れいわ新選組の山本太郎さん。
成田悠輔氏のおぞましい『高齢者は集団自決すべき』発言を国会で取り上げた。
成田発言の問題点については以前書いたので省略するが、
山本太郎が国会で取り上げた意図は以下のことにある。
①岸田首相に「この発言は極めて不適切である」と認めさせたこと。
つまり当然のことだが、成田悠輔発言が国の正式見解ではないという言質を取った。
②成田悠輔氏を農水省・財務省の広報に起用するのはおかしい、という指摘。
何と財務省と農水省は、心の奥底に優生思想を持つ成田氏にお金を払って広報をさせていたのだ。
山本太郎はさらに語る。
「国内消費の約4割(39%)を65歳以上の高齢者が担っている。
彼らがいなくなったら日本経済は崩壊する」
「国内の農業従事者の7割が高齢者。
彼らがいなくなったら日本の農業は成り立たなくなる」
データをもとに語る所が、山本太郎だ。
逆に成田悠輔氏はこういう数字を見て語っているのかね?
数字やデータでなく、イメージだけで語っているだろう?
これでよく「経済学者」を語れるな。
山本太郎はさらに語る。
「高齢者が切り捨てられる社会では障害者も切り捨てられる。
その次に切り捨てられるのはあなたかもしれない。
その先は「生産性が低い、役に立たない」と権力を持つ者たちが
勝手な物差しで決めることになる。
だからこそ、人間を切り捨てるような社会を許してはならない」
こんな社会にしないために、成田氏のような歪んだ思想の芽は摘んでおかなくてはならない。
健全な社会を後の世代に残すことが、僕たち大人の役割である。
※関連動画
山本太郎の国会質問!参議院・予算委員会(2024年3月15日)(YouTube)
※関連記事
成田悠輔、キリンのCMから降板!~「ネトウヨ」よりヤバい「ネオリベラリスト」の思想(当ブログ)
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成田発言の問題点については以前書いたので省略するが、
山本太郎が国会で取り上げた意図は以下のことにある。
①岸田首相に「この発言は極めて不適切である」と認めさせたこと。
つまり当然のことだが、成田悠輔発言が国の正式見解ではないという言質を取った。
②成田悠輔氏を農水省・財務省の広報に起用するのはおかしい、という指摘。
何と財務省と農水省は、心の奥底に優生思想を持つ成田氏にお金を払って広報をさせていたのだ。
山本太郎はさらに語る。
「国内消費の約4割(39%)を65歳以上の高齢者が担っている。
彼らがいなくなったら日本経済は崩壊する」
「国内の農業従事者の7割が高齢者。
彼らがいなくなったら日本の農業は成り立たなくなる」
データをもとに語る所が、山本太郎だ。
逆に成田悠輔氏はこういう数字を見て語っているのかね?
数字やデータでなく、イメージだけで語っているだろう?
これでよく「経済学者」を語れるな。
山本太郎はさらに語る。
「高齢者が切り捨てられる社会では障害者も切り捨てられる。
その次に切り捨てられるのはあなたかもしれない。
その先は「生産性が低い、役に立たない」と権力を持つ者たちが
勝手な物差しで決めることになる。
だからこそ、人間を切り捨てるような社会を許してはならない」
こんな社会にしないために、成田氏のような歪んだ思想の芽は摘んでおかなくてはならない。
健全な社会を後の世代に残すことが、僕たち大人の役割である。
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※関連記事
成田悠輔、キリンのCMから降板!~「ネトウヨ」よりヤバい「ネオリベラリスト」の思想(当ブログ)
「億兆」とか「蒼生」とかいう言葉です。あるいはつなげて「億兆蒼生」とすることもあります。
これは儒教では本当によく使う概念で「庶民」という意味です。億兆は「たくさん」で、蒼生も「雑草が生えているようにたくさんある」ということです。
儒教的な価値観では、社会の上に立つエリートは、億兆を大切にせよと教えます。この価値観で偉い人が暴走するのを防ぐわけです。
儒教では「偉い人に従え」という封建秩序への服従を言いますが、偉い人に対してもこのように守るべき歯止めを定めるわけです。
ところが、民営化とか自己責任とか、そういうベクトルの改革は、実はそういう儒教的な価値観とは違うものです。
「庶民の生活が苦しくなっても自己責任だ、放っておけ」ということで、儒教とは正反対なんですね。完全放置の本場の新自由主義ならば、自己責任の代わりに税金はムチャクチャ安くしますが、日本の場合そういった方向性でもないようです。ちょっと変です。
今の日本社会は、上に立つ人たちへの義務を極力なくして庶民は自己責任にする一方で、下の人に求める義務はそのままという、片務型儒教道徳社会に向かっているような気もします。
双務的な儒教的価値観よりも悪いですし、西側的な民主主義の価値観でもありません。本来の新自由主義でもありません。
いったい何を目指すのか…
いつもありがとうございます。
以前も書きましたが、儒教は国を統治するための教え。
儒教成立の背景には──
・孔子がいた時代は秩序のない滅茶苦茶な社会であったこと
・人間というのは放っておいたら何をするかわからない、という人間観
なので、孔子はこれを何とかしようとして、民に道徳を説き、権力者にはそれ以上の高い徳を求めました。
『敬老』もそのひとつですよね。
…………………………………………
成田氏のような新自由主義者たちが道徳を新しく作るとしたら、こんな感じでしょうか。
「高齢者が後の世代のために切腹をして死ぬのは美しいことだ」
成田氏が為政者なら、こんな法律を作るでしょう。「75歳で安楽死を選んだら国からお金を差し上げます」(映画『プラン75』)
世の中の価値観はこんなふうに簡単に変わるんですよね。
特に日本人は空気に流されやすい。
だから小さな芽の段階で、NOと言っておかなくてはならないと思っています。