コメント
排他
(
junseok
)
2008-10-07 17:42:16
こんにちは。
一種偏見かも知れませんが、
「まず排他」って感じありませんか?
つまり「これは悪いから辞めよう。代案?時間の流れに任せよう」というような方法が一般化しすぎてる感じがします。
代案を示すより、
悪い部分を切って、
ほとぼりが冷めるのを待つ。
それを中心になってるのかな?と。
見当違いの話をしますが、
例えば就職氷河期の時も、
雇用を控え、それが過ぎても新卒が中心ですよね。
リクルートとかで探そうにも、
卒業年とかが限定させられてますし。
もっと開放はしてほしいと感じます。
確かに
(
かんぞう
)
2008-10-07 21:53:45
junseokさん、こんばんは。
それはあります。
他に、ちょっと話しは違うかもしれませんが、社会生活でもそうですが、学校でも日常でも、多数派に付いていればまず一安心、っていう風潮。
今は就職に限らず、切り捨ての時代ですよね。
「他人の事までかまっていられない」が当たり前で正当化されているような気がします。
単に年齢以外に卒業年の限定もあるのですか。
新卒中心というのはきっと給与の関係が大きいのですよね。
実力やスキルであったり、やる気や努力を優先してくれてもいいと思います。
会社を離れてみてよく感じる事ですが、それなりの業務にはそれなりの対価があって当然で、今は企業なり、経営者のみが高利益を得ている歪んだ状況だと思います。
そうですね
(
junseok
)
2008-10-07 22:06:36
こんばんは。
人間って対価ってほしいと思います。
口では忠誠心だの義理だの言っても、
実際9割以上は「利」を求めないと
生活していけないわけですし。
話は変わりますが、
僕は「食べ物の扱い方=人材の扱い方」と思ってます。
昔は食べ物は種類も量も少ないわけで、
地面に落ちたとしても食べていましたよね。
人材も経済発展もありましたが、
性格に問題があろうと、過去があろうと使う。
しかし国が豊かになり、
食べ物も衛生、品質を求めるようになり、
更に種類や量も増えたので、
曲がったり傷のある食べ物は疎遠されるようになりました。また地面に落ちたら「汚いから捨てなさい」と捨てる時代に変わってしまいました。
人材も安定性と効率化を求めるあまり、
性格に難があったり、
人間関係を上手く作れない人間は
社会から疎遠されやすい傾向になりました。
なんだか食べ物への扱い方と
人間への扱い方って
似ているなって思うんです。
最近曲がったきゅうり、傷のあるトマトが
見直されてますが、人材もそうあってほしいものです
ネットで見ても食べ物と人材の扱い方の関係性って誰も触れてなかったので。僕だけですかね?
こう思ってるのは。
食は大事
(
かんぞう
)
2008-10-08 10:56:47
junseokさん、こんにちは。
産まれも育ちも農家出身の自分としては、自分が厳しくされてきたように、子供達には食事だけは大切にするよう言っています。食べ方も含めて。
どんなに立派な人でも、食べ物の扱い方1つで印象が変わってしまいますよね。
それなのに我が家のボンズたちは食べ物を大事にしません。
飽食の時代と言われて久しいのですが、やはりjunseokさんが言うように、豊かになったせいで、その扱いも適当になりつつあると思います。
表面的に豊かになるのと反対に、精神的に貧しくなってきた事は否めません。
ですから食を大事にする事は人間を大事にする、食の多様性を認める事は人間の特性を認める事に繋がる、わたしもそう思います。
世の中全体が、もっとゆっくり廻り出すといいですね。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
一種偏見かも知れませんが、
「まず排他」って感じありませんか?
つまり「これは悪いから辞めよう。代案?時間の流れに任せよう」というような方法が一般化しすぎてる感じがします。
代案を示すより、
悪い部分を切って、
ほとぼりが冷めるのを待つ。
それを中心になってるのかな?と。
見当違いの話をしますが、
例えば就職氷河期の時も、
雇用を控え、それが過ぎても新卒が中心ですよね。
リクルートとかで探そうにも、
卒業年とかが限定させられてますし。
もっと開放はしてほしいと感じます。
それはあります。
他に、ちょっと話しは違うかもしれませんが、社会生活でもそうですが、学校でも日常でも、多数派に付いていればまず一安心、っていう風潮。
今は就職に限らず、切り捨ての時代ですよね。
「他人の事までかまっていられない」が当たり前で正当化されているような気がします。
単に年齢以外に卒業年の限定もあるのですか。
新卒中心というのはきっと給与の関係が大きいのですよね。
実力やスキルであったり、やる気や努力を優先してくれてもいいと思います。
会社を離れてみてよく感じる事ですが、それなりの業務にはそれなりの対価があって当然で、今は企業なり、経営者のみが高利益を得ている歪んだ状況だと思います。
人間って対価ってほしいと思います。
口では忠誠心だの義理だの言っても、
実際9割以上は「利」を求めないと
生活していけないわけですし。
話は変わりますが、
僕は「食べ物の扱い方=人材の扱い方」と思ってます。
昔は食べ物は種類も量も少ないわけで、
地面に落ちたとしても食べていましたよね。
人材も経済発展もありましたが、
性格に問題があろうと、過去があろうと使う。
しかし国が豊かになり、
食べ物も衛生、品質を求めるようになり、
更に種類や量も増えたので、
曲がったり傷のある食べ物は疎遠されるようになりました。また地面に落ちたら「汚いから捨てなさい」と捨てる時代に変わってしまいました。
人材も安定性と効率化を求めるあまり、
性格に難があったり、
人間関係を上手く作れない人間は
社会から疎遠されやすい傾向になりました。
なんだか食べ物への扱い方と
人間への扱い方って
似ているなって思うんです。
最近曲がったきゅうり、傷のあるトマトが
見直されてますが、人材もそうあってほしいものです
ネットで見ても食べ物と人材の扱い方の関係性って誰も触れてなかったので。僕だけですかね?
こう思ってるのは。
産まれも育ちも農家出身の自分としては、自分が厳しくされてきたように、子供達には食事だけは大切にするよう言っています。食べ方も含めて。
どんなに立派な人でも、食べ物の扱い方1つで印象が変わってしまいますよね。
それなのに我が家のボンズたちは食べ物を大事にしません。
飽食の時代と言われて久しいのですが、やはりjunseokさんが言うように、豊かになったせいで、その扱いも適当になりつつあると思います。
表面的に豊かになるのと反対に、精神的に貧しくなってきた事は否めません。
ですから食を大事にする事は人間を大事にする、食の多様性を認める事は人間の特性を認める事に繋がる、わたしもそう思います。
世の中全体が、もっとゆっくり廻り出すといいですね。