平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

宮沢賢治の世界①~「カイロ団長」

2011年12月13日 | 短編小説
 宮沢賢治の「カイロ団長」という作品の冒頭にこんな描写がある。

『あるとき、三十疋(ひき)のあまがえるが、一緒に面白く仕事をやって居りました。
 これは主に虫仲間から頼まれて、紫蘇(しそ)の実やけしの実をひろって来て花ばたけをこしらえたり、かたちのいい石や苔(こけ)を集めて来て立派なお庭をつくったりする商売でした。
 こんなようにして出来たきれいなお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。それは畑の豆の木の下や、林の楢(なら)の木の根もとや、又雨垂れの石のかげなどに、それは上手に可愛らしくつくってあるのです。』

 賢治の目には、庭の風景がこんなふうに見えるですね。
 この庭の風景はあまがえるが作っているんだと。
 自分の姿があまがえるのように小さくなって、あまがえるが働くさまを見ているような感じもある。
 こんな描写もある。

『さて三十疋は、毎日大へん面白くやっていました。朝は、黄金(きん)色のお日さまの光が、とうもろこしの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日さまの光が木や草の緑を飴色にうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしました。殊(こと)にあらしの次の日などは、あっちからもこっちからもどうか早く来てお庭をかくしてしまった板を起こして下さいとか、うちのすぎごけの木が倒れましたから大いそぎで五六人来てみて下さいとか、それはそれはいそがしいのでした。いそがしければいそがしいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大喜びでした。』

 これは<働く喜び>の表現。
 仲間とともに『歌ったり笑ったり叫んだり』、とても楽しそうです。
 『いそがしければいそがしいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大喜びでした。』
 というのもわかる。
 人は(この物語の場合は、あまがえるですが)、誰かの役に立つこと、必要とされることに喜びを感じるんですね。

 さて、物語は、そんなあまがえるたちの前に、とのさまがえるが現れることで大きく展開していきます。
 ウイスキーを飲まされ、それが高価で払えなくて、あまがえるたちは、とのさまがえるにこき使われることになるのです。
 とのさまがえるはあまがえるに無理難題を押しつけ、ノルマを科し、過酷な労働を強います。
 今までの楽しかった労働は一変し、ただつらいものに変わっていきます。
 賢治の中に、社会主義・共産主義の思想があったかは定かではありませんが、この、とのさまがえるとあまがえるの関係は<資本家と労働者の関係>に似ています。
 過酷な労働を強いられ、搾取されるあまがえるたち。

 やがて、王さまの命令が出て、あまがえるたちは解放され、とのさまがえるに復讐する時が来るのですが、この時にあまがえるたちがとのさまがえるに見せる反応は、まさに宮沢賢治の世界。実にやさしい。

 「カイロ団長」は10分くらいで読める作品なので、ぜひ読んでみて下さい。


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