憩所があり、コーヒーなどを売っていた。そこのあかりが妙に眩しかった。私が到着した時には10人ほど先着がいたが、20分休憩ということで座っている間に、続々と後続が到着する、あっという間に、50人ほどでその場で立ったまま休憩したり何かを飲んだりしている人であふれてしまった。

 

 再び登り始まて、そこまでの道より、石がごつごつするようになり、狭くなり、急になった。もう、最初に作ってもらった杖が邪魔になるほど、手をついて上がらなければならない場所がふえた。完全に無心状態で、ただ、ひたすら上る。後500mほどで、青い炎が見える場所に着く、と、言われながら、また、黙々と上る。登り始めて2時間くらい、やっと、あれが青い炎だよと、言ってもらえた。着いた、やっと着いた。と、ちょっと、感激しようとしたが、青い炎、ずっと、ずっと、真下に近く見える、先にかすかに見えるだけ、ここまでで終わり?そんなはずがないでしょ、と言いかけた。ガイドが、ここから降りようと、目の前の真下を指した。

 

懐中電灯で照らすと、ここから?としか思えない。道があるように見えない。そして、ずっと下に掛けて、懐中電灯の光が点在していた、先行者は、それほど多くの人ではない。ここから、滅茶苦茶試練が始まった。もう、どうにでもなれ、足や膝が壊れて立って居られなくなるまで言ってやれ、破れかぶれになった。降り始めて直ぐに、ガイドが、察したのでしょうか、左手を出して手をつなごうと言ってきた。もう、急なんて言うものではない、真下に向かって、ちょっとジグザグに降りるが、大きな岩がいたるとことで行く手を塞ぐ、そのたびに、右か左か聞く、手を引っ張って、方向を示してくれる。足は行く方向に向いていない、横向きにして、降りるしかない。延々と続く、青い炎が、逃げ水のように、なかなか、近くならない、時々,硫黄を担いだ人が上げってくるので、よける。聞くところによると5~60kgを担いでいるという。ガイドもこの仕事をしているという。1kg1000Rpだという。50kgでたったの5万Rp(400円くらい)一日4回以上往復するそうです。24時間、いつでも働きたいときに働いていいという。稼ぐ人で、一日26万Rp(2000円)くらいだという。ガイドをできる人は、恵まれている。

 

 30分以上掛かって降りたところが青い炎の30mほど手前、ちょこっと、平らなところあがって、私は座れる岩を探し、座ってしまった。そこの多分一時間以上いたが、その岩を他人に譲ることはなかった。ガスマスクを必要かなと思って、つけ方を確認した、結局、つけなかったが。

 

光景は、神秘的というしか、適当の言葉がない、既に、足がどうなっているのか分からない、それでも、そこかた、何回は、炎に近づいて写真を撮った。フラッシュを使ってはうまく撮れないことが分かった。その後、続々、大勢日人が到着した。ちょっこっとした平らな場所も立って居る人で一杯になり、その周辺の急な岩の崖のようになっている場所にも多くの人が立ちだし、写真を撮りだしていた。外国人が一杯だ。私も一応外国人。言葉が面白い。日本語は全く聞こえてこなかった。ガイドと入れ替わりで写真を撮った。そこにいる間は、こんな場所なら、急に目眩でもして、そのまま、眠り続けてもいいかなとも思った。

 

5時には日の出を見る場所に行かなければならないから、ここを4時に出発した。落ちてきた道を上り始めた、5分もしないに、腿がもうだめだと言い始めた。しかし、上るしかない、ガイドが引っ張ってくれていた。降りてくる人が多く、その人たちとすれ違いで止まることが多く、その時、ちょっと、助かったと思った。硫黄を担いだ人が、追い抜いてゆく、行けどこ行けども、頭上にランプの明かりが見える。まだ、あんなにのぼるの?そして、そこ距離は全然減らない。そして、気が使に内に、先ほど止まって見下ろした場所も通過していて、なお、険しい登りだった。そして、歩く道の足元の様子が変わった。岩のごつごつがなくなり、滑りやすい、砂、小石の道になった。そして、行く手がほんのり明るくなった。緩やかない登り、私の足と膝にちょっと余裕が出てきた。どんどん、稜線の先に近づくにしたがってイジェンの山のすそ野が明るくなって、5時20分くらいの日の出だった。ここに、この時間来る人はまばらで、私たちは稜線からちょっと降りてサンライズを見ていたが、振り返って稜線を見上げると、一列にまばらに並んでいる人々が見えた。よく、昔、西部劇で、インデアンが岡の上に急に現れて、下を見ている姿に似ているなと思った。

