コメント
Unknown
(
ゆい
)
2007-06-07 23:03:17
ブログ村より来ました。
言葉の一つで捕らえ方変わってきますね。凄く感じます。なってみなくては分からない立場・・・・。
人間に生まれた重要性とか考えれば考えるほど分からなくなる時あります。
自分の悩みはたいした事ないなぁ~って思いました。ありがとうございます。
生かされてることに感謝ですね!!!
急にコメントゴメンナサイ・・・。
不幸です。不運です。
(
ちー
)
2007-06-07 23:13:45
移植しなければ生きられない・・・
こんな不幸なことはありません。
他の病気も同じく、命に関わる病気になり、命と引き換えに治療を選択する立場におかれた人も・・・
不幸で不運なことです。
大げさでも何でもなく、
「この薬を飲んだら、明日から嘘のように健康になります」というようなこのがあるとして・・・
薬じゃなく治療でも手術でも、移植などのように危険を伴うものではない何かがあったとして・・・
それが1000万だとしたら、私は喜んで借金します。
家一件分くらいまでの値段なら、健康を取り戻せば働いて返せますもん。
そうじゃないから。移植にも危険があるから、犠牲にするものが計り知れなく大きいから、
移植=幸せではありませんよね。
さっきインターネットで、H大学病院で生体肝移植をした女性が手術中の出血多量で亡くなったというニュースを見ました。
これが、現実ですよね。
この女性、移植があと半年遅ければ寿命も半年長かった・・・。
医師を責めてるんじゃなくて、移植ってそういうことだってこと・・・。
しいていうなら、
移植して元気になって5年くらい経過した頃、
「移植ができて幸せだった」といえるんじゃないでしょうか?
移植医療の現場にいる、コーディネーターさんが言った言葉だからこそ、余計に心に残るものですよね。
幸せって・・・
命の長さじゃないですよね。
どんな人生だったか・・・
じゃないのかな??
移植せずに(できない場合と選択しない場合の両方)、早くして亡くなっても、命の価値は当人と家族にしかわからないものですよね。
いらっしゃいませ
(
かんぞう
)
2007-06-08 22:41:20
ゆいさん、はじめまして。
そしてようこそ来て下さいました。
ずっとずっと何も考えないで生きてきて、ここにきていきなり色んな事考えさせられています。
つらい事ばかりでしたけど、これからの事を考えると自分にとっての良い試練なんだと思います。
ゆいさん、悩みに大差無いですよ。
死に損なった今でさえ、結構小さなことで悩んだりしてるんですよ。
他人にとっては大した事ではないかもしれないとしても、ゆいさんにとっては真剣なことですもんね。
でもホント、生かされていること、感謝です。
ゆいさんのページ、早速拝見させていただきました。
なんかとても元気貰えそうです。
そしてリンクリストに加えさせてもらいました。
今度コメントさせて下さいね。
テンション上げていきますから!
不幸を幸に
(
かんぞう
)
2007-06-08 23:02:58
昨日ラジオのニュースでH大学病院のこと聞いて、心配してたんですよ。ちーさんの気持ち。
それもあってブログのテーマ、あえてこのようなものにしたんです。
今、ちーさんに心配するなって言ったって、心配だろうし、絶対大丈夫ですよなんて何の励ましにもならないだろうし。
なんたってちーさんが一番しっかりと現実を直視している。
だから移植で元気になって本当の幸せを掴んでほしいです。
たくさんの人に支えられるのって、病気のつらさを忘れさせてくれるくらい幸せです。
移植
(
ナナ
)
2007-06-09 19:40:37
ほんと移植しないで済むならそれに越したことはないですよね。
私もどんなに家族や主治医に移植を勧められても「しない」の一点張りでした。
いつかは移植になる事は分かっていたけど、それでも
決断には相当の時間がかかりましたよ。。
「移植できる=幸せ」とは私も思いませんが、
たぶん移植してなければ私も今頃ブログが出来てたかどうか・・・
そう思うといろいろ考えちゃいますよね。。。
たごさくクン、可愛いですね♪
動物は結構苦手なんですけど、たごさくクンは何か
愛敬があっていいです(^^)
名前の由来は何かあるんですか???
