今回の作品「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」の物語のテーマは次のやりとりに集約される。
「きみは僕にとって特別な存在だ」と言われて求婚をされた姉ヒラリーにジャッキーは怒りをまじえて言う。
「あなたは特別な存在などではない」
天才チェリストのジャッキーの様な音楽の才能に恵まれていないということだ。
それに対してヒラリーは言う。
「フツーの女になることはそれはそれで大変なことなのよ」
そして続ける。
「あなたからチェロをとったら何が残るの?」
ジャッキーことジャクリーヌ・デュプレは実在のチェリストだ。
天才チェリストとして世界を公演してまわっている。
彼女はこのチェロのお陰で名声を得、ダニエル・バレンボイムという伴侶も得た。
ジャッキーは「やっぱりあなたは私の味方」と言って自分とバレンボイムを結び付けてくれたチェロを愛する。
しかし、彼女に病魔が襲う。
多発性硬化症。
この病に拠り、彼女は手・脚などを末端から動かせなくなる。
チェリストとして致命的な病気だ。
少しずつ犯されていく病魔にいらついていくジャッキー。
「これを飲めば大丈夫」と意味のない薬を飲み、公演をする。
しかし、コップをうまく掴めず割ってしまったり、失禁をしたり。
彼女が「ジャクリーヌ・デュプレ」でいられたものが奪われていく。
彼女は夫のバレンボイムに訊く。
「チェロを弾けなくても私を愛してくれる?」
夫の反応は明快でない。彼はジャッキーの才能を、演奏する姿を愛していた。
チェロを失って、彼女は「普通の生活」を求めようとする。
そして、今は音楽を捨てて普通の生活を送っている姉のもとにやって来る。姉のヒラリーは、自分の持っていない「普通の生活」を手に入れている。
これに嫉妬するジャッキーは姉の夫・キーファーを奪おうとする。
これには当然ヒラリーも怒る。ヒラリーとぶつかってジャッキーは言う。
「誰かに愛されているという証拠がほしいの。誰かとセックスをしたいの」
言動もおかしくなり、ヒラリーは自分の夫と寝ることを許す。
ジャッキーはヒラリーを排除し、キーファーとヒラリーの子供たちを自分の家族の様に接する。家族が、普通の生活がほしかったからだ。
だが、夫はヒラリーのもとに戻ってくる。
自分の「普通の生活」が偽りのものであったことを知って、ジャッキーは夜中にチェロを弾きまくる。
そして悪化していく病状。
「演奏がしたいわ」というジャッキーの気持ちに応えて、演奏会が開かれる。
ジャッキーは小太鼓。車椅子に乗って、曲の最後に太鼓を打つだけの演奏。まわりが優雅に演奏するのに見とれてしまったジャッキーは、太鼓を打つのを忘れて演奏が終わってしまう。
しかし、万雷の拍手。
これがジャッキーの最後の舞台だった。
夫はパリ交響楽団の指揮者になり、帰って来ない。
マーラーの演奏会があるからロンドンに戻れないという夫の電話にジャッキーは言う。
「寂しいわ。マーラーがますます嫌いになったわ」
そして電話口から赤ん坊の声が聞こえてくる。夫の愛人の子だ。
ジャッキーは「自分の耳のせい」と言って電話を切るが、後で「ひどい男」とひと言言う。
ジャッキーは屋敷でひとり自分のレコードを聞きながら嗚咽する。
「演奏している時はちやほやして、演奏ができないと私はひとりぼっち」
冒頭の姉ヒラリーとのやりとりにあった様に「チェロをとられて、ジャッキーには何も残らなかった」。
病魔はいよいよ蝕み、ジャッキーは自分で身体を制御できず手足をばたつかせる。
そんなジャッキーを姉のヒラリーは抱きしめ、子供の頃の楽しかった想い出を語る。
「本当のジャクリーヌ・デュプレ」は、人生においてすべてを失った天才チェリストの物語だ。
この作品の特徴は、その現実に対して少しもフィクションを加えていないことにある。
普通の作品であれば、最後の演奏会の万雷の拍手で感動的に終わらせる。姉との関係をもっと感動的に描いて盛り上げることもできる。
しかし、作品はそうすることなくクールにジャッキーの現実を見据える。
唯一の脚色は、ジャッキーの子供時代の想い出で終わらせたこと。
海岸で遊ぶジャッキーとヒラリー。
まだチェロをやる前の子供のジャッキーに、大人になったジャッキーが現れて言葉をかける。
「心配しなくていいのよ」
この意味はどういうことか?