 

日の出を拝んで稜線に戻ると、向こう側にカワがあって、びっくりした。写真を撮りながら。下山し始めた。私が一番心配したことは、下りだった。上りでは膝ががくがくすることはないが、下りでは、リンジャニの時に経験しているが、膝ががくがくしてしまい、歩けなくなってしまったことがあって、休憩を長時間しなければならなくなった。ポーターに負ぶってもらう羽目になった。情けなかった。その状態は、どうにもならなく歯がゆかった。  それを心配したが、大丈夫だった。急な下りでは滑って転ばないように杖を使って細心の注意を払った。下る人は青い炎からの人、カワの端まで来ていた人たちが合流したので、にぎやかだった。いろいろな言葉、いろいろな人種、誰かが転びそうになって、危ないという言葉や気を付けてという言葉がとびかっていた。そして、7時前に駐車場に戻った。やれやれ、よく持ったなと思った。

 

余談、上り始める場所に、小型のリアカーを持っている人が大勢いた。その人たちも、三々五々登り始めていた。何か?タクシーだという。カワまでの往復で70万Rp.片道なら、上りでも下りでも40万Rpだという。私にも声を何回も掛けられた。そして、万が一の時には私も世話になるかもしれないと思った。道中、どこにでもリアカーを持った人が客待ちをしていた。面白かったのは、普通、一人が引っ張り一人が押す、二人で一台を扱う、しかし、私たちが下ってきて、ポイント5に差し掛かった時、そのリアカーに100kg以上はある女性が寝転ぶように乗っていた。二人が引っ張り、二人が押していた。こりゃ70万Rpじゃ済まないでしょう、私のガイドが、倍以上は、払わなければならないと言っていた。利用する人は結構いるが、勿論、青い炎の場所に行けないし、サンライズにスポットまでにも行けない。

 

偶に日本人のツアーも来るという、青い炎まで行ける人はいないと言っていた。そりゃそうでしょう、パンガンダランのジャングルなど、問題にしていない私が、参ってしまったのです。ガイドは、私はすごい、参ってしまうと思っていたが、最後まで歩きとおしたと、運転手に報告していた。観光気分の普通の人では絶対無理です。リヤカータクシーのお世話になるでしょう。それでも、ここのうりもの本来目的のblue flameには近づけないでしょう。

 

とにかく疲れた、体はガタガタ、頭が痛い、ふらふらする。8時にホテルに戻って、朝食の後、爆睡してしまった。目が覚めたにはお昼過ぎ、まだ、頭が痛かったし、左足が強烈に釣ってしまった。そして、今は20時過ぎ、もう、大丈夫だ。一人、やったね感に浸っている。

 

200枚以上は撮った。どの写真を添えるか迷った。

blue flame api biru 青い炎

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(^_-)-☆やはりすごい

2015-09-23 22:33:04 | 体験

 2441 先ほど、日本と南アのラグビーの試合を最初の選手紹介から最後までの映像を見ていた。本当に互角に試合をしていただけでも凄いと思うが、最後のロスタイム?四分間ぐらいの日本の攻撃は、圧巻だった。攻めに攻めまくっていた。つい、見いってしまった。同点のPKをしないであくまでトライ、逆転を狙っていた。最後、右端から三回のパスで左端、ギリギリに見事にトライ、分かっていても、見る度に、気持ちが高ぶる。解説者もアンビリーバボーを連発していた。歴史的なミラクルだとも言っていた。南アの選手がロッカーで、頭を抱え込んだまま、動かないのが気の毒に見えた。

実力が本物かどうか、次のスコットランド戦でわかる。明日の何時頃でしょうか、また、感動させてほしいものです。

 

久しぶりに、何も事件が無かった。というより、客先やサプライヤーと会話をする機会が無かったから、何もなかったのかもしれない。

 

