平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第47回「哀しくとも」~人生は虚しい。であれば好き勝手に思うがままに生きよう。

2024年12月09日 | 大河ドラマ・時代劇
 周明(松下洸平)の死は感傷や劇的要素を排除していた。
 最期の言葉は特に何かを語るわけでなく、「逃げろ……!」
 遺体は弔われることなく、そのまま放置。
 これが平安時代のリアリズム。
 その後は太宰府で悲嘆に暮れているまひろ(吉高由里子)。

 この描写が表わす所は何だろう?
 すべては虚しい。
 現実とはこんなもの。
 死とはこんなもの。
 人はただ生きて死ぬだけ。
 まひろはこう痛感したに違いない。

 道長(柄本佑)のおこなって来たことも虚しかった。
 武者を派遣することで頼通(渡邊圭祐)と対立。
「民があまた死んでおるのだぞ! おまえはそれで平気なのか?」
 しかし頼通は「前例なきこと」「やり過ぎ」「しばし様子をみましょう」と取り合わない。
 公卿たちも実資(秋山竜次)以外は同じ反応。
 つまり前例主義。
 公任(町田啓太)は、隆家(流星涼)が政敵になることを懸念して褒賞を与えることに反対した。
 つまり民のためではなく政治まわりの判断。
 いったい道長のやって来たことは何だったのか?
 息子や親友にまったく理解されていない。
 道長の思いや考えがまったく後継者や仲間に伝わっていない。
 この虚しさ。無力感。

 道長は痛感しただろう。
 人の人生とはこんなもの。
 信念に基づいて何かを成し遂げてもいずれは風化する。壊れてしまう。

 人生の虚しさを知って死に向かっているまひろと道長。
 だが、彼らとは逆の思いを抱く人たちがいる。

 まず乙丸(矢部太郎)。
「都に帰りたい!」「きぬに会いたい!」「きぬに紅をあげたい!」
「お方様と帰りたい!」「お方様帰りましょう」
 ○○したい。
 欲望は生きていく原動力だ。
 乙丸は生きることを志向している。

 娘・賢子(南紗良)は、どう生きればいいか、を聡明に語る。
「人とは何なのか考えさせられました。
 誰の人生も幸せではない。良い時は束の間。幸せは幻。
 どうせそうなら好き勝手に生きてやろうと考えました。
 わたしは光る女君になります」

 人生は虚しい。
 生きることは徒労。
 だからこそ好き勝手に生きる。思いのまま生きる。

 ふり返れば『源氏物語』の光源氏の生涯がそうだった。
 光源氏は苦労もしたが、好き勝手に思うがままに生きた。
 まひろは、書くことで「好き勝手に思うがままに生きること」を光源氏に託したのだ。
 それは自分が出来なかったことだから。
 まひろは道長とどこかで生きることを諦めた。
 直秀(毎熊克哉)と遠い国で生きることを諦めた。
 宋に行くことも諦めた。

 人生は虚しい。
 だから思うがままに生きよう。
 これが今作のメッセージのひとつなのだろう。

 そして時代は変わる。
「朝廷は武力を持つべきだ」
「殺さなければ殺される」
「民を守るのは武者なのだ」
 優雅な貴族社会から武士の世界へ。
 これもまた諸行無常。
 すべては変わっていく。

 次回は最終回。
 予告を見るかぎり、明るく終わりそうだ。
 皆が楽しそうに笑ってる。
 清少納言(ファーストサマーウィカ)も笑っていた。
 どのような最終回になるのだろう?


※追記
 実資は物事を論理立てて考えられる人物。
 都であぐらをかいていた公卿ではなく、命がけで戦った隆家と武者たちを評価。
 褒賞を与えないと、今後危機があっても誰も戦わなくなると判断。
 公卿(官僚)の前例主義とは大きく違う。

※追記
 やり残したことは、倫子(黒木華)さまとの対決。
「それで、あなたと殿はいつからなの?」
 さて次回どのようなやりとりがなされるのだろう?

コメント (4)
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