宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にこんな描写がある。
列車が白鳥区の終わりに近づき、赤い帽子の背の高い車掌が切符の改札に来る時の描写だ。
切符を持っていないジョバンニが苦しまぎれにポケットから取り出した紙切れを見て車掌は尋ねる。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか」
「なんだかわかりません」
「よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着つきますのは、次の第三時ころになります」
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待まちかねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、だまって見ているとなんだかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように言いました。
「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です。こいつをお持もちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね」
これはどういう意味だろう?
「銀河鉄道の夜」をすでに読んでいる方はご存じだろうが、
ジョバンニは生きている存在であり、カムパネルラや銀河鉄道の他の乗客たちは死者たちだ。
ジョバンニ=生者=三次空間
カムパネルラ・乗客たち=死者=三次空間に存在しない人たち。
では『不完全な幻想第四次空間』とは何を意味するのだろう?
ジョバンニはこの時、天気輪の柱の草むらで眠っているわけだが、『夢の世界』を意味しているのか?
確かに僕たちが眠っている時に見る夢は不完全だ。
場所があっちこっちに移動して、さまざまな人が脈絡もなく出て来る。
ジョバンニは夢の世界で、カンパネルラや死者たちに繋がっているのか?
いずれにしても、ジョバンニが『第三次空間』に生きていることが確かだ。
そして鳥捕りがジョバンニの切符を見て言った言葉。
「こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です」
「ほんとうの天上さえ行ける切符」
「どこでもかってにあるける通行券」
そう、生きていれば、人はどこまでも歩いていけるのだ。
生きている者には無限の可能性があり、どんなことだって出来る。
しかし、死者にはそれがない。
死者の仕事は、ただ死んでいくことのみ。
『生への讃歌』
宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を通して、このことを描いているように思える。
現にカムパネルラと別れて、目が覚めたジョバンニは、自分に与えられた生をしっかり生きようと決心する。
人々の幸いのために生きようと決心する。
列車が白鳥区の終わりに近づき、赤い帽子の背の高い車掌が切符の改札に来る時の描写だ。
切符を持っていないジョバンニが苦しまぎれにポケットから取り出した紙切れを見て車掌は尋ねる。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか」
「なんだかわかりません」
「よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着つきますのは、次の第三時ころになります」
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待まちかねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、だまって見ているとなんだかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように言いました。
「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です。こいつをお持もちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね」
これはどういう意味だろう?
「銀河鉄道の夜」をすでに読んでいる方はご存じだろうが、
ジョバンニは生きている存在であり、カムパネルラや銀河鉄道の他の乗客たちは死者たちだ。
ジョバンニ=生者=三次空間
カムパネルラ・乗客たち=死者=三次空間に存在しない人たち。
では『不完全な幻想第四次空間』とは何を意味するのだろう?
ジョバンニはこの時、天気輪の柱の草むらで眠っているわけだが、『夢の世界』を意味しているのか?
確かに僕たちが眠っている時に見る夢は不完全だ。
場所があっちこっちに移動して、さまざまな人が脈絡もなく出て来る。
ジョバンニは夢の世界で、カンパネルラや死者たちに繋がっているのか?
いずれにしても、ジョバンニが『第三次空間』に生きていることが確かだ。
そして鳥捕りがジョバンニの切符を見て言った言葉。
「こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です」
「ほんとうの天上さえ行ける切符」
「どこでもかってにあるける通行券」
そう、生きていれば、人はどこまでも歩いていけるのだ。
生きている者には無限の可能性があり、どんなことだって出来る。
しかし、死者にはそれがない。
死者の仕事は、ただ死んでいくことのみ。
『生への讃歌』
宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を通して、このことを描いているように思える。
現にカムパネルラと別れて、目が覚めたジョバンニは、自分に与えられた生をしっかり生きようと決心する。
人々の幸いのために生きようと決心する。
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