これから彼女が味わう人生の荒波について姉が見守ってくれるから「心配しなくていい」と言っているのか?
ここにわずかな救いを感じる。
この押さえたドラマ作りが、「人生の苦しさ・悲惨とかすかな救い」を見る者に与えてくれる。
★研究ポイント
エンタテインメントは夢を見せてくれるものだが、その人物の「人生」をしっかり見据え、絵空事でない現実を認識させてくれる作品も素晴らしい。これにわずかな救いとすぐれた文体があればエンタテインメントになる。
★研究ポイント2
この作品の文体とは「ヒラリー」の視点と「ジャッキー」の視点で描いていることである。
まずは「ヒラリー」の視点で時間が流れる。
続いて「ジャッキー」の視点で同じ時間が描かれる。
これにより、ジャッキーがこの時に何を思ったかが描かれる。
例えば、ジャッキーの言動がおかしくなり、ヒラリーの夫と寝た事件。
最初のヒラリーの視点で、観客はジャッキーに感情移入できない。
ヒラリーに感情移入して、ジャッキーをひどいやつと思う。
しかし、ジャッキー視点で、そこに至った経緯が描かれると、ジャッキーの辛さが伝わってくる。
見事な手法だ。
ジャッキーの公演地から洗濯物が送られてきたシーンもそう。
ヒラリーの視点のパートでは、単なる笑い話で済まされてしまったが、ジャッキーパートになると深いドラマが隠されている。
ジャッキーは、海外での生活で衣服を洗濯することも出来ず苦しんでいたのだ。そして洗濯された衣服が送られてくると「家のにおいがする」と言ってジャッキーは泣くのだ。
その時にチェロは雪の降る窓の外に置かれている。
ジャッキーは自分から家族との幸せな生活を奪ったチェロを憎んでいたのだ。チェロを憎むあまり、ジャッキーにはチェロを軋む音が聞こえる。
公演からジャッキーが帰って来た時のシーンも泣ける。
ヒラリー視点では、恋人が家に来て戸惑うヒラリーの気持ちが描かれるが、ジャッキー視点では哀しい。
公演中は孤独であったジャッキーはやっと家に帰れて嬉しかったし姉とも語り合いたかったのだが、恋人のせいでそれが出来なくなってしまったのだ。
ヒラリーにとっては何でもない出来事がジャッキーにとっては身を切られるような出来事。
ジャッキーの心情だけをシーンとして描いていたら、これほどのジャッキーの哀しみ・孤独は伝わって来なかっただろう。
視点の変化がドラマを深くした。
見事な手法だ。
「きみは僕にとって特別な存在だ」と言われて求婚をされた姉ヒラリーにジャッキーは怒りをまじえて言う。
「あなたは特別な存在などではない」
天才チェリストのジャッキーの様な音楽の才能に恵まれていないということだ。
それに対してヒラリーは言う。
「フツーの女になることはそれはそれで大変なことなのよ」
そして続ける。
「あなたからチェロをとったら何が残るの?」
ジャッキーことジャクリーヌ・デュプレは実在のチェリストだ。
天才チェリストとして世界を公演してまわっている。
彼女はこのチェロのお陰で名声を得、ダニエル・バレンボイムという伴侶も得た。
ジャッキーは「やっぱりあなたは私の味方」と言って自分とバレンボイムを結び付けてくれたチェロを愛する。
しかし、彼女に病魔が襲う。
多発性硬化症。
この病に拠り、彼女は手・脚などを末端から動かせなくなる。
チェリストとして致命的な病気だ。
