ルクスの紙芝居 画像チャンネル
今回の画像チャンネルは ルクス達が修学旅行から帰ってきた学生に出会ったときのお話です。
このお話は、僕が修学旅行に行ったときの思い出で 実際こういうことがありました。
僕が高校生のとき 修学旅行の思い出が 殴らて帰ってきた という思い出しかありません。
出発からバスに乗ってるときから 自分はちょっとヤバイかなーって感じてました。
なので 旅先も できるだけ ひとりにならないように 行動してたのですが
殴られる前日の晩 気の合いそうな友達と宿の部屋に一緒になりまして
僕と殴った彼についていろいろ聞いてきたのです。
僕も彼に対してかなりストレスが溜まってまして
彼のとこを愚痴ったら 帰りの船の甲板で 仲間数人をバックに 愚痴った彼に顔面を殴られてしまいました。
殴られた顔も直後は鼻血ぐらいでなんでもないように見えるのですが それから数時間 ずっと船内にいたら 時間が経つにつれ僕の顏がお岩さんのようになっていました。
先生たちも後から僕の顔を見てビックリしたみたいで いろいろ先生に聞かれたけど 身体がフラフラで言葉が出なかった記憶しかありません。
帰路について 父親が車で迎えにくるまでの間 駅のホームでラーメンを食べて待っていました。
父親が迎えに来て 僕の顔を見て さすがに激怒しました!
すぐに父親が学校に連絡したみたいなのですが 父親も学校の授業料をなかなかちゃんと払ってなかった負い目もあったようで 強く言えなかったみたいです。
父親には 栄養失調で倒れて病院通いに付き合ってもらったりとか 産経新聞の配達のバイトを始めるにあたっては、自転車を遠くからわざわざ 下宿先に送ってくれたりとか
部活のジャージを買うのにも お金がかかるのに
その当時の父親のことを思い出すと ほんと頭が上がらないです。
その後も僕は学校に呼び出されて 暗いところで 殴った連中らの前で「親にチクっただろ!」と脅されまして!
今思えば理不尽ですよ
その後 僕は口を閉ざした訳です。
部活も秋の大会に出て以降辞めてますので 当然学校のコネで進学することも就職もできず 学校も沢山休んでましたので 就職試験も落ちまくってました。
一方 殴った相手は 勉強もできたし部活も3年間やってたから 大きい会社にご就職されたみたいですが
僕はと言いますと 授業料と車の免許代を払うためにしてたバイト先に当時の最低賃金が日給3500円だったのですが それより100円高い日給3600円の会社に就職しました。
その後も 課長に 僕の前でまた親の悪口を言われまして 気が短い僕は、その会社も辞めてしまいました。
唯一 僕は 馬鹿に生まれてよかったなと思います。
高校時代こんなことがあっても 学校や部活動以外に 歌やゲームや女の子に夢中になってましたから・・・別な顔でなんとか生きてました。
賢かったら 自殺か殺人してましたよ!
僕を多少かばってくれたヤンキーもいたのですが 在学中にバイクで死んでしまい
彼の自宅がわからなくてお線香もあげられなくて それだけが残念です。
でもなんとか 高校は卒業しまして 卒業式の祝電で 僕が出た中学校から電報で「おめでとう」 と読みあげられたときが 一番うれしかったです。
ご覧いただき ありがとうございました。
今回の画像チャンネルは ルクス達が修学旅行から帰ってきた学生に出会ったときのお話です。
このお話は、僕が修学旅行に行ったときの思い出で 実際こういうことがありました。
僕が高校生のとき 修学旅行の思い出が 殴らて帰ってきた という思い出しかありません。
出発からバスに乗ってるときから 自分はちょっとヤバイかなーって感じてました。
なので 旅先も できるだけ ひとりにならないように 行動してたのですが
殴られる前日の晩 気の合いそうな友達と宿の部屋に一緒になりまして
僕と殴った彼についていろいろ聞いてきたのです。
僕も彼に対してかなりストレスが溜まってまして
彼のとこを愚痴ったら 帰りの船の甲板で 仲間数人をバックに 愚痴った彼に顔面を殴られてしまいました。
殴られた顔も直後は鼻血ぐらいでなんでもないように見えるのですが それから数時間 ずっと船内にいたら 時間が経つにつれ僕の顏がお岩さんのようになっていました。
先生たちも後から僕の顔を見てビックリしたみたいで いろいろ先生に聞かれたけど 身体がフラフラで言葉が出なかった記憶しかありません。
帰路について 父親が車で迎えにくるまでの間 駅のホームでラーメンを食べて待っていました。
父親が迎えに来て 僕の顔を見て さすがに激怒しました!
すぐに父親が学校に連絡したみたいなのですが 父親も学校の授業料をなかなかちゃんと払ってなかった負い目もあったようで 強く言えなかったみたいです。
父親には 栄養失調で倒れて病院通いに付き合ってもらったりとか 産経新聞の配達のバイトを始めるにあたっては、自転車を遠くからわざわざ 下宿先に送ってくれたりとか
部活のジャージを買うのにも お金がかかるのに
その当時の父親のことを思い出すと ほんと頭が上がらないです。
その後も僕は学校に呼び出されて 暗いところで 殴った連中らの前で「親にチクっただろ!」と脅されまして!
今思えば理不尽ですよ
その後 僕は口を閉ざした訳です。
部活も秋の大会に出て以降辞めてますので 当然学校のコネで進学することも就職もできず 学校も沢山休んでましたので 就職試験も落ちまくってました。
一方 殴った相手は 勉強もできたし部活も3年間やってたから 大きい会社にご就職されたみたいですが
僕はと言いますと 授業料と車の免許代を払うためにしてたバイト先に当時の最低賃金が日給3500円だったのですが それより100円高い日給3600円の会社に就職しました。
その後も 課長に 僕の前でまた親の悪口を言われまして 気が短い僕は、その会社も辞めてしまいました。
唯一 僕は 馬鹿に生まれてよかったなと思います。
高校時代こんなことがあっても 学校や部活動以外に 歌やゲームや女の子に夢中になってましたから・・・別な顔でなんとか生きてました。
賢かったら 自殺か殺人してましたよ!
僕を多少かばってくれたヤンキーもいたのですが 在学中にバイクで死んでしまい
彼の自宅がわからなくてお線香もあげられなくて それだけが残念です。
でもなんとか 高校は卒業しまして 卒業式の祝電で 僕が出た中学校から電報で「おめでとう」 と読みあげられたときが 一番うれしかったです。
ご覧いただき ありがとうございました。