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Unknown (いかんぞー)
2011-07-21 00:00:19
い肝臓改め、いかんぞーです。

誰しも同じことで、揺れ動くものですね。
究極を言えば、生きている意味を考えることのようですね。

私の場合は、肝臓さんと違い、慢性肝炎からの進行なので、覚悟は出来ているつもりでした。
でも、腹水貯留が甚だしくなったり、肝性脳症になったりと切羽詰まってしまうと、移植に頼らざるを得なくなってしまいました。

先日、大阪大学医学部附属病院主催の市民公開講座「移植ってなぁに?」(趣旨は脳死移植への啓蒙)に、ドナーの妹と出かけてきました。
プログラム中に、何人かかの移植者へのインタヴューがあり、その中の一人の方が移植を決意する中で、ドクターから「太く短く生きるか、細く長く生きるか」の選択だと問われたエピソードがありました。QOLの問題ですね。

やっぱりみんな同じことで悩むんだと思いました。
命を取り戻した今も、やっぱり悩んでいます。
今度、また延命処置が必要になったら、どう決断するのか、第三者的にらみると、興味津々です。
まあ、月並みなことですが、生きてることがまる儲け、じゃないでしょうか。

ちょっとピンボケのコメントになってしまいましたが、お許し下さい。

お互い、死ぬまで生きることを楽しめますように。
 
 
 
Unknown (かんぞう)
2011-07-21 11:40:59
いかんぞーさん、こんにちは。

やっぱり、生きていることが丸儲け、なんですよね。
限りなく「死」に近づいてしまうと、そうならざるをえないというか、自然とそうなってしまいます。

移植って難しいですよね。特に生体移植の場合は自分だけでない葛藤がどうしても生じてしまい、肉体的な苦しみよりも、むしろ、心の葛藤の方が大きかったりします。
時には家族を巻き込み、人間関係の歪みも起きたり、だからこそ脳死移植を広めていかなければならないんでしょうけど。

でも現実はまだ・・・

我が家も、というか家族ひっくるめて、それまでの関係性が微妙に変わってきました。
具体的にどう、というのでは有りませんが、今は自分以外の親姉妹に与えた、そして今後も与えていく微妙な心理が気掛かりです。


誰もがきっと「太く長く」生きていきたいんでしょうね。(笑)

健康によらず、そうできる人ってそんなには多くないんでしょうけど。
それに、移植に至る年齢にも大きく左右されますよね。
わたしの場合、移植したのが44歳で、仕事の面では最も働かなければならない時でしたから、色んな意味で辛くて悩ましい決断でした。

といっても、劇症ですからあれこれ考えてる暇も無かったんですけどね。


いかんぞーさんも、やっぱり悩みますよね。

また延命処置が必要になったら・・・興味深いですね、確かに。
その時、沈着冷静に、悔いの無い選択ができるか、これからの生き方にもかかってくるんでしょうね。

お互い、最期まで悔いなく生きていきましょうね。
 
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