コメント
 
 
 
私の子供も・・・ (プラム)
2007-10-07 04:11:11
いつも拝見させていただいています。
私の息子(小5)も劇症の肝炎で今年の年明け早々
に小児の生体肝移植では世界でもトップの
症例のある関西の大学病院で父親がドナーとなり
緊急に肝移植をしました。
昨年末の12月半ば「お腹が痛い」と言い出し
母親の私が見ても目が黄色っぽく、すぐかかりつけの
小児科に行き総合病院の紹介状をもらい検査入院
になりました。年齢的にみてもA型の急性肝炎だろう
との最初の診断が検査を重ねるうちにA、B、C型
のいずれでもなくD、E型のウイルスの検査もしましたがなにひとつあがってこないうちに発病4日ほどで
血液中のPT値が急激にさがりだし血漿交換を
何度かやるも改善せず「生体肝移植を考えてください」と言われた時の気持ちは・・・・。
私達夫婦は、なぜ小学生の息子が10年間何の病気もせず元気で生きてきてある日の腹痛が生体肝移植を
宣告される事態になるのか全くわからず
涙が枯れるとはこういう事をいうのだ・・と思うくらい2週間泣き明かしました。
発病2週間目には肝性脳症も現れ、移植外科の教授に
「少しでも状態の良いうちに移植をやるほうが必ず
元気になります」という言葉を信じ移植をお願いしました。
術後、ビリルビンがなかなか下がらず入院が3ヶ月かかりましたが退院後は肝機能、ビリルビン、その他の
値もほぼ正常値になり先日の運動会も元気に参加
出来るまでに回復しています。
肝臓さんの劇症肝炎はB型肝炎の劇症化ということ
ですが、息子の場合いまだ成因不明で何が原因で
肝臓がここまでに攻撃される事態が起きたのかと
考えると納得のいくものではありません。
でも劇症肝炎の半分は成因不明ということもたびたび
耳にして、こういう思いをしているのは私達だけでは
ないのだな~と思うようにもなりました。
親馬鹿ですがある日を境にこういう体になった息子
ですが入院中からずっと病気になった事の不満やぐち
など一度も言わず退院後、学校復帰をしてからは
病気のことに触れられたくもないようで学校での
特別扱いも嫌がるほどです。
本当は10歳にしてほぼ一生薬を飲み続けなければいけない事、頑張っていた水泳を辞めざるえなくなったこと、林間学校も一人だけ日帰りでしか参加できなかったこと、大好きだったお刺身を用心のためにも当分
口に出来なくなった事、時々ある、心ないお友達の
中傷など我慢や辛さをどれだけ味わってるかと思うと
母である私はいまだに毎日涙にくれますが、息子は
子供らしくマンガやゲームに夢中になり塾にも復帰し
我慢や辛さを口にするより今、自分が楽しめること、出来る事に楽しみを見出している姿に子供って大人
が思っている以上に強いんだな~とわが子ながら
頼もしく思えます。
病気になるまでは悲しみや辛さを背負って生きている
方々とは無縁の生活でしたが今、元気で生きていても
明日元気でいられるかなんて人間は紙一重の中で
生きているのだと息子の病気により教えられました。
小児病棟にはもっともっと大変なお子さんも沢山
いらして懸命に支えるお母さん方といつも話して
いたのは「生きてくれてるだけでいい」と。
子供が元気な時には考えもしなかった言葉です。
「元気でいてくれたらそれだけで何よりの親孝行を
もらっているのよ」と周囲のお母さん方に話すと
「本当にそうだね~そんなこと初めて思った」と
言われます。あの時、移植が間に合わなければ今頃
息子の命はありませんでした。生きてくれて前と
変わらず口答えをする息子を見て、よくぞ!ここまで
頑張ってくれた・・・と思わずにはいられなくなった
分だけ母親として少しはマシになったのかなとも
思います。
初めてコメントする肝臓さんのブログに私ごとばかり
長々と書いて申し訳ありませんが同じ劇症の肝炎で
肝移植した子供を持つ親としてお互いに絶対頑張って行きましょうね!という気持ちです。
息子も移植の後遺症なのか白血球や血小板が少ないの
が要注意だと言われてますが日常生活に支障をきたす
まではないところなので、肝臓がこのままずっと
安定して落着いてくれることを願うばかりです。
肝移植者の先輩として今後も肝臓さんのブログを
楽しみにしておりますので、どうかお体、無理されず
ブログを続けていただきたいです。
特定疾患受給者証の件などお聞きしたいこともありますのでまた近いうちにコメントさせてください。
長くなり大変失礼しました。