ところで、ある客先から、今使っている原料PPをHIPSに換えてほしいという要望があった。趣旨が理解できない。比重はPPより12%ほど大きい。使う場所、使い方でHIPSの方が向いているとは思えない。一般的に原料を換えるメリットはコストダウンだ。それにも関らず、製品が重くなるので、原料価格が同じなら、原料の分、製品が高くなる。客先が持っていて、それを使ってほしいというのです。デッドストックになっているから、消化したいのかもしれない。でも、不思議だ、成形会社ではないから、他の射出のサプライーに支給か売っていたのかもしれない。そこで、10%とか20%乗せて我々に売りつけて、そこで、ちょっと、利益の足しにしようと思っているのかもしれない。

 

他の商社から、見積もりを取ってみた、やはり、客先からの価格より10%以上安かった。それにしても、何のメリットがどこにあるのでしょうか。解せない。とにかく、サンプルを提出し、製品の見積もりも二本立てで出すが、現在より高くなる。

 

以前、客先が指定した原料を客先が購入して、それを売りつけて、見積もりを出させ、ある程度生産が軌道に乗ってきたところで、原料の価格を上げてきて、原料値上げ分だけの製品価格アップで見積もりを出すように言って来た。100%の歩留まりで製品ができれば、それでもいいが、100%でできるはずが無いということは、値下げをさせられたことになる。こんな姑息な、子供だましのような事をする客先もあるのです。今回も、原料の値上げ分の値上げだけ承諾するに違いない。こちらにも手段は有る。同じ原料を、他から安く買って、それも使い、歩留まりを100%以上にして納品するのです。客先の受け入れ担当者はそこまで、製品重量と売った原料重量をチェックできないのがインドネシアです。

 

まだ、一人の生活が大丈夫のバロメーター、梨やリンゴなどの皮むきを途中で切らないですることができる。片足立ちで、ソックスを履く事ができる。などがある。それらはできるのだが、今日、会社にラップトップのバッテリーチャージャーのコードを置いて帰宅してから気がついて、会社へ取りに戻った。ショックだった。というのも、先週の金曜日の朝、会社へ到着してから、家に置いてきてしまったことに気が付き、昼前に家に取りに行った。注意していたつもりだったが、失敗を繰り返したからだ。

 感動 歓喜 感謝

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(^_-)-☆火山登山に注意

2015-09-04 22:32:15 | 体験

 2422 ブカシバラットのイミグレに行ってきた。また、キタスの申請手続きのためである。例によって、全指の指紋と写真撮影とサインで終了、タイミングが良ければ、一分くらいで終わる作業だ。何度も同じ場所で同じことをしているので、何の問題もない。来週初めには、取りに行けると思う。

 

イミグレからの帰り、ジャラントールが大渋滞だと知っていたので、ジャランラヤを通った。ルマーアバンのグラハチカラン、私が1997年から2003年まで、住んでいたコンドミニアムでした。

ところで、イミグレに隣接する場所でサッカースタジアムを建設中、いつ行っても建設中、何年前からでしょうか、まだ、建設中、後何年かかるのでしょうか。デザインは、ジャバベカに建設中のものとそっくりで、同じデザインを使っているのかもしれない。ジャバベカも二年以上過ぎているが、いつになるか、予測ができる状態になっていない。どうでもいいか。

 

インドネシアの日本語新聞で紹介されたことがある、ジャワ島のほとんど東の端にある火山、イジェンで、スイス人の男性が登山中に転落死したというニュースで。この、イジェンという山は、登るガスが夜、青く光るという、神秘的な光景を見ることができると紹介されてから、外国人の登山者が増えたという。それは、まさしく、二硫化水素系化合物毒ガスだと思う。急な狭い登山道でなくても、一歩、道を外せば、谷底へ転落なんていうこともあり得る。夜だし、真っ暗なら、片側が谷底などということも、気がつかない、知っていれば、又、昼間なら、そうと危険な場所だと震えるくらいの道かもしれない。

 

Banyuwangi - Seorang turis warga negara Swiss meninggal dunia di Kawah Ijen Banyuwangi. Johann Josef Brunner (66) meninggal dunia ketika mendaki Gunung Ijen, Selasa (1/9/2015).

