1767 パニック障害という病名を聞いたことがある人は、非常に少ないと思うし、聞いたことがあっても、どんな病気か知っている人はほとんどいないと思う。私も、全く知らなかった、聞いたことも無かった。それはそうでしょう、私が掛かった多くの医者の全てが、この病気の事を知らなかったのですから、疑いもしなかった。
もう一つ知らなかったことがある、分けのわからない病気になった時、相談に乗ってもらえる総合診療科という科があることを。どちらかでも知っていたなら、遥かに短期間でパニック障害から抜け出すことができていたでしょう。パニック障害に限らず、なかなか、思うように回復しない状況が続くようなら、総合診療科で相談することをお勧めします。
過呼吸症状の私の顔の上にスーパーの紙袋を被せて、「呼吸は出来るだけしないで、してもいいからゆっくりと」と言って、私の苦しみから解放してくれた、救急病棟の看護婦が、「明日の内に総合診療科で様子を見てもらった方が良いですよ」と、分けが分からない体の状態を見て、そう、アドバイスしてくれた。その看護婦がアドバイスしてくれなかったら、私の苦しみは、なお続いたでしょう。
とにかく、パニック障害に限らず、肉体的のも精神的にも、世の中には、原因不明の苦しみや痛みを抱えている人は予想以上にいるのではないかと思う。その人の身になって接してほしいものだと思う。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page113.html
もうひとつ、マリアさんの助け、同居していた女性だが、私が、彼女のドラッグ付けの生活から掬いあげた女性でした。ブロックMのカラオケで働いていたが、プレマンと付き合っていて、麻薬漬けになっていた彼女を家に一緒に住まわせ、色々な嫌がらせがあり、時には身に危険を感じたこともあったが、何とか、薬から解放し、コンピュータの専門学校へ通わせていた。その女性に車の運転も教えてあった。その彼女が、献身的に私の世話をしてくれた。夜中でも、いつでも、私が症状が現れた時にはいろいろな病院へ連れて行ってくれたし、インドネシアから脱出するときまで、色々なことで、彼女が助けてくれた、頼んだことは、何でもそつなくやってくれた。日本人の分けのわからない人たちの邪魔を彼女がうまくすりぬけてくれた。どれだけ、助かったか、彼女が居なかったら、私はどうなっていただろうかと思うほど、彼女は私に面倒をよく見てくれた。今は故郷のブリタール(東ジャワ、スカルノ初代大統領の生誕地、お墓と記念館が隣接してある)で御主人と子供二人と普通に暮らしている。
パニック障害の症状が現れなくなって、しばらく、日本で休養をした。“人の醜さと美しさの両極端”を感じた時期でした。その時にウェブサイトを作った、その後、しばらくして、ブログを投稿し始めた。仕事でも何でも、“継続は力なり”をなんとなく実行している。
昨日のオランダ戦の先発から外れたメンバー表、控え選手。
ジャバベカ2へ入ってすぐのロータリー北側にオープンした韓国系のホテル、ジャワ パレス。宣伝として、ジャバベカゴルフのキャディーのユニフォームの3モデルを寄付した。背中に名前とマークが書かれているが目立たない。どんな効果がるのでしょうか、キャディーのユニフォームは、今まで10数年、何十着の寄付で、次々と変わっている。今回のユニフォームは何時まで着るとの契約になっているのでしょうか、しばらくすれば、また、どこからか、新しいユニフォームを寄付されるでしょう。
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