生きたい
(
かんぞう
)
2007-06-10 00:35:07
やっぱり究極は、誰でも「生きたい」、これに尽きると思います。
そしてそれを止める権利は他の誰にも無いのかと。
ワタシやナナさんや病気に悩むみんなの、おそらく共通の思い、それを全ての人に理解してほしいなどというのは無理かもしれないけれど、せめて少しでも共有してくれたら、過ごし易い世の中になると思うんです。
ナナさん、動物苦手ですか。
うちのたごさく君、ワンともニャンとも言わないんですけど、たごさくをクリックすると言葉をしゃべるンデスよ。
たごさく=田吾作・・・ワタシが田舎町の農家育ちなので、新入社員の頃、付いたアダ名です。
蔑視言葉なんですけど、結構気に入ってました。
今、いることが幸せなんだと思いたいです。
(
matsu-mama
)
2007-06-11 19:13:53
はじめまして。matsu-mamaと申します。。。
さっきキッチンに立っていて(主婦なもので)、自分のこれからのことを漠然と考え、ふと、「切って取ってしまって治るならいいのに…」と思ってしまいました。
もちろん、これは、さまざまな状況の中で病気と闘っている方々がいるのですから、安易に口にしてはならない言葉だとわかってはいます。
わかってはいても、できないからこそ思ってしまうことってありますよね。
かんぞうさんの思い…私の体験では及ばないとは思いますが、わかる気がしました。
私も以前、かんぞうさんと同じ病院で移植を進められました…が、
しない道を選んで、現在に至っています。
大きな手術や治療をしても、それ以外の病気にはならないという保障もなく…と考えると、
どんな選択をするのもむずかしいものですね。
ありきたりの言葉にしかできませんが、体を大切にしながら日々の暮らしをたのしんでいきたいですね。
当事者
(
ピロ
)
2007-06-11 20:00:38
みなさんのコメントを読ませていただきました。私も移植できるから幸せがイコールではないと思います。
やはり移植しても、その後がありますよね・・
もちろん移植しなければ『死』は目前でしょうが、癌の人たちはどうでしょうか。
私の叔母は40代に癌で亡くなりました。私と同じ子供を残して。やはり『生きたい』とずっと言っていたことを思い出します。やはり、自分よりも見守りたいもの、また守りたいものがある人って言うのは自分のためにじゃなく人のためにもっと生きたいと思うんだと思います。
でも少なからず、私たちは今生きて、そして移植前よりも断然精神的に強くやさしくなっているんです。
だから、今生きていることに感謝してそれで幸せだなって私は感じています。
移植して2~3年はそんなこと思えませんでしたが。
コーディネーターや看護師は当事者じゃないから言えるんじゃないでしょうか。当事者ならそんな簡単にはいえないでしょう。医療関係者が偉いとかすごいとか、医療従事者だから気持ちがわかるかといったらそうではないように今だから感じることができます。
医療なら食っていけるから。そういうふうに考えている人はたっくさんいますよ。医療系予備校にいってそれは身にしみたのと同時にかなりショックなことでした。
なんだか、感想になっちゃいまして申し訳ありません。
しない道
(
かんぞう
)
2007-06-11 22:37:57
matsu-mamaさん、初めまして。
さっそくブログ拝見させて頂きました。
matsu-mamaさんは移植をしない道を選んだんですね。
ワタシの入院中も、やはり移植を選択しない方が何人かいました。
もちろん、したくてもできない人もいました。
「移植」って本当に難しいことだと思います。
言いだしたら切がないですし、人によって考え方が全然違いますもんね。
matsu-mamaさんの言うように、
「今いること」、「今生きていること」、「これからも生きようとすること」
これが究極の幸せであり、そして
「たくさんの人に生かされていること」
このことを感じられることがもっと幸せなんだと思うんです。
matsu-mamaさんもH大病院なんですね。
しかも酪農学園大学の近所なんですね。
思いっきり親近感を覚えます。
ちなみにワタシは4月27日生まれです。
これからも宜しくお願いします。
今生きていること
(
かんぞう
)
2007-06-11 23:08:55
今生きていること、ピロさんと同じです。大事にしたいです。
ワタシの義兄も10年程前、小さな2人の男の子を残して亡くなりました。
ワタシの子とほぼ同年齢、言葉も何もありませんでした。
その後は、両方の家族を巻き込む形で、いろんな事で本当に大変でした。
そんな事があったものだから、ワタシは生への執着心、大きい方だと思いますし、だから去年、生き長らえられたんだと思っているんです。
自分の病気にも、あの時の思いにも、「今生きていること」の幸せをつくずく感じさせられています。
治す側と治してもらう側の温度差はしばしば感じます。
きっと看護士さんにしても感情移入は極力避けるようにしているんだと思うんです。あくまでも事務的に。
そうしないと冷静に対処できないのかと思うようにしています。
でも少しでも当事者の立場になって、少しでも感じてくれたら、そう願えればお互い幸せですよね。
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言葉の一つで捕らえ方変わってきますね。凄く感じます。なってみなくては分からない立場・・・・。
人間に生まれた重要性とか考えれば考えるほど分からなくなる時あります。
自分の悩みはたいした事ないなぁ~って思いました。ありがとうございます。
生かされてることに感謝ですね!!!