 

 インドネシア火山は、至る所にある。私が行ったり、登ったりした山の例です。これらは、全て、ほとんど下から登ります。例えば、バトゥール山は、キンタマニ展望台から右手に見下ろす湖の岸から登り始めます。そして、日本の富士山のように、大きなジグザグの道ではなく、蛇がくねくねと移動するくらいのくねりの道を登ります、垂直ではないが、かなり、急な登りになり、下からずっと、富士登山の8合目、9合目の様な登りです。それと、もう一つ、火山だから、色々なガスが発生している、風向きによって、気持ちが悪くなったり、息が詰まったりすることもある。三色の火口湖で有名なクリムトゥなどは、私も目眩を感じたことあった。毒ガスに巻き込まれて、亡くなった人もいると聞かされながら登ったものです。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage029.htmlフローレス クリムトゥ

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage124.html

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage019.htmlパパンダヤン、

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page237.htmlバリ島、キンタマニ展望台から見るバトゥール山。

 

ディエンのサンライズを見に行く登山道が、そんな道、登るときは、見えないので、平気で登ったが、下山の時、見てびっくり、幅が50cmくらいしかない片側が100m以上あろうかという谷間、もう片側は、見上げるほどの岩肌、ようするに150mほどの崖の通した道だったのです。それも。勾配が30度は有る。よくこんな所に道を作ったなと思うほどだった。

毒ガス 垂直 ポーター

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(^_-)-☆PCバッテリー

2015-08-29 22:45:13 | 体験

 2416 PCのバッテリーがほとんど機能しなくなって、今では、電源が繋がっていない時に10分ほどしか持たない。常にバッテリーの交換をお勧めしますという、メッセージが現れる。日本で、何と家電に注文に行ったら、在庫がないし、いつになるのか分からないと言われ、それでも、注文しますかと、聞かれた。何をおっしゃる、その状態で、注文しますか、などと、聞く神経が理解できなかった。シンガポールに行っても、常に電源を捜さなければならなかったし、どこでも、同じことだった。

 

シンガポールへ出発する前日、土曜日に、近くのローカルのコンピューター修理店で、駄目もとで、話してみたら、75万Rpだが、どうしますかと、聞かれた。同じ品番はないが、使えるだろうバッテリーは、ここではないがジャカルタにあると思う、取りよせますか。テストをしてみて、使えるかどうか確認すればいいとのことだった。そこで、注文した。届くまで、バッテリーをはずして操作をしていた。先ほど、店から電話があって、届いているというので、受け取ってきた。全く同じ物の新品だ。今は、バッテリーだけで、操作をしてみている。どのくらい持つかテスト。

日本の大型電気器具チェーン店より、リッポチカランのPC修理屋さんの方が遥かに気が効く。

 

マーディ フィッシュというアメリカのテニスの選手、パニック障害だったのですね。かなり有名な選手だったが何年か前から、この選手の名前を聞かなくなっていた。今回、全米プロに出場するに当たって、なぜ、突然、消えたのか、書かれていた。そして、最後になるらしい。

 

私の経験ですが、私のように、薬を呑んだその日からばったり、症状がなくなってしまうのは、どうも、希なことらしい。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

私は今でも、当時の薬を御守りのようにして持っている。コンスタン、パキシルそして胃腸薬、本当に、偶~~に、原因は他かもしれないが、クラッと来た時に飲むだけ。9年前の当時も、かなりのストレスを受けていたが、今の方が、その時より、ストレスは大きいかもしれないが、再発の兆候はない。 

 

原料がない原料置き場。

安心感 バッテリー 交換

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(^_-)-☆何とか出かける

2015-07-07 22:31:17 | 体験

 2363 なでしこジャパン残念でした。2点取られた時、4点も取られた時、ショックでした。1点を返した時、ちょっと、ほっとした。2-5で負けた時、残念だが、良くやった、と思った。

 

ギリシャ。緊縮財政反対が圧倒的だったという。借金を自己責任にしない国や会社や人っているものですね。借金を返さない側は、そこから、自らの力で立ちあがることができるのでしょうか。立ち上がれないことを、他国の、或いは、他人の所為にするのでしょうね。

