周明(松下洸平)の死は感傷や劇的要素を排除していた。
最期の言葉は特に何かを語るわけでなく、「逃げろ……!」
遺体は弔われることなく、そのまま放置。
これが平安時代のリアリズム。
その後は太宰府で悲嘆に暮れているまひろ(吉高由里子)。
この描写が表わす所は何だろう?
すべては虚しい。
現実とはこんなもの。
死とはこんなもの。
人はただ生きて死ぬだけ。
まひろはこう痛感したに違いない。
道長(柄本佑)のおこなって来たことも虚しかった。
武者を派遣することで頼通(渡邊圭祐)と対立。
「民があまた死んでおるのだぞ! おまえはそれで平気なのか?」
しかし頼通は「前例なきこと」「やり過ぎ」「しばし様子をみましょう」と取り合わない。
公卿たちも実資(秋山竜次)以外は同じ反応。
つまり前例主義。
公任(町田啓太)は、隆家(流星涼)が政敵になることを懸念して褒賞を与えることに反対した。
つまり民のためではなく政治まわりの判断。
いったい道長のやって来たことは何だったのか?
息子や親友にまったく理解されていない。
道長の思いや考えがまったく後継者や仲間に伝わっていない。
この虚しさ。無力感。
道長は痛感しただろう。
人の人生とはこんなもの。
信念に基づいて何かを成し遂げてもいずれは風化する。壊れてしまう。
人生の虚しさを知って死に向かっているまひろと道長。
だが、彼らとは逆の思いを抱く人たちがいる。
まず乙丸(矢部太郎)。
「都に帰りたい!」「きぬに会いたい!」「きぬに紅をあげたい!」
「お方様と帰りたい!」「お方様帰りましょう」
○○したい。
欲望は生きていく原動力だ。
乙丸は生きることを志向している。
娘・賢子(南紗良)は、どう生きればいいか、を聡明に語る。
「人とは何なのか考えさせられました。
誰の人生も幸せではない。良い時は束の間。幸せは幻。
どうせそうなら好き勝手に生きてやろうと考えました。
わたしは光る女君になります」
人生は虚しい。
生きることは徒労。
だからこそ好き勝手に生きる。思いのまま生きる。
ふり返れば『源氏物語』の光源氏の生涯がそうだった。
光源氏は苦労もしたが、好き勝手に思うがままに生きた。
まひろは、書くことで「好き勝手に思うがままに生きること」を光源氏に託したのだ。
それは自分が出来なかったことだから。
まひろは道長とどこかで生きることを諦めた。
直秀(毎熊克哉)と遠い国で生きることを諦めた。
宋に行くことも諦めた。
人生は虚しい。
だから思うがままに生きよう。
これが今作のメッセージのひとつなのだろう。
そして時代は変わる。
「朝廷は武力を持つべきだ」
「殺さなければ殺される」
「民を守るのは武者なのだ」
優雅な貴族社会から武士の世界へ。
これもまた諸行無常。
すべては変わっていく。
次回は最終回。
予告を見るかぎり、明るく終わりそうだ。
皆が楽しそうに笑ってる。
清少納言(ファーストサマーウィカ)も笑っていた。
どのような最終回になるのだろう?
※追記
実資は物事を論理立てて考えられる人物。
都であぐらをかいていた公卿ではなく、命がけで戦った隆家と武者たちを評価。
褒賞を与えないと、今後危機があっても誰も戦わなくなると判断。
公卿(官僚)の前例主義とは大きく違う。
※追記
やり残したことは、倫子(黒木華)さまとの対決。
「それで、あなたと殿はいつからなの?」
さて次回どのようなやりとりがなされるのだろう?
最期の言葉は特に何かを語るわけでなく、「逃げろ……!」
遺体は弔われることなく、そのまま放置。
これが平安時代のリアリズム。
その後は太宰府で悲嘆に暮れているまひろ(吉高由里子)。
この描写が表わす所は何だろう?
すべては虚しい。
現実とはこんなもの。
死とはこんなもの。
人はただ生きて死ぬだけ。
まひろはこう痛感したに違いない。
道長(柄本佑)のおこなって来たことも虚しかった。
武者を派遣することで頼通(渡邊圭祐)と対立。
「民があまた死んでおるのだぞ! おまえはそれで平気なのか?」
しかし頼通は「前例なきこと」「やり過ぎ」「しばし様子をみましょう」と取り合わない。
公卿たちも実資(秋山竜次)以外は同じ反応。
つまり前例主義。
公任(町田啓太)は、隆家(流星涼)が政敵になることを懸念して褒賞を与えることに反対した。
つまり民のためではなく政治まわりの判断。
いったい道長のやって来たことは何だったのか?
息子や親友にまったく理解されていない。
道長の思いや考えがまったく後継者や仲間に伝わっていない。
この虚しさ。無力感。
道長は痛感しただろう。
人の人生とはこんなもの。
信念に基づいて何かを成し遂げてもいずれは風化する。壊れてしまう。
人生の虚しさを知って死に向かっているまひろと道長。
だが、彼らとは逆の思いを抱く人たちがいる。
まず乙丸(矢部太郎)。
「都に帰りたい!」「きぬに会いたい!」「きぬに紅をあげたい!」
「お方様と帰りたい!」「お方様帰りましょう」
○○したい。
欲望は生きていく原動力だ。
乙丸は生きることを志向している。
娘・賢子(南紗良)は、どう生きればいいか、を聡明に語る。
「人とは何なのか考えさせられました。
誰の人生も幸せではない。良い時は束の間。幸せは幻。
どうせそうなら好き勝手に生きてやろうと考えました。
わたしは光る女君になります」
人生は虚しい。
生きることは徒労。
だからこそ好き勝手に生きる。思いのまま生きる。
ふり返れば『源氏物語』の光源氏の生涯がそうだった。
光源氏は苦労もしたが、好き勝手に思うがままに生きた。
まひろは、書くことで「好き勝手に思うがままに生きること」を光源氏に託したのだ。
それは自分が出来なかったことだから。
まひろは道長とどこかで生きることを諦めた。
直秀(毎熊克哉)と遠い国で生きることを諦めた。
宋に行くことも諦めた。
人生は虚しい。
だから思うがままに生きよう。
これが今作のメッセージのひとつなのだろう。
そして時代は変わる。
「朝廷は武力を持つべきだ」
「殺さなければ殺される」
「民を守るのは武者なのだ」
優雅な貴族社会から武士の世界へ。
これもまた諸行無常。
すべては変わっていく。
次回は最終回。
予告を見るかぎり、明るく終わりそうだ。
皆が楽しそうに笑ってる。
清少納言(ファーストサマーウィカ)も笑っていた。
どのような最終回になるのだろう?
※追記
実資は物事を論理立てて考えられる人物。
都であぐらをかいていた公卿ではなく、命がけで戦った隆家と武者たちを評価。
褒賞を与えないと、今後危機があっても誰も戦わなくなると判断。
公卿(官僚)の前例主義とは大きく違う。
※追記
やり残したことは、倫子(黒木華)さまとの対決。
「それで、あなたと殿はいつからなの?」
さて次回どのようなやりとりがなされるのだろう?