平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

Q10のロボットしゃべりについて

2010年10月27日 | 研究レポート
 世の中には様々な言葉が溢れている。
 ワイドショーのコメンテイターの言葉、国会での政治家の答弁、ドラマの主人公たちの言葉etc。
 でも、これらの言葉がどれくらい我々の心に届いているのだろう?
 言葉が自分の中を通り過ぎていくだけで、少しも心の栄養になっていないようにも思える。

 前田敦子さんを演じるロボットQ10のしゃべり方。
 ある意味、意表をつきましたよね。
 完全なロボットしゃべり。感情のない無機質なしゃべり。電気音にも聞こえる。
 表情もない。時折首を傾げるくらいで喜怒哀楽もわからない。
 アイドル前田敦子を使うのだから、もっと彼女の可愛いらしさを出すという演技の可能性もあったのだろうが、敢えてそれをしない。
 でも、賛否両論あるだろうが、これが逆に新鮮になっている。
 「前田敦子がヒロイン、ならばこう来るだろう」と言う視聴者の予想を上手く裏切っている。

 では敢えてQ10にこの無機質なしゃべり方をさせた製作側の意図は何だろう?
 僕はQ10の言葉を平太(佐藤健)やまわりの登場人物たち、そして視聴者に届くものにしたかったからではないかと思う。

 例えば
 「コレハニンギョヒメノウロコデスカ?」
 「ココハイキテイケルバショデスカ?」 というせりふ。

 これが人間の口調で
 「これは人魚姫のうろこですか?」
 「ここは生きていける場所ですか?」

 と語られたのなら、もしかしたら他のせりふの中に埋もれてしまったかもしれない。
 ギターのピックを落とした山本民子(蓮佛美沙子)の心に響かなかったかもしれない。「なにバカなこと言ってるの?」でスルーされてしまったかもしれない。

 これは<せりふは感情に溢れ抑揚があるものが素晴らしい>という今までのせりふの常識をくつがえす手法だと思う。
 手垢にまみれた言葉を輝きのあるものにするには、無機質なロボットしゃべりの方が有効な場合がある。
 未来社会ではもしかしたらQ10のようなデジタルしゃべりの方が主流になるかもしれない。

 またドラマとしては前田敦子さんがますますロボットらしくなって、もしかしたら本当にロボット?と思えるようになったらすごい。それが楽しみ。



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