◆◆父と母
何か事をやろうとすると、人がいなかったり、物がなかったり、お金がなかったり。チャンスが目の前にあるときは、今の自分の現状を考えると、まったく満足な体制が整っていなかったり。そして、そんなときに限って問題を抱えていたりするのです。だから、目の前のチャンスをつかもうと思ってもなかなかつかめない。
そんなジレンマを過去に何度も経験したことがあります。
本当に不思議なのです。チャンスがあると思って前に踏み出そうとする時に限って、ピンチ(問題)も同時に来ているのです。「何でこんな時に」と思うのですが、ほとんど例外なく、過去に万全の体制でチャンスに臨めたことはありませんでした。
そんな時は、いつも自己嫌悪に陥りました。(自分のやってきたことが間違っていたのではないか、俺には運がないのではないのか)そんなことを思ったりもしました。
ある時ふと、私の父のことを思い出しました。父は、父のお父さんの仕事(電気屋さん)を手伝っていましたが、その店を閉めることになったことで、独立をします。昭和32年、私が2歳の時です。父と母と乳飲み子の私と、3人での創業です。私が中学生くらいの時に、母がよく創業時のことを話してくれました。いろいろな苦労話をしてくれましたが、しかし、その体験談は何となく心が温まり、父と母が、夢や誇り、目標を失わなかった姿が伝わってきました。
そんな思い出の会話が私の中に残っていたのでしょう。ある時、そうです、ピンチとチャンスが同時にやってきたときに、こんな事を思えたのです。
(自分は何かやろうとするときに、人がいない、物がない、お金がない、問題を抱えている、体制が整っていない、などと考えているが、父や母のことを考えたらどうなんだろう。創業者が仕事を始めるときは、人も物も金も信用も、何もなかったはずだ。何かやろうとしても、全く不満足な体制からのスタートだ。それに比べて、私には、父が残してくれた信用もある。人も、物も、そして、十分ではないにしてもお金がある。何を贅沢なことを思っているのだ。父や母のことを考えたら、俺が抱えているピンチ(問題)なんて、何のことはない。ここで自己嫌悪に陥って、夢や誇り、目標を見失うなんて、愚の骨頂だ。)
そんなことを思えたとき、私のチャンスに対する取り組みが変わってきました。ピンチに負けない気力と、前向きな考え方がもてるようになりました。
チャンスとピンチは同時にやってくるのです。そのときに、神様?から試されているのですね。本当にやる気なのか、本当に性根が据わっているのか。最近はそう思って、物事に取り組むようにしています。
◆◆きびしい位置で人生を磨け
優れた風景画であればあるほど、優れた風景の写真であればあるほど、絵を描いているとき、シャッターを押している時には、画家も写真家も最悪の場所にいる。
私の知人で、とても心を打つ絵を描いている安食慎太郎という画家は、私の依頼した風景画を、命綱を使って描いたそうだ。そして、「風景画の良し悪しは、どの角度から描写するかで半分以上決まる」と言い切っている。
我々は通常、画廊や美術館や百貨店の展示会場で絵画を見たり、写真を見たりして、自分もこんな絵が描けたらいいなあとか、こんな写真が撮れたらいいなあとか安易に考えているが、感動を与える作品ほど、作者は命がけなのである。だから、私たちは逆境にいるとき、迷っているとき、苦しいとき、命がけで「人生」という作品を描いていると思えばよい。
安易に生きて、自分の都合の良い位置で作品を描いていても本物の作品は決して生まれない。
人生の「成功」という絵は、厳しい位置で描くから傑作になるのだ。
*田舞徳太郎著「自己を勇気づける言葉」より
◆◆40代からの仕事(再度書きます)
30代にある程度仕事が出来るという評価を固めてくると、40代は「周りを巻き込んだ、より責任範囲の広い仕事」を要求されるようになりますね。このあたりの年齢になってくると、社会性のある仕事振りが要求されてきます。仕事をやるにおいても、責任態度のある、腹の据わった姿勢が要求されます。問題が起こったときも、そのことから逃げず、最後まで後始末の出来る、そんな仕事ぶりです。
要するに、「逃げない、逃げられない」「言い訳できない、言い訳するな」「俺が周りを、、周りがあって俺がある」です。
そして、50代の仕事です。今、私は50代を驀進中です。50代の仕事は、今は語るのを止めましょう。・・・・と、前回書きましたが、「志を見失わない仕事ぶり」というのは50代の仕事ぶりの一つに入ってくるのではないかと、最近思っております。