 

レバラン休暇前に、なんとか、話して置きたいと、私に来てほしいと言われ、KIICのある会社まで行ってきた。HIPSの角パイプ、中に小さな突起がある。技術的は全く問題になる個所はない。今、どこからかっているのかと聞くと、インドネシア内のある会社からだという。上手くできていないようで、NG品が多く、納期遅れが多く、問題なので、他を捜しているという。私の姿勢としては、インドネシア内で既に作られている製品を横取りしたくないが、そういうことなら、見積もりを出させていただきますと返事した。それでも、新しいラインが入る9月中旬過ぎの話である。

 

最初2のゲートから入ろうとして、購買のインドネシア人に会いに来たと言ったら、ここではなく、向こうの1のゲートへ行って欲しいと言われた。それにしても、この会社、駐車場から玄関ロビーまで遠い、ざっと400(ロングホール)m、くらいある。腰が痛いし、頭も痛い中、カンカン照り、入り口が二か所有り、1の方が下請け、サプライヤー用らしい。そこから入ったが、駐車場まで遠い、これは車だから良いが、駐車場から、ずっとむこうにロビーが見える。斜めに歩いて行ければ、まだ、ちょっとは近いが、三角形の二辺や四角形の三辺を行くように指示されていて、斜めに行けない。最初行った2のゲートは、そのロビーの正面150(ショートホール)mくらいのところに有って、駐車場は、その中間にあり、ロビーに一番近い場所は30mくらいだった。2のゲートからは誰が入るのかと聞いたら、主に、この会社の日本人と日本人に会うためのお客さんだという。運転手を使っている人達のためでしょう。なるほど、私がロビーから出る時、すれ違いで、どこからかは知らないが、運転手を使った(当たり前)日本人の二人連れが、2から入ってきて、ロビーに横付けされた車から出てきた。私は、それを見ながら、また、400mくらい先の駐車場まで歩き始めた。

 

従業員と納品と訪問者のゲートを区別するのは自然だと思うが、同じロビーに入る訪問者を種類によってゲートや駐車場を分ける会社は初めてだった。

区別 差別 残念 

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(^_-)-☆実例提供

2015-05-20 22:22:40 | 体験

 2315 弁護士などの志望者、法律を勉強している若者に、どう対処するかの実例を提供します。もし、示談の仲介を弁護士に頼んだ場合に、どう判断されるのでしょうか。色々な法律がからんでくると思います。私自身は、全くの素人ですから、単に脅かされて、すごすごと、相手のなすがままにされたという印象で、やられた、という感じです。ですが、許せない、人の弱みに付け込んで、客先を人質に取ったような形で、自分の責任を他人に押し付け、自分は、損失以上を押し付けて、むしろ、利益を上げている。

一般の方は、どう判断されるでしょうか。法律を勉強せれている方は、どう、対処するのでしょうか。他人事ですが、もし、自分が当事者だったら、対処するでしょうか。

一度、インドネシアにいる日本人弁護士に相談したことがあるが、契約書を見る限り、あなたが、会社の損失を補償する義務はないし、それを押し付けた経営者には慰謝料をプラスして返還を要求できる。ただし、それに応じないでしょうから、弁護士に依頼するようになるでしょう。弁護士同士の話し合いになれば、100%といかないまでも、妥協点を見つけてくれるでしょう。でした。

その時、感じた事、この弁護士さん、これだけの文章を、たった、二三時間で、全部読んで、内容を把握してしまったようでした。文章をメールで送ってから三時間後に、先の感想を伝えてきた。ライセンスなど無形資産として残っているものまで損失にしている、経理処理間違い、など指摘。専門家はやはりすごい。どこにどんなことが書いてあったか、覚えているようだった。そして、相談料はいらないと言われた。

 

