南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆時の流れが薄める

2011-04-06 23:41:43 | 行動

朝の家の雰囲気と云うとこれが、静かすぎる。シーンとしている。寂しくなってしまった。孫たちがいる時との落差は大きすぎる。

23:50にニュールンベルグの家に着いたと連絡が入った。

 

会社の大井川工場と本社へ行ってきた。案の定、歓迎という雰囲気では無い。むしろ、若干冷たい方向である。私自身も何をしたらいいのか分からないし、来られた方も、この人何をしに来るんだ?と、いぶかるのは十分理解できる。この人から何かを学ぼうなんて思う人が、いるわけがない。ということで、明日と明後日で、様々なことをチェックさせてもらうことを頼んできた。それとても、それぞれの予定があるので、その合間をちょっと拝借という感じで、低姿勢で行くしかない。

その時に、7月から今年一杯を目途に、在籍して、継続するか、いても仕方が無いかを判断することも宣言してきた。私は既に来年の事を考えている。

 

原発の事も、今は、排水に関するニュースだけになってしまった。海に流してしまう。アメリカ、ロシア、イギリス、フランスは国として反対しない。中国もインドも批判はしない。ポーズとしては懸念を表しているが、何故でしょうか、核実験で彼らがばら撒いた放射能と比べれば、ゼロに近い程度だからです。半減期の事を云うと、必ず、蓄積されれば大変なことになるとい人がいる。これも、核実験の事を思えば、蓄積もゼロに近い。とにかく、風評を増幅するのか、押さえているのか、自分が云っていることを振り返ってほしい。

水ガラスを使って排出量はかなり減ったようですが、まだ、とまっていない。

その他の事では、高い濃度高い濃度というが、高い濃度っていったい何でしょうか。人によって違うのです。前にも書いたが暫定基準値を千倍にすれば問題ないのです。今さらそうはしないでしょうが。

危険とか安全に対する考え方は、千差万別だし、どちらかというと危険と思う方が圧倒的に多いから、買占めに走ったり、逃げ出したりするのだから、知識人と云われる人は、勇気をもって、それを抑える発言をしてほしいと思う。

 

戦後以来の日本の危機だと思うが、喉もと過ぎれば何とやらで、一か月も過ぎていないのに、次第にトーンダウンしてきている。次第に当事者だけの関心になってきてしまうことは世の常でしょう。当事者にとっては何年も掛ることだが、多くの人にとっては他人事になってしまう。

 

昨日の静岡駅新幹線ホーム、今日の会社訪問の帰り、焼津魚港。

困惑 観測 眺め

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