何か事をやろうとすると、人がいなかったり、物がなかったり、お金がなかったり。チャンスが目の前にあるときは、今の自分の現状を考えると、まったく満足な体制が整っていなかったり。そして、そんなときに限って問題を抱えていたりするのです。だから、目の前のチャンスをつかもうと思ってもなかなかつかめない。
そんなジレンマを過去に何度も経験したことがあります。
本当に不思議なのです。チャンスがあると思って前に踏み出そうとする時に限って、ピンチ(問題)も同時に来ているのです。「何でこんな時に」と思うのですが、ほとんど例外なく、過去に万全の体制でチャンスに臨めたことはありませんでした。
そんな時は、いつも自己嫌悪に陥りました。(自分のやってきたことが間違っていたのではないか、俺には運がないのではないのか)そんなことを思ったりもしました。
ある時ふと、私の父のことを思い出しました。父は、父のお父さんの仕事(電気屋さん)を手伝っていましたが、その店を閉めることになったことで、独立をします。昭和32年、私が2歳の時です。父と母と乳飲み子の私と、3人での創業です。私が中学生くらいの時に、母がよく創業時のことを話してくれました。いろいろな苦労話をしてくれましたが、しかし、その体験談は何となく心が温まり、父と母が、夢や誇り、目標を失わなかった姿が伝わってきました。
そんな思い出の会話が私の中に残っていたのでしょう。ある時、そうです、ピンチとチャンスが同時にやってきたときに、こんな事を思えたのです。
(自分は何かやろうとするときに、人がいない、物がない、お金がない、問題を抱えている、体制が整っていない、などと考えているが、父や母のことを考えたらどうなんだろう。創業者が仕事を始めるときは、人も物も金も信用も、何もなかったはずだ。何かやろうとしても、全く不満足な体制からのスタートだ。それに比べて、私には、父が残してくれた信用もある。人も、物も、そして、十分ではないにしてもお金がある。何を贅沢なことを思っているのだ。父や母のことを考えたら、俺が抱えているピンチ(問題)なんて、何のことはない。ここで自己嫌悪に陥って、夢や誇り、目標を見失うなんて、愚の骨頂だ。)
そんなことを思えたとき、私のチャンスに対する取り組みが変わってきました。ピンチに負けない気力と、前向きな考え方がもてるようになりました。
チャンスとピンチは同時にやってくるのです。そのときに、神様?から試されているのですね。本当にやる気なのか、本当に性根が据わっているのか。最近はそう思って、物事に取り組むようにしています。
◆◆きびしい位置で人生を磨け
優れた風景画であればあるほど、優れた風景の写真であればあるほど、絵を描いているとき、シャッターを押している時には、画家も写真家も最悪の場所にいる。
私の知人で、とても心を打つ絵を描いている安食慎太郎という画家は、私の依頼した風景画を、命綱を使って描いたそうだ。そして、「風景画の良し悪しは、どの角度から描写するかで半分以上決まる」と言い切っている。
我々は通常、画廊や美術館や百貨店の展示会場で絵画を見たり、写真を見たりして、自分もこんな絵が描けたらいいなあとか、こんな写真が撮れたらいいなあとか安易に考えているが、感動を与える作品ほど、作者は命がけなのである。だから、私たちは逆境にいるとき、迷っているとき、苦しいとき、命がけで「人生」という作品を描いていると思えばよい。
安易に生きて、自分の都合の良い位置で作品を描いていても本物の作品は決して生まれない。
人生の「成功」という絵は、厳しい位置で描くから傑作になるのだ。
*田舞徳太郎著「自己を勇気づける言葉」より
◆◆40代からの仕事(再度書きます)
30代にある程度仕事が出来るという評価を固めてくると、40代は「周りを巻き込んだ、より責任範囲の広い仕事」を要求されるようになりますね。このあたりの年齢になってくると、社会性のある仕事振りが要求されてきます。仕事をやるにおいても、責任態度のある、腹の据わった姿勢が要求されます。問題が起こったときも、そのことから逃げず、最後まで後始末の出来る、そんな仕事ぶりです。
要するに、「逃げない、逃げられない」「言い訳できない、言い訳するな」「俺が周りを、、周りがあって俺がある」です。
そして、50代の仕事です。今、私は50代を驀進中です。50代の仕事は、今は語るのを止めましょう。・・・・と、前回書きましたが、「志を見失わない仕事ぶり」というのは50代の仕事ぶりの一つに入ってくるのではないかと、最近思っております。