急にコメントゴメンナサイ・・・。
こんな不幸なことはありません。
他の病気も同じく、命に関わる病気になり、命と引き換えに治療を選択する立場におかれた人も・・・
不幸で不運なことです。
大げさでも何でもなく、
「この薬を飲んだら、明日から嘘のように健康になります」というようなこのがあるとして・・・
薬じゃなく治療でも手術でも、移植などのように危険を伴うものではない何かがあったとして・・・
それが1000万だとしたら、私は喜んで借金します。
家一件分くらいまでの値段なら、健康を取り戻せば働いて返せますもん。
そうじゃないから。移植にも危険があるから、犠牲にするものが計り知れなく大きいから、
移植=幸せではありませんよね。
さっきインターネットで、H大学病院で生体肝移植をした女性が手術中の出血多量で亡くなったというニュースを見ました。
これが、現実ですよね。
この女性、移植があと半年遅ければ寿命も半年長かった・・・。
医師を責めてるんじゃなくて、移植ってそういうことだってこと・・・。
しいていうなら、
移植して元気になって5年くらい経過した頃、
「移植ができて幸せだった」といえるんじゃないでしょうか?
移植医療の現場にいる、コーディネーターさんが言った言葉だからこそ、余計に心に残るものですよね。
幸せって・・・
命の長さじゃないですよね。
どんな人生だったか・・・
じゃないのかな??
移植せずに(できない場合と選択しない場合の両方)、早くして亡くなっても、命の価値は当人と家族にしかわからないものですよね。
そしてようこそ来て下さいました。
ずっとずっと何も考えないで生きてきて、ここにきていきなり色んな事考えさせられています。
つらい事ばかりでしたけど、これからの事を考えると自分にとっての良い試練なんだと思います。
ゆいさん、悩みに大差無いですよ。
死に損なった今でさえ、結構小さなことで悩んだりしてるんですよ。
他人にとっては大した事ではないかもしれないとしても、ゆいさんにとっては真剣なことですもんね。
でもホント、生かされていること、感謝です。
ゆいさんのページ、早速拝見させていただきました。
なんかとても元気貰えそうです。
そしてリンクリストに加えさせてもらいました。
今度コメントさせて下さいね。
テンション上げていきますから!
それもあってブログのテーマ、あえてこのようなものにしたんです。
今、ちーさんに心配するなって言ったって、心配だろうし、絶対大丈夫ですよなんて何の励ましにもならないだろうし。
なんたってちーさんが一番しっかりと現実を直視している。
だから移植で元気になって本当の幸せを掴んでほしいです。
たくさんの人に支えられるのって、病気のつらさを忘れさせてくれるくらい幸せです。
私もどんなに家族や主治医に移植を勧められても「しない」の一点張りでした。
いつかは移植になる事は分かっていたけど、それでも
決断には相当の時間がかかりましたよ。。
「移植できる=幸せ」とは私も思いませんが、
たぶん移植してなければ私も今頃ブログが出来てたかどうか・・・
そう思うといろいろ考えちゃいますよね。。。
たごさくクン、可愛いですね♪
動物は結構苦手なんですけど、たごさくクンは何か
愛敬があっていいです(^^)
名前の由来は何かあるんですか???