少しずつ犯されていく病魔にいらついていくジャッキー。
「これを飲めば大丈夫」と意味のない薬を飲み、公演をする。
しかし、コップをうまく掴めず割ってしまったり、失禁をしたり。
彼女が「ジャクリーヌ・デュプレ」でいられたものが奪われていく。
彼女は夫のバレンボイムに訊く。
「チェロを弾けなくても私を愛してくれる?」
夫の反応は明快でない。彼はジャッキーの才能を、演奏する姿を愛していた。
チェロを失って、彼女は「普通の生活」を求めようとする。
そして、今は音楽を捨てて普通の生活を送っている姉のもとにやって来る。姉のヒラリーは、自分の持っていない「普通の生活」を手に入れている。
これに嫉妬するジャッキーは姉の夫・キーファーを奪おうとする。
これには当然ヒラリーも怒る。ヒラリーとぶつかってジャッキーは言う。
「誰かに愛されているという証拠がほしいの。誰かとセックスをしたいの」
言動もおかしくなり、ヒラリーは自分の夫と寝ることを許す。
ジャッキーはヒラリーを排除し、キーファーとヒラリーの子供たちを自分の家族の様に接する。家族が、普通の生活がほしかったからだ。
だが、夫はヒラリーのもとに戻ってくる。
自分の「普通の生活」が偽りのものであったことを知って、ジャッキーは夜中にチェロを弾きまくる。
そして悪化していく病状。
「演奏がしたいわ」というジャッキーの気持ちに応えて、演奏会が開かれる。
ジャッキーは小太鼓。車椅子に乗って、曲の最後に太鼓を打つだけの演奏。まわりが優雅に演奏するのに見とれてしまったジャッキーは、太鼓を打つのを忘れて演奏が終わってしまう。
しかし、万雷の拍手。
これがジャッキーの最後の舞台だった。
夫はパリ交響楽団の指揮者になり、帰って来ない。
マーラーの演奏会があるからロンドンに戻れないという夫の電話にジャッキーは言う。
「寂しいわ。マーラーがますます嫌いになったわ」
そして電話口から赤ん坊の声が聞こえてくる。夫の愛人の子だ。
ジャッキーは「自分の耳のせい」と言って電話を切るが、後で「ひどい男」とひと言言う。
ジャッキーは屋敷でひとり自分のレコードを聞きながら嗚咽する。
「演奏している時はちやほやして、演奏ができないと私はひとりぼっち」
冒頭の姉ヒラリーとのやりとりにあった様に「チェロをとられて、ジャッキーには何も残らなかった」。
病魔はいよいよ蝕み、ジャッキーは自分で身体を制御できず手足をばたつかせる。
そんなジャッキーを姉のヒラリーは抱きしめ、子供の頃の楽しかった想い出を語る。
「本当のジャクリーヌ・デュプレ」は、人生においてすべてを失った天才チェリストの物語だ。
この作品の特徴は、その現実に対して少しもフィクションを加えていないことにある。
普通の作品であれば、最後の演奏会の万雷の拍手で感動的に終わらせる。姉との関係をもっと感動的に描いて盛り上げることもできる。
しかし、作品はそうすることなくクールにジャッキーの現実を見据える。
唯一の脚色は、ジャッキーの子供時代の想い出で終わらせたこと。
海岸で遊ぶジャッキーとヒラリー。
まだチェロをやる前の子供のジャッキーに、大人になったジャッキーが現れて言葉をかける。
「心配しなくていいのよ」
この意味はどういうことか?
これから彼女が味わう人生の荒波について姉が見守ってくれるから「心配しなくていい」と言っているのか?
