私のWeb Site(ホームページ)にVideoを追加した。第一号はニュールンベルグの孫たちと彼女達のドイツのおばあさん。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
http://www.flipclip.net/users/enplaind/ FlipClipを拝借した。
新規の金型を注文した。12日を完成目標に設定、その通りに進むことを願う。
昨日、サッカーでの試合ぶりに触れたが、インドネシアの人たちの競争とか戦いとか負けたくないという気持ちをぶっつける対象が、私には理解できない。なぜ、こんなことで争うの?なぜこんなことで熱くなるの?と言うことが多い。
例えば、車やバイクの運転です。他よりも早く前に進みたい、割込ませない、割込みたい、渋滞の時は対向車線を使ってでも前進をしたい。高速道路の料金所の行列でも争いは熾烈である。二列で来た一列にならざるを得ない時に、交互に入るという暗黙の了解は絶対にない。それぞれの車がその時に争いをする、割込ませたから、次は、自分が割込めるという保証はない、次の車は割込ませた車の後にぴったりついて割込ませないで自分が先に行こうとする。ですから、割込ませてやろうなどと考える人は、いない。もし、自分がもたもたして割込めないでいると、自分の後ろに着いている車に迷惑を掛ける。仕舞いには、クラクションを鳴らされる。
車線変更点滅ランプは全く意味がないし、逆効果になる、かえって、割り込みたいと言う意思があると割り込ませないという気持ちを奮い立たせることになる。
指示器を出さないで、ぶっつけても仕方がないと思うくらいに強引に割り込まなければならないし、割込ませないようにしなければならない。熾烈なバトルを繰り返すのです。私はすごすごと引き下がることが多いが、この頃は、右に割り込むときには窓を開けて、腕を出して、割り込む意思を示している。これは、効果が在るような気がしている。この例は車だけの競り合いだが、ここに一般道路にバイクが絡んでくるとなお複雑に主導権を争っての強引さが求められる。インドネシア人は日常的に、その競い合いをしているのです。小さいですね。こんなことで、争わなくてもいいのに、また、その争いがなければ、全体の流れがもっと早くなって、社会全体の流れが速くなる事を知らないのです。インドネシアの進歩の速度を遅くしていることを認識できないのです。
ちょっとでも隙間があれば、ただただ、入りこもうとするのです。いかにも、そうなることを分かっていて楽しんでいるように、交差点で、卍絡めになって、どうしようもなくなることは良くある。これなどは、そこで社会の進行が止まってしまうことを意識しないのです。
争うなら、技術や学問の世界で争ってほしいものです。日本人を見習う必要は無いが、意識の改革が必須です。根本的には、教育の問題です。教育者の教育を先ずしなければなりません。その教育者を育てなければなりません。政治家の意識も変えなければなりません。歴代大統領が全員その気になっても、バイクや車の一時停止や交互侵入の習慣を社会全体に浸透させるには100年はかかるでしょう。ということは、インドネシアでは交互侵入は永久に出来ないということです。
順番待ちができるような精神的余裕がないのです。
近所の朝市の雰囲気、どこから来るのか、人がわき出てくる。
競争 狭い 無駄