 
 
 
泣きたい時は (かんぞう)
2007-10-07 21:29:59
プラムさん、いつも見て頂いて、そして貴重なお話し、ありがとうございます。
大変な状況の中、暖かく、強くお子さんを見守ったお母さん、危険を顧みずわが身を捧げたお父さん、ご夫婦の愛情がお子さんを救ったんだと思います。

そして何より頑張ったお子さんは本当に立派ですね。

いつも思うのですが、ある一つの社会を経験した私達大人と違って、小さな子供さんは、もの心付いた時から、病気を背負っていかなければなりません。

それって物凄く辛くて苦しい事だと思うんです。

それなのに子供はみな明るいですよね。
ワタシが1年間入院して見てきたお子さんは、大人よりもずっと明るくて、それでいながらしっかりと自分の状況を受け入れているんですよね。

実際に、ブログの友人であるナナさんや、ピロさんもしっかりと自分を見据え、前向きに生きてます。

プラムさんもおっしゃっているように、子供達から教えられた事、私もたくさんあります。


息子さんの場合、原因不明とのことですが、そうであればなお更、受け入れ難い気持ちが強いと思います。

辛さや愚痴を伝えない息子さんの気持ち、楽しみを見出そうとする気持ち、痛い程わかります。

でも病気になってみないと得られないものは確かにありますが、おそらく心の中はまだまだ辛いことで満たされていると思います。
私が言うまでもありませんが、お母さん、お父さんの愛情でたくさん包んであげて下さいね。
お子さんの全てを受け入れてあげて下さいね。


プラムさんのコメントを見ていた妻がしみじみと言ってました。

「「生きてくれてるだけでいい」ってホントあの時の私と同じ気持ち、他に何もいらないって思ったもん」



ワタシもそうですが、息子さんもきっとこの先、色々な難題がまだ待ち受けていることと思います。
ワタシはできる限り(と言っても大した事はできませんが)、このブログで色んな事、発信し続けていきたいと思っています。
たとえ万が一、再発したとしても、苦しい状況になったとしても、続けていきたいと思っています。

こうしてプラムさんからコメントを頂けたこと、息子さんが頑張っているのを知ることができたこと自体が、私自身の力にもなってますから。



お子さんのこと、あれこれ考えて泣きそうな時はいつでも待ってますよ。
私も「泣く」ことだけは超一流になりましたから。
 
 
 
Unknown (ちー)
2007-10-09 17:04:49
想像しただけで 痛いし怖い・・・

ここまでするのは 手術ですよ~!!

ドレーンを抜くだけで 大騒ぎする私には無理!!

実際にドレーンを抜いた瞬間は

痛くはなかったけれど・・・・


看護計画?だかに
「検査や処置の際、痛みや苦痛をなるべくやわらげられるよう、看護します」
みたいなこと書いてありますけど、
あれって???

医師な看護師さんにとっては 特別なことではないのでしょうけれど、どんな検査でも処置でも手術でも、
未経験のことは怖いし、経験があったって、
痛みを感じるのは私たち患者ですもん。


何百回 採血したって、針の傷みを感じなくはならないですからね~


麻酔でも麻薬でも なんでもいいから限界まで使って欲しいと、私も常に思ってます。

 
 
 
放射線か? (かんぞう)
2007-10-09 22:24:45
第一外科で手余し状態になってからは、方向が放射線科に移り出したんですけど、はっきり言って、放射線科は嫌いです。

結局、痛い思いしかしなかったような気がします。

ちーさん、やっぱり一外の先生方は優しいですよ。
優しいというか、担当の診療科だから当たり前かもしれないんですけどね。

入院中は放射線科の他にも、歯科、泌尿器科、第二内科、第三内科、整形外科、揚げ句に精神科まで、他にも色々かかったんですけど、どうも他人の家というか、一外だけが我家のような感じで落ち着きました。

でも、巷の噂では7階の看護師さんが一番厳しいんですよね。
ここだけの話しですけど。ね。
 
 
 
私も (るみ)
2011-11-08 09:36:18
私は肝膿瘍で肝臓ドレナージをやりました。立派な手術だと思います。生身に針刺してグリグリやられましたからね。入院中にこのブログを知り、ブックマークさせていただきました。今、少しずつ読んでます。
 
 
 
Unknown (かんぞう)
2011-11-08 19:47:05
るみさん、初めまして。

グリグリ、思い出します。
入院中、手術を含め、何が痛かったかって、この穿孔が、術後の痛みよりも上でした。
麻酔が切れるんですから。

できれば二度とやりたくないですね。

これからもよろしくお願いします。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。