そしてそれを止める権利は他の誰にも無いのかと。
ワタシやナナさんや病気に悩むみんなの、おそらく共通の思い、それを全ての人に理解してほしいなどというのは無理かもしれないけれど、せめて少しでも共有してくれたら、過ごし易い世の中になると思うんです。
ナナさん、動物苦手ですか。
うちのたごさく君、ワンともニャンとも言わないんですけど、たごさくをクリックすると言葉をしゃべるンデスよ。
たごさく=田吾作・・・ワタシが田舎町の農家育ちなので、新入社員の頃、付いたアダ名です。
蔑視言葉なんですけど、結構気に入ってました。
さっきキッチンに立っていて(主婦なもので)、自分のこれからのことを漠然と考え、ふと、「切って取ってしまって治るならいいのに…」と思ってしまいました。
もちろん、これは、さまざまな状況の中で病気と闘っている方々がいるのですから、安易に口にしてはならない言葉だとわかってはいます。
わかってはいても、できないからこそ思ってしまうことってありますよね。
かんぞうさんの思い…私の体験では及ばないとは思いますが、わかる気がしました。
私も以前、かんぞうさんと同じ病院で移植を進められました…が、
しない道を選んで、現在に至っています。
大きな手術や治療をしても、それ以外の病気にはならないという保障もなく…と考えると、
どんな選択をするのもむずかしいものですね。
ありきたりの言葉にしかできませんが、体を大切にしながら日々の暮らしをたのしんでいきたいですね。
やはり移植しても、その後がありますよね・・
もちろん移植しなければ『死』は目前でしょうが、癌の人たちはどうでしょうか。
私の叔母は40代に癌で亡くなりました。私と同じ子供を残して。やはり『生きたい』とずっと言っていたことを思い出します。やはり、自分よりも見守りたいもの、また守りたいものがある人って言うのは自分のためにじゃなく人のためにもっと生きたいと思うんだと思います。
でも少なからず、私たちは今生きて、そして移植前よりも断然精神的に強くやさしくなっているんです。
だから、今生きていることに感謝してそれで幸せだなって私は感じています。
移植して2~3年はそんなこと思えませんでしたが。
コーディネーターや看護師は当事者じゃないから言えるんじゃないでしょうか。当事者ならそんな簡単にはいえないでしょう。医療関係者が偉いとかすごいとか、医療従事者だから気持ちがわかるかといったらそうではないように今だから感じることができます。
医療なら食っていけるから。そういうふうに考えている人はたっくさんいますよ。医療系予備校にいってそれは身にしみたのと同時にかなりショックなことでした。
なんだか、感想になっちゃいまして申し訳ありません。
さっそくブログ拝見させて頂きました。
matsu-mamaさんは移植をしない道を選んだんですね。
ワタシの入院中も、やはり移植を選択しない方が何人かいました。
もちろん、したくてもできない人もいました。
「移植」って本当に難しいことだと思います。
言いだしたら切がないですし、人によって考え方が全然違いますもんね。
matsu-mamaさんの言うように、
「今いること」、「今生きていること」、「これからも生きようとすること」
これが究極の幸せであり、そして
「たくさんの人に生かされていること」
このことを感じられることがもっと幸せなんだと思うんです。
matsu-mamaさんもH大病院なんですね。
しかも酪農学園大学の近所なんですね。
思いっきり親近感を覚えます。
ちなみにワタシは4月27日生まれです。
これからも宜しくお願いします。
ワタシの義兄も10年程前、小さな2人の男の子を残して亡くなりました。
ワタシの子とほぼ同年齢、言葉も何もありませんでした。
その後は、両方の家族を巻き込む形で、いろんな事で本当に大変でした。
そんな事があったものだから、ワタシは生への執着心、大きい方だと思いますし、だから去年、生き長らえられたんだと思っているんです。
自分の病気にも、あの時の思いにも、「今生きていること」の幸せをつくずく感じさせられています。
治す側と治してもらう側の温度差はしばしば感じます。
きっと看護士さんにしても感情移入は極力避けるようにしているんだと思うんです。あくまでも事務的に。
そうしないと冷静に対処できないのかと思うようにしています。
でも少しでも当事者の立場になって、少しでも感じてくれたら、そう願えればお互い幸せですよね。