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SHOW-YA しどけなくエモーション  PV

2020-11-24 14:33:28 | ノックノック(雑記の宿)

SHOW-YA しどけなくエモーション  PV

 昨日、ラジオ番組を聴いていて『SHOW-YA』の曲が流れてました。

 『SHOW-YA』このグループバンドが出た頃は、『レベッカ』がメジャー的にヒットし、『レベッカ』については僕もいろいろと述べていましたが、メジャーになった時代は、ある意味、僕の手から離れてました。

 女性ボーカルロックバンドの成功者『レベッカ』によって、女性ロックバンドの地位が上がりました。その中で目をつけたのが『SHOW-YA』でした。

 女性だけで結成(構成)されたロックグループ(バンド)は、次期的に見て『これ』と思いました。女性だけのバンド。あの時代はありえない時代でした。それゆえ成功してほしいと願うように思ってました。

 僕も若かったので、近所にいる友達に聴いてもらって紹介したりもしたんですが、田舎者の悪いところで、女性蔑視、女性を軽んじる傾向があったのか?結果が出てないものには総スカンな状態で「いいじゃん」と言ってくれる男友達は身近にいませんでした。女性は多少反応はありましたけど、身近な男性人には僕も含めて排除される傾向にありました。

 才能のないやつはことごとくコミュニティから外してゆく。僕もそのひとりで、置いていかれまいと背伸びしていた時代でした。

 そういう中でも気のいい友達もいて、僕の家に訪ねて来て「なんか死んだって聞いたから」と、「死んだ!」陰では僕は死んだことになってました。

 学校の教室に来たら机に花瓶が置かれてるような状態。そういうことが田舎に住んでて平気でありました。そういう嫌がらせもあったりして、こっちも意地になって同窓会の幹事を買ってでたり、人前に積極的にでるようにしてました。若い時代にしかできないようなことには首をつっこんで、煙たがられたりもしましたけど、学生時代の担任教師、校長先生などが亡くなれば、あとから家に訪ねてお線香もあげていました。

 でも悲しいですよ。先に行った友達は葬儀は盛大だった云々。「なぜ、そのとき俺にも連絡してくれないんだよ」と思いつつ。盛大な葬儀の日の話しをされて、なんとも仲間外れな感じで虚しかったです。

 拗ねた言い方しますけど、肝心なときは僕は外されていた時代でした。死んだら呪ってやりますよ。妻にも『俺が死んであいつが来たら恨んでたと言ってくれ』と、遺言は伝えてあります。来ないでしょうけど。

 音楽に関しては僕は柄じゃないと思われてたのかな。「おまえがロックを語るなんて柄じゃない」そういうムードでした。

 だから『レベッカ』を聴かせても、『SHOW-YA』を聴かせても、おまえはそういう柄じゃない。そのようなイメージだったんでしょうね。演歌でも聴いてればよかったのかなー。

 高校時代、ラジオDJになりたい時がありまして、洋楽枠がちょうど空いていた頃で、洋楽ヒットポップはとにかくジャンルを問わず聴きまくってウンチクを語れるぐらいまでは勉強してました。

 今でもその癖はなおってませんが。なんていうか柄じゃなかったんでしょうね。全然自分を理解してもらえませんでした。(背中を押してくれるひとが僕にはいなかった)

『SHOW-YA』にもどりますけど、そのときから女性バンドが認知されるようになって、『プリンセスプリンセス』が時代を制覇しました。

『プリンセスプリンセス』は女性にも支持があった。男性人からすると女性に圧倒されたような時代でしたけど、『SHOW-YA』がその位置にいてほしかったと思いました。このグループ同士は仲が悪いと書かれてましたけど、仲が悪かったのはファンの間だけです。

『SHOW-YA』は男目線で見ていた部分もありました。実際、ボーカルの寺田さんは、個人的にタイプだったんですよ。どうも、僕のDNAが騒ぐタイプなんですよね。「ないものねだり」。楽曲よりも個人的に自分のものにしたかった。それが僕としての誤算でした。

 その後、メタル路線に移り変わって、『限界LOVERS』が『プリンセスプリンセス』の牙城を切り裂くように躍り出て。爽快感はありました。

 

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