コメント
Unknown
(
ちー
)
2011-06-03 16:13:10
医師が足りないとか、患者が多いとか、いろんな事情があってのことなので、仕方がないとは思いますが。
病院あっての患者。この図式が抜けないものなんだな~と感じます。
患者様なんていうけれど、患者あっての病院という体制になるまでにはまだまだなんでしょうね。
どう考えても、採血と診察だけのためにK病院に行くことが患者のためとは思えなくて・・・
長い将来を考えると、患者のためにもなるのでしょうが、今の段階ではただただ面倒なだけ?
せめて、K病院の先生が、移植患者を診れるようになってからのほうが、リスクも少ないんですけどね。
Unknown
(
かんぞう
)
2011-06-03 20:49:27
ちーさん、こんばんは。
そうです、こちらのメリットは何もありません。
しょうがないといえばしょうがないんですけど、その、行ったり来たりで、どこかで何か大きな問題が発生しなければいいけど、と心配になってしまいます。
昨日、S村先生、珍しく弱音というか愚痴というか、
「今朝急に脳死があって、色々とあってね。皆さん大分待たせてしまって・・・F先生もT先生もいなくなっちゃって大変なんだよね。」って。
なんかやっぱり大変そうですよ。
なんだかんだ言ってわたし達は今後ずっとH大の数少ない先生に頼るしかないわけで、その頼り先が今後どうなっていくのか、先行きが少なからず不安になるんですけど。
気にしてもしょうがないんですかね、どう思いますか、ちーさん。
ちなみに、非常に忙しそうだし、慌ただしかったので、聞きたいこと一杯あったのに、聞けずに帰ってきてしまいました。
Unknown
(
ちー
)
2011-06-04 00:51:09
まだまだ夜明け前といいますか、いろんな意味での実験段階を超えていないように感じます。
前から気になっていたのが、先生たちの講演では「海外レベル」がどうのという話しがよく出ていて、それってどうなのかなと。
法改正も含めて、移植を取り囲む環境が急ぎ足すぎているような気がします。
なんて・・・脳死移植で助かった私が言える立場ではないんだけど。
手術件数が増えて、臨床データも増えて、きっとその恩恵は受けているでしょうけれど、あの忙しい先生たちを見ていると、いつか何かやらかすはず・・・
特に、移植後年数が経っている人たちは、後回しになり、もっといえば移植後1年や2年でも・・・
移植を決断するという段階から、多くの問題をクリアしていかなければいけない医療なので、もっとゆっくり・・・と誰もが思っていることでしょうね。
移植医療の夜明け前と認識するならば、私たち患者で変えていけることもあるんですよね。本当は。
Unknown
(
かんぞう
)
2011-06-04 14:01:54
ちーさん、こんにちは。
なんだかここに来て一気に進んで、いったい今までの10年間は何だったのか、と思えるぐらいです。
そこに色んな歪みが出てきてもしょうがないんでしょうね。
それもこれも日本の悪政に振り回されているような気がします。
肝炎訴訟の問題もそうですし、薬事法も。
「現場重視」で、最前線の先生方の意見・行動をもっともっと重要視してほしいと思います。
きっとたくさんの意見が出されているはずなんです。
ちーさんの言うように、移植医療の創世記であるとすれば、患者側の果たせる役割は結構大きいのかもしれませんね。
でも、きっと、そこには医師側の、患者に対する壁みたいなものもあるのも感じます。
だからといって、結局、執刀する先生は、よほどの事がない限り、自分の肝臓を取り替えられることは無いわけで、それは数少ない患者しか経験する事がないのですから、その部分は絶対に移植患者しかわからないことだと思うんです。
その辺の意識のすり合わせが、とっても難しいことだと思うんです。
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病院あっての患者。この図式が抜けないものなんだな~と感じます。
患者様なんていうけれど、患者あっての病院という体制になるまでにはまだまだなんでしょうね。
どう考えても、採血と診察だけのためにK病院に行くことが患者のためとは思えなくて・・・
長い将来を考えると、患者のためにもなるのでしょうが、今の段階ではただただ面倒なだけ?
せめて、K病院の先生が、移植患者を診れるようになってからのほうが、リスクも少ないんですけどね。
そうです、こちらのメリットは何もありません。
しょうがないといえばしょうがないんですけど、その、行ったり来たりで、どこかで何か大きな問題が発生しなければいいけど、と心配になってしまいます。
昨日、S村先生、珍しく弱音というか愚痴というか、
「今朝急に脳死があって、色々とあってね。皆さん大分待たせてしまって・・・F先生もT先生もいなくなっちゃって大変なんだよね。」って。
なんかやっぱり大変そうですよ。
なんだかんだ言ってわたし達は今後ずっとH大の数少ない先生に頼るしかないわけで、その頼り先が今後どうなっていくのか、先行きが少なからず不安になるんですけど。
気にしてもしょうがないんですかね、どう思いますか、ちーさん。
ちなみに、非常に忙しそうだし、慌ただしかったので、聞きたいこと一杯あったのに、聞けずに帰ってきてしまいました。
前から気になっていたのが、先生たちの講演では「海外レベル」がどうのという話しがよく出ていて、それってどうなのかなと。
法改正も含めて、移植を取り囲む環境が急ぎ足すぎているような気がします。
なんて・・・脳死移植で助かった私が言える立場ではないんだけど。
手術件数が増えて、臨床データも増えて、きっとその恩恵は受けているでしょうけれど、あの忙しい先生たちを見ていると、いつか何かやらかすはず・・・
特に、移植後年数が経っている人たちは、後回しになり、もっといえば移植後1年や2年でも・・・
移植を決断するという段階から、多くの問題をクリアしていかなければいけない医療なので、もっとゆっくり・・・と誰もが思っていることでしょうね。
移植医療の夜明け前と認識するならば、私たち患者で変えていけることもあるんですよね。本当は。
なんだかここに来て一気に進んで、いったい今までの10年間は何だったのか、と思えるぐらいです。
そこに色んな歪みが出てきてもしょうがないんでしょうね。
それもこれも日本の悪政に振り回されているような気がします。
肝炎訴訟の問題もそうですし、薬事法も。
「現場重視」で、最前線の先生方の意見・行動をもっともっと重要視してほしいと思います。
きっとたくさんの意見が出されているはずなんです。
ちーさんの言うように、移植医療の創世記であるとすれば、患者側の果たせる役割は結構大きいのかもしれませんね。
でも、きっと、そこには医師側の、患者に対する壁みたいなものもあるのも感じます。
だからといって、結局、執刀する先生は、よほどの事がない限り、自分の肝臓を取り替えられることは無いわけで、それは数少ない患者しか経験する事がないのですから、その部分は絶対に移植患者しかわからないことだと思うんです。
その辺の意識のすり合わせが、とっても難しいことだと思うんです。