(2009年3月5日)
宮崎県の美郷町には百済伝説があり、西暦660年頃、唐と新羅の連合軍との戦いに敗れた朝鮮半島の古代国家「百済」の王族一行が日本に亡命した後、南郷区に移り住んだと伝えられています。
その王族の遺品で奈良正倉院の御物と同一品と言われる銅鏡「唐花六花鏡」が多数この地に残されていることから、正倉院を復元することになったそうです。
昨年の暮れに奈良の正倉院を見にいった私ですが、あいにく閉鎖中だったので、この西の正倉院はしっかり見てみたいと思っていたのでした。
とにかく大きいですね。
正倉院って、いわゆる宝物の倉庫で東大寺なんかに比べてしまうと、なんだか小さなイメージがありますが、かなり大きな木造建築です。
私はその構造である校倉づくりの造形美と、1000年以上にわたって宝物を保存してきたその通気性などの機能に関心がありました。
間近で校倉の構造を見れたことは大変興味深かったです。
箪笥なんかに活かすことができればいいですね。
◆西の正倉院紹介HP
宮崎県の美郷町には百済伝説があり、西暦660年頃、唐と新羅の連合軍との戦いに敗れた朝鮮半島の古代国家「百済」の王族一行が日本に亡命した後、南郷区に移り住んだと伝えられています。
その王族の遺品で奈良正倉院の御物と同一品と言われる銅鏡「唐花六花鏡」が多数この地に残されていることから、正倉院を復元することになったそうです。
昨年の暮れに奈良の正倉院を見にいった私ですが、あいにく閉鎖中だったので、この西の正倉院はしっかり見てみたいと思っていたのでした。
とにかく大きいですね。
正倉院って、いわゆる宝物の倉庫で東大寺なんかに比べてしまうと、なんだか小さなイメージがありますが、かなり大きな木造建築です。
私はその構造である校倉づくりの造形美と、1000年以上にわたって宝物を保存してきたその通気性などの機能に関心がありました。
間近で校倉の構造を見れたことは大変興味深かったです。
箪笥なんかに活かすことができればいいですね。
◆西の正倉院紹介HP