エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

花吹雪

2015年04月05日 | ポエム
鈴鹿の山賊、野人が捉えた散る桜である。
3日の大風で、桜の余命も尽きたか!
と思いきや、まだまだ踏ん張っている。



枝もたわわ、である。
雪崩れるような桜は、見事である。



水面の見事さもそうだけれど、青々とした翠にかかる桜も良い。
その良さは、豊かさである。



週末の桜である。
さて、月曜日に小学の入学式まで持つのだろうか?
もって欲しい。

だがしかし、花吹雪は本格的である。







「花吹雪世間の芥もろともに」







散る桜の生き様に、人生を重ねる方も多い。
齢を重ねて、なお桜と云う花に自分を重ねる。

美しい感性である。



散るほどに、桜は自己完結する。
人はそれに森羅万象を見る。



そうか、そもそも日本人は自然に対して敬虔なのだ。



そもそも、自然を畏怖して止まないのだ。
それが美しい日本であり、原点なのだ。

桜の季節、ぼくはいつも覚醒させてもらう。
なんとも嬉しい。



      荒 野人

桜が好き

2015年04月04日 | ポエム
ぼくは、まるで鈴鹿山中の山賊になったように桜を恐れる。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」が真っ先に脳裏に浮かぶ。

而して、あの桜の見事さは「その下に肢体がうまっている」としか思えないのだ。
梶井基次郎の「桜の木の下には」が、浮かんでくる。

前者は、なまめかしく・・・後者は、透徹した感性だ。



とまれ今年は、開花宣言から満開・・・そして花散しとあっと云う間であった。







「さくらさくら都会の孤独重たくて」







桜は青空が良く似合う。
これは論を待たない。



満開の桜は、夜桜が良い。



詩的である。
その色合いが、である。

その奥深さが、である。



ぼくは、散る前に密やかに出かけた。
夜桜は、密やかにぼくを迎えてくれたのである。



闇に、光りあれと呼びかけた。
そして・・・熱あれと心から望んだのである。

桜には、それだけの価値がある。
日本人が桜を好きなのは、その神秘性からであるに違いないのだ。



       荒 野人

追記
桜の森の満開の下の梗概
「峠の山賊と、妖しく美しい残酷な女との幻想的な怪奇物語。
桜の森の満開の下は怖ろしいと物語られる説話形式の文体で、花びらとなって掻き消えた女と、冷たい虚空がはりつめているばかりの花吹雪の中の男の孤独が描かれている。」
桜の木の下にはの梗概
「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!だから美しいと云うのである。
散文詩と捉えることもあるけれど、ジャンルとしては短編小説である。」

ぼくはこの二つの作品を毎春に読む。
坂口安吾と梶井基次郎の傑作である。


春を食べる

2015年04月03日 | ポエム
春を食べた。
少しばかり、口に触るけれど春の香りと味覚のバランスは秀逸だ。



土筆である。
土の筆と書いて、つくし!
その対象を捉える日本人の感性に、感服である。



近ごろは、迂闊にそこら辺にある土筆は食べられない。
愛する皆さんのペットを批判する訳ではないけれど、ペットの散歩時に「おしっこ」をしてしまうからである。
ペットとしては、当然のマーキングであってその事自体は否定できない。
ただ、牧歌的な時代ではないのだと認識するのである。



この土筆は、前の写真の花壇で収穫した。
ペットの荒らした形跡もなく、清潔であると判断できたのである。







「ゆるやかに大気をつなぐ土筆摘む」







土筆の袴を丁寧に外す。
すると、すらっとした美味しそうな土筆に変身する。

この土筆を軽く湯�惜いて灰汁抜きを施す。
寝紅極めて少量の油を拭いて、軽く炒めて、溶き卵を回しかける。

出来るなら、卵は半熟くらいが美味しいのである。



これが完成形である。
箸でたっぷりと救い撮り、口に運ぶ。
口の中が春になる。



土筆をお食べにならない方が多い。
ぼくはやはり年に一度はこれを食べたくなるし、食べる。

土筆も幸せ、ぼくも幸せである。



     荒 野人

クロッカス

2015年04月02日 | ポエム
クロッカスは、春サフランとも呼称される。
ただし、クロッカスからは香辛料のサフランは採れない。
めしべの長さから、ひょっとしたら採れるかも・・・なんてのは幻想である。



それにしても、クロッカスは可愛らしい花である。






「単色と云う彩りのクロッカス」







クロッカスの花言葉は・・・
「青春の喜び」「切望」である。

花の色によって、少し花言葉が違う。
紫の花言葉は「愛の後悔」である。
黄の場合は「私を信じて」となる。



ギリシャ神話による物語を,語っておこう。
クロッカスとギリシア神話
美少年クロッカスがリーズという娘と恋に落ちる。
しかし、その恋がリーズの母親によって引き裂かれ、二人とも命を落としてしまう。
愛と美を司る女神アプロディーテーは二人を哀れみ、クロッカスをその名の花に、リーズを青いアサガオに変えたのである。



美しくも哀しい話である。



       荒 野人

カタクリ吟行

2015年04月01日 | ポエム
カタクリの吟行が終った。
参加者の念力の強さからだろうか、穏やかに晴れ渡った。

カタクリの花は、今年最高であった。
と云う事は、今年のメルクマールであったのだ。



斜面を覆い尽くすカタクリ。
自己主張しないカタクリが、個性豊かに咲いている。

斜面を覆うカタクリの存在感は圧倒的である。







「カタクリや一つ残さず野に放つ」







吟行の句の出来がどうかは、句会で示される。
かくいう野人は、未だ詠みきれていない。

誠に残念!

カタクリの咲く「清水山公園」では、まだキクザキイチゲの可憐な花が見られる。



この花も珍しい花である。
早春の山野で咲く、カタクリと同じスプリングエフエメラルである。



      荒 野人