自分の失敗をさらけだすことかもしれないが、書かずにはいられない。 自分の責任である損失を従業員が被らなければ、その従業員を止めさせない、そして、その後の損失もその従業員の責任にすると脅かして、その従業員に、損失分は、貸しているお金を返さなくてもいいという、返事を受け取ったつもりで、やっと、その従業員を解放した。それも、最後まで、辞めることにOKをしないで、酷い目に合わせ続けようとした。本人にとっては、蟻地獄に突き落とされた心境で、この恨みはしつこく、追求しようと思っている。貸したお金を返してほしいと言い続けるでしょう。借りたという証拠がないから、借りたという意識はない、といいながら、借りた金は損失と相殺するなどと、寝ぼけたことを書いてきた後、そして、弁護士から話をしてもらうと言って来た後、このやり取りを公表しても、本人からは何も言ってこなくなった。誹謗中傷だ、とは、言ってこない。ということは、本人は、自分に非があることを認めているが、お金がないのでしょうか、返済出来ないなら、謝って、出来ないと言ってくればいいのに、それもできない。残念な人ですね。

     http://otaenplaext.net/newpage63.html

http://otaenplaext.net/newpage82.html

とにかく、だんまりである。本人の消息も分からない。探りに行っているわけでもないので、仕事をしているのでしょうか、健康を害して、病院通いをしているのでしょうか。以前、会社の身売りを、画策していたが、ことごとく、話は消滅してしまっているのでしょうか。それとも、どこかの会社と合弁なり、身売りは出来たのでしょうか。売るなら、ただ同然で売ってしまって、全面的に、仕事から離れた方がいいと思うが、悪い評判が立ってしまえば、只同然でも引き取る会社はないと思いますが、どうでしょうか。公共の調査が入ってペナルティーを払わなくなる可能性の高い会社に、すり寄る人や会社はないと思う。

 

この文章をブログに書く前に、ご本人とインドネシア人スタッフにメールで予告をしている。止めてほしいなら、連絡してくださいと。丸、一日待ったが、何の返事もない。居直り状態が続いている。何か反応をすれば、つけ込まれる可能性があるから、無視するに限ると、どなたからか、アドバイスを受けているのでしょう。

 

通勤コースのチカランバラットゲート前のフライオーバーと頂上からの高速道路ゲート方向、ムリヤセラミックの煙突が目立つ。その向こうに出来ている新しいゲート用の道はいつから使えるようになるのでしょうか。ジャバベカ1への近道の筈ですが。今は、暴走族?のたまり場になっている。

審判 実例 対処

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(^_-)-☆何となく面白い話

2015-04-09 22:36:32 | 体験

 2274 インドネシアの押出しの一コマ。商社の人と話をすると、必ず出る話が、製品が上手くできない会社のことだ。勿論、インジェクションの話が多いのだが、私が押出の会社は?と聞くと。一か所や二か所の話は出る。ローカルの会社だが、圧倒的にオレフィンと塩ビのプロファイルがうまくできていない、ということになる。エンプラを扱っている会社はないのです。

先日、初耳の話があって、バンドゥンに丸棒を作っている会社がある。それもPOM丸棒、7.5φ~85φまで10サイズを作っているという。どれ程の規模か聞いたら、月に2トンだという。主にグロドックに卸しているそうだ。グロドックへ行けば、確かに、昔から、金属の素材を売っている店に、プラスチックの丸棒や板は並んでいた。全て輸入品と聞いていた。現場を見たわけではないが、一部だけ、インドネシアで作っていることを初めて知った。アニーリングもしているということなので、話は確かだ。

 

その会社、POMだけか、と聞いたら、そうだという。PCやPAやABSなどの素材は何故やらないのでしょうか。これも、不思議な話である。需要が無いのでしょうか。ということだが、POMの丸棒、ロスが多いという。表面の状態が安定しないで、筋やしわができてしまい、表面を削って出荷する製品が多くなってしまうとか。指導をお願いすることになるかもしれないと言っていた。

 

昨日の昼から、あるメールを送るという話があって、それを待って、行動に移さなければならないことがあった。急ぐことだった。昨日、二回催促をして待ったが、入らなかった。夕方、明日の朝、出勤したら、一番でメールをすると話していた。期待して、待った、9時になっても10時になってもメールが入らない。たまりかねてまた電話した。係に頼んであるという。いつ送るのか、と再び聞いた。係に頼んであるから、掛かりに催促するいと言う。今すぐ、送ってほしいと、また、頼んだ。結局今日も送ってもらえなかった。その気が無いと、あきらめて、他で対策を考えることにした。もういい!!!

