1766 ある日本人医師は、三半規管に異常があるのでしょう。ということで、耳の中に水を入れて、平衡感覚のチェックをした。脈が止まる時、目眩がすると言っているのに、あなたの平衡感覚に異常があるからかもしれないと判断したのです。脈が止まることと、耳の中の事にどういう関係があるの?と、思うのだが、医者にとっては、目眩、という事だけに集中したいらしい。その結果も、普通より正常だった。しかし、その医者が、あなたの状態では、飛行機乗ってシンガポールへでも行ってはいけない、責任を持てませんという。その時は症状があらわれて10日ほど過ぎたころで、私は、まだ、インドネシアの中で、何とか直せるかもしれない、適切な病名を言ってくれる医者に出会えるかもしれないと思っていたので、インドネシアからの強行脱出は考えていなかった。
インドネシアで何とかしようと色々な病院へ相談に行ったが、どうにもならなくて、発症から一ヵ月半ごろ、決死の脱出をした。おバカさんたちに、かまっている状態では無かった。
インドネシアでも、そして、ようやく脱出して戻った日本でも、症状も医師の対応も変わらなかった。パニックになる必要なんかない、と言ったって、パニックになるよ。この症状のあれこれは、だから、パニック障害なんでしょ。パニック障害とはぴったりの名前を付けたものだと思う。
今私が関わっているのは、直進性のLEDランプの光を、拡散剤を混ぜることによって、広く、光をばら撒くようにしているのは、LEDチューブランプ(蛍光灯直管タイプ)用PCカバーなのです。私が接触した全部の医者は、その、頭の中に、拡散剤が、全く、混ぜられていなかった。ただ一点に集中するだけだった。それでは、患者の気持ちを受け止めることはできないし、症状に全てを考慮して診断することはできない。
PCカバー、右と左は私製と中国製です。明るい方はフラッシュ撮影です。PCカバーを半分付けて、そのままのものと、明かりを付けた時。
やっと、パニック障害という言葉を聞いて、その一日後には、信じられないほど、症状の発生が無くなった。勿論、しばらくの間は、また、くるのではないかと不安だったが、とうとう、かすかに、着たかなと思われる程度しか、症状は出ないままだった。それ自体が、症状だったのかどうかわからないくらいの軽微なものだった。薬で治ったのです。それも、ほとんど瞬間にと言っていいくらいの短期間で、でした。ラッキーだったのでしょうか、偶々、その薬が、私の神経や脳の欠陥の修復の役目をしてくれたのでしょうか。その薬は、テストを繰り返し、過去にどなたかにも効果があったのでしょうから、私にも処方したのでしょう。偶然、私に効いたというわけでもないでしょう。「あなたのパニック障害は、絶対直ぐに直ります、治ることを信じて薬を飲んでください」と言われたことは確かです。暗示にかかったのでしょうか。
とにかく酷い目にあった約三か月でした。また、その期間を含めて、それ以前、二年間ほどは、私の人生で最悪の期間でした。本社のNO.2常務からは徹底的なシカトをされるし、現地のアホ社長とアホダイレクターには、気が狂ったようなパワハラを受けるし、絶えた時期でした。
“Terima kasih cinta untuk selama” Afganという歌手が歌ったヒット曲の詩の一部です。何回か、繰り返します。
インドネシアタイム19;15オランダとの試合、キックオフ、ライブをKOMPAS TVやっていた。一点目の失点もそうだったが、何故、前半、日本のデフェンスはバックパスを多用するのか、そのたびにハラハラさせられる。21:05終了でした。2:2ドロー、後半は、安心して見て入られた。日本のプレーは、かなり、紳士的というか、フェアプレーに徹しているように感じた。乱暴なプレーをする相手には苦戦を予想される。
無知 ソンボン エゴ