ここにわずかな救いを感じる。
この押さえたドラマ作りが、「人生の苦しさ・悲惨とかすかな救い」を見る者に与えてくれる。
★研究ポイント
エンタテインメントは夢を見せてくれるものだが、その人物の「人生」をしっかり見据え、絵空事でない現実を認識させてくれる作品も素晴らしい。これにわずかな救いとすぐれた文体があればエンタテインメントになる。
★研究ポイント2
この作品の文体とは「ヒラリー」の視点と「ジャッキー」の視点で描いていることである。
まずは「ヒラリー」の視点で時間が流れる。
続いて「ジャッキー」の視点で同じ時間が描かれる。
これにより、ジャッキーがこの時に何を思ったかが描かれる。
例えば、ジャッキーの言動がおかしくなり、ヒラリーの夫と寝た事件。
最初のヒラリーの視点で、観客はジャッキーに感情移入できない。
ヒラリーに感情移入して、ジャッキーをひどいやつと思う。
しかし、ジャッキー視点で、そこに至った経緯が描かれると、ジャッキーの辛さが伝わってくる。
見事な手法だ。
ジャッキーの公演地から洗濯物が送られてきたシーンもそう。
ヒラリーの視点のパートでは、単なる笑い話で済まされてしまったが、ジャッキーパートになると深いドラマが隠されている。
ジャッキーは、海外での生活で衣服を洗濯することも出来ず苦しんでいたのだ。そして洗濯された衣服が送られてくると「家のにおいがする」と言ってジャッキーは泣くのだ。
その時にチェロは雪の降る窓の外に置かれている。
ジャッキーは自分から家族との幸せな生活を奪ったチェロを憎んでいたのだ。チェロを憎むあまり、ジャッキーにはチェロを軋む音が聞こえる。
公演からジャッキーが帰って来た時のシーンも泣ける。
ヒラリー視点では、恋人が家に来て戸惑うヒラリーの気持ちが描かれるが、ジャッキー視点では哀しい。
公演中は孤独であったジャッキーはやっと家に帰れて嬉しかったし姉とも語り合いたかったのだが、恋人のせいでそれが出来なくなってしまったのだ。
ヒラリーにとっては何でもない出来事がジャッキーにとっては身を切られるような出来事。
ジャッキーの心情だけをシーンとして描いていたら、これほどのジャッキーの哀しみ・孤独は伝わって来なかっただろう。
視点の変化がドラマを深くした。
見事な手法だ。
いつもありがとうございます。
>見た作品や共感した作品に出会ったらコメントしてもよいでしょうか?
ぜひお願いします。
これがブログをやる楽しみですから。
それにしても今回改めて、この記事を読みましたが、未熟で気負いがあって恥ずかしいですね。
読んでいただいて恐縮しています。
「ジャクリーヌ・デュプレ」に関しては<芸術家>というものを考えさせられる作品ですね。
音楽のミューズには愛されたが、現実の人間には愛されなかったデュプレ。
それ故、愛を求めてもがき苦しむ。
「太陽と月に背いて」も見た記憶がありますが、芸術家というのはみんな、愛を求めて破滅的な人生を歩んでいますよね。
それもありきたりな愛では満足できない。
人間、何が幸せなのかわからなくなります。
平凡こそ実は幸せ。
まあ、こういう心の振幅が大きいのが芸術家なんでしょうね。
サン・サーンスのバイオリン協奏曲が素晴らしく良い曲でした。
この部分、投稿した直後から違和感がありましたが、やはり間違ってました。
朝になって、ひょろっと思い出しました。
エルガーの「チェロ協奏曲」です。
重厚で陰鬱な曲ですが、映画の場面とよく合っていて良かったですね。
特に、ラストが(^-^)v
エルガーって、「威風堂々」しか知らなかったですもんね。^^;
好きになりました。
過去記事に投稿するのは
ご迷惑かもしれませんが
見た作品や共感した作品に出会ったら
コメントしてもよいでしょうか?
「本当のジャクリーヌ・デュプレ」
息子に勧められて見ましたが
手法が変わっていたので、最初はかなり戸惑いました。
「動物の謝肉祭」くらいしか知らなかった
サン・サーンスのバイオリン協奏曲が素晴らしく良い曲でした。
以来しばらくはヘビロテしました。(笑)
>視点の変化がドラマを深くした。
見事な手法だ。
おっしゃられてみれば、確かにそうですね。
姉の視点と妹の視点
芸術家の孤独
切なく哀しい物語でした。
ヨコですが「太陽と月に背いて」
ご覧になりましたか?
ランボーとヴェルレーヌの友情(?)の話ですが、ちょっと似た香りがします。
音楽と詩作・・・芸術家の狂気のようなものを描いているからでしょうか。
女性監督アニエスカ・ホランドの映像美が良いですよ。
画面が一幅の絵画のようです。
どちらも好みの分かれる映画でしょうね。