 

もういい!!!と言えば、ある日本人、一年くらい前から、問題が表面化し、不味いところで、まずい人の手伝いをすることになってしまっていたことに気が付いた。しかし、既に、気がつかされた時には、手遅れで、私自身ではどうすることもできない状態になった。客先に対する納入責任があるので、運転資金を私が出し続けなければならなくなってしまった。そして、最終的に、脱出できたが、それらの資金のほとんどすべてを返してもらえず、その、会社は、私が担当した部門から、十分な利益を生むことに成功した。私が出した資金はその会社の利益になったのです。

その会社や社長に了解を得て、今日までの約一年の経過を私のウェブサイトブサイトで、公開をしました。私のような、ことに、巻き込まれないように、また、貴重な資金を台無しにしないように、私の体験を公開しました。

http://otaenplaext.net/newpage63.html

長く仕事をし、他人の手伝いをしていると、色々な人に出会い、色々な経験をするものです。貸したお金を返してもらえれば、他に手伝いがもっとできるのに、役に立たない会社に取られたという心境は、もう、経験したくない。そういう会社がはびこることも認められない。

 

それでも、資金的にはまだちょっとした余裕があるので、旅もするし、今日も、今の会社の原料購入費として1万ドルほど、追加融資をした。振り込みの依頼に良く出かけるので、リッポチカランの本店に行かないで、ちょっと奥のルコにある支店へ行く。銀行の窓口の可愛い女性から“こんにちは”“ありがとお”とニコッとされながら、手続きが進む、振り込みの用紙には、全部彼女が書きこんでくれる。

 

こんな所からフライオーバーに入るのです。渋滞しているので、必ずと言っていいほど、この付近に物売りがいる。飲み物、たばこ、“KANEBO“って何か知っていますか。車を拭くときに使い、昔、鹿の革と言っていた、不織布のことです。

公開 許可 余裕

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(^_-)-☆ひねもすのたり

2015-04-03 22:50:12 | 体験

 2268 こんなに、ノンビリした日があっただろうか。外出は昼前後、一時間ほど、東海岸から散歩をしながら、西海岸のウミさんのワルンで食事、アヤムゴレンとテンペゴレンをおかずにして、簡単なナシゴレンでした。夕方、天気が悪くなり、サンセットも何もなし、部屋で書き物をしていた。

 

明日、ヌサカンバンガンに行こうかな、と、話を持ちかけたら、軍の警備がどうなっているか、上陸できないかもしれない、オーストラリア人15人ほど、夜中に、パンガンダランの東海岸から出発して、ヌサカンバンガンの西海岸(いつも行く場所、バーべキュウをする海岸)から入って、監獄に近付こうとしたという事件があってから、無断で島に入る事はできなくなったという。本当かどうか知らないが、撃たれるのは、いやだから、行かないよ、と、言われてしまった。それと関係があるのかどうか、パンガンダランでは初めて見る大型船舶二隻が沖合に停泊していた。しけを避けたのか、それとも、チラチャップの港に停泊できずに一時的に、こちらに停泊したのか。それにしても、死刑を執行するのか、しないのか、するなら、いつ頃なのか、移送の時の大騒ぎは、今、静かいになってしまっていて、報道も無くなっている。

このあたりの人が言うには、全然ニュースになっていないが、常時、ヌサカンバンガンには100人以上の死刑囚がいて、執行をしているとか、今、日本人も一人いるのではないか、と言っていた。太田さん抜けてきたでしょなどとも言われた。日本では全然、ニュースになっていないので、多分、間違いの情報だと思うが。

ある日。今回のオーストラリア人に関して、突然、「執行した」というニュースが流されるような気がする。

パンガンダランの東海岸からの写真の向こうにヌサカンバンガン島が見える。

 

夕食は、すぐ近くのコンビニで買ったサリロティのパンと、あんぱんと蒸しチーズケーキと日本語で書いてあるパンを食べてみた。普通に食べることができた。

 

ベアチュカイへ報告する文章案を作った。メールで関係者に流してから、了解を得る。

ヌサカンバンガン のんびり 大型船舶

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(^_-)-☆ゴルフの後

2015-03-30 22:42:04 | 体験

 2264 Grande Valoreグランデバロレというのでしょうか。ゴルフの後、リッポチカランまで行かないで、ジャバベカ2にオープンしたばかりのホテルの中の“一休“日本食レストランへ行ってみた。勿論、新築で綺麗、天井が高い、この付近では一番高級と思える。

日本食レストランはどうか、広い、座席数も相当あり、座位すの部屋も在り、座席数は相当なもの、そこらのルコを改造し一階、二階と客を詰め込もレストランとは別物である。流石、高級ホテルの日本食レストランという雰囲気。ということで、私のような庶民的日本人にとっては、もったいない。値段もそれなりに高いし、かといって、特に美味しいというわけでもないし、また、来たいとは思わなかった。焼酎を持ち込んだ人がいて、500mlの紙パック、持ち込み料が5万Rpでした。定価の15%増しの価格が請求される。

 

大体、税込みで5~7万Rpメンバーは10%引き、コーヒー無料サービス、という、レストランに慣れているので、ちょっとね。もっとも、私は、こういうレストランでも、ゴルフの後、日本人と行くだけだ。一人の時には、行ったことがない。

 

日本への一時帰国からインドネシアに復帰したばかりの二人と一緒だった。彼等曰く、空港までの所要時間、5時間と4時間、5時間掛かった人は、結局、間に合わなくて、次の日の出発になってしまったとか、その会社の中の同僚で一番、空港まで掛かった人は7時間だったそうです。順調なら、MM2100からなら、1時間でしょう。私のリッポチカランから掛かっても1時間半です。私自身は自分で運転して行くことが多いが、今までの最長は3時間でした。時間に間に合わなくて、乗れなかったということはない。ただし、時間を2時間間違えて、時価管前に到着したと思っていたら、今出発しました、と、言われたことがあった。

 

私は、何度か書いているが、ガルーダの夜中発の日本行きしか使わない。それも、日曜日です。昼間ゴルフをして、それから支度をし、夜、8時頃、チカランから出発します。アンチョール経由の必要はなく、グロゴールの最短距離を使い、9時半には着きます。11時15分のフライトには十分間に合うし、レストランで軽食を取りながらブログの投稿をする時間も余裕である。

日本食 渋滞 食事

3月30日 

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(^_-)-☆御前崎の灯台

2014-12-24 22:32:05 | 体験

 2168 これは何十年ぶりだったでしょうか。孫が連れて行ってと言わなければ、行くことはなかったでしょう。

11時ごろ家から出て、焼津インター前を通って、150号線を南西に進路を取った。大井川の手前から、大井川港に向かう道に入って、新しくできたらしい、海岸沿いの道を西に向かった。途中、いつできたのか、観光会館のような“なぶら”という名前の施設ができていた。その前をつうかし、灯台へ向かった。大きなホテルが2つあり、その上に灯台はあった。過去に何回か来たことがあったが、周辺の情況は全く記憶になかった。駐車場は狭いが灯台の直ぐ前だった。

 

灯台付近というか、勿論、吹きっさらしだし、猛烈な強風が吹き荒れているにもかかわらず、せっかく来たからと思い、灯台に登ってみた。外に出て大変だった。私でも、なにかにつかまっていないと、飛ばされそうだったが、孫たちは、扉や手すりのしがみついていて、景色を見るどころではなかったでしょう。1分ほど、外に出ていただけだったが、その時に富士山バックの写真でした。

 

帰りは、直ぐに北上し、牧之原を目指した。この道もいつできたのか、新しく感じた。インターの入り口の前の道路を通り、今度は島田を目指し、藤枝の手前でバイパスに入り、静岡に向かった。ということで、一周してきたことになる。社会科見学というか、上の子が習った郷土の様子を確認したようなものだった。牧之原の茶畑は特に印象深かったようだった。

 

何の脈絡もないが、高校二年の時だったと思う。どんな心境の時だったか全く覚えていない。石川啄木の歌だったと思う。自己流で書いてみた、それを母親が取っておいてくれて、今、家の欄間のような所に掲げてあったのに、気が付いた。印鑑“遊神“も自分で掘ったものです。

ドライブ 孫 灯台

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