コメント
肝炎の時の食事
(
ひさ
)
2009-07-06 20:21:41
かんぞうさん、こんばんは。
学生時代、肝炎の急逝発症時の症状が、食事後の吐き気・食欲不振でした。
何を食べても、おいしくないし、食べると胃がすぐいっぱいになってしまい、吐き気がでてきて指で吐いてしまうの繰り返しでした。
あとはとてつもないだるさが出ていました。
朝まったくといていいほど起きれない。
起きても、すぐに二度寝して午後になり。夕方におきだしても、まだ夜寝れるので食事を取らない・・・
入院して、補液を行なって肝機能が改善してきた頃からやっと食べれるようになって来ました。
でも、常時吐き気があったのではなく、胃に食事をp入れたときだけですので、かんぞうさんの吐き気は、腎不全の症状かもしれませんね?
かんぞうさんは、鎖骨の下のところから鎖骨下静脈という太い静脈にカテーテルをさして、濃い栄養分を入れることができる中心静脈栄養を行なったのだと思います。
このカテーテルはからだの外から見えない鎖骨下静脈を、マニュアルにそって細い注射針で探りながら挿入するので、体格や台の高さなどで入らないときにはまったく入りません。
私も医師1年目のとき、運がよかったのかほとんど100%知れることがでできていましたが、病院を移って環境が変わってしまったら、5回連続で入れることができず、他の先生に変わってもらったことがあります。
今は、内頸静脈から入れることが多いので、比較的容易に入れることができますが、その当時には新人医師の関門となる手技でした。
痛みもあるので、1時間以上されているとぐったりするかもしれませんね。
腕の静脈からでは、濃い点滴をすると静脈炎となりすぐに使用できなくなってしまい静脈をつぶしてしまうので、太い静脈にカテーテルを通して心臓の近くに栄養剤を投与します。
糖分・アミノ酸をはじめ、脂肪分まで投与可能ですので、科学的には必要とするすべての栄養素を投与できますが、口から食べるのとはかなり差があります。
口から食べたほうが、栄養吸収が自然で、体重を増やしたりするためには欠かせないことだと思います。
外科の先生が、少しでも食べた方が良いといわれたのは、移植を考えていたこともあるとは思いますが、いざ食べ始まるときに使用していない消化管はなかなか動き出さないので、少しでも動かしておきたいと思ったのもあるかもしれません。
食事が食べられることが、いかに幸せなことかは、体験された方にしか実感できないことだと思います。
是非、移植後の食事のテーマ充実させてください。協力できることがあれば、参加させていただきます。
食べられるって素晴らしい
(
かんぞう
)
2009-07-06 21:18:57
ひささん、こんばんは。
全くその通りで、鎖骨下の太い静脈に通すと言ってました。
当時は、なんでこんな場所に、と思いつつ、事の重大さを知ったきっかけにもなりました。
そうんです、なかなか入らないんです。
なかなか、というより全然。
激痛の始まりだったのかもしれません。
何度挿し替えられたかわかりませんもの。
ベテランの先生なんですよ(歳から見て)。
後に良く言われたのが、発病当初の処置(透析、血漿交換を含めて)が間違っていたら、移植まで至らなかったのでは、ということです。紙一重です。
吐き気は、今考えると食事に関係なく起こっていたような気がします。
あの頃は腎機能も低下していたんでしょうか。
吐き袋と洗面器は必需品でした。
本当に、普通に食事が出来る事は幸せですね。
入院中も一時退院時も、良くも悪くも食事に関しては大きなウエートを占めていました。
食べられなかった期間、食べ始めの期間、物凄く生活が変わりました。(今もですけど)
後からよく聞かれるのも食事のことが多いです。
病気と食事、闘病の過程での食事、これは自分が一番知りたかったことでもあります。
なんとか、波乱万丈、波風の激しかった闘病中の食事を、覚えている限り書いていこうと思います。
ひささんの知識があれば百人力です。
宜しくお願いします。
Unknown
(
ちー
)
2009-07-07 00:03:20
それは、IVHというものですか?
1番はじめの胆管炎のとき、私も入れました。
顔を隠されて、叫んでるうちに終わったけど。。。
(だって先生が馬乗りになって怖かったんだもん)
食事。
これは大事ですよね。
私は1度にたくさんは食べれなくて、何回かに分けて、少しずつ食べてました。
今でも家族で笑うのが、移植の3か月前から、移植直前までの、私のごはんです。
食欲はすごくあるんだけど、病院の食事が受け付けないのです。(これは病気発覚当初から)
なので、H大では買い食い専門。
売店のものを食べつくしました。
そんななか、母が週に2回くらい病院に来て、
デパートであれこれ買ってきては、宴会です。
ちょうど夜の回診に当たって、先生たちは笑ってました。
変化が起きたのが、移植3か月前から。
食欲はあるのに、普通のものが食べられなくなったんです。
味の濃いものや、塩の強いものがダメでした。
でも私は食べたい!!!!
で、なんだったら食べれるか?考えたんですよ。
イメージしてみたんです。
おかゆと味のついてない納豆。
これが主食でした。
おいしくておいしくて。
ガリガリ君。スイカ。炭酸の抜けた炭酸ジュース。
この3つは、今まで好きじゃなかったものです。
冬だったので、スイカはデパートでしか買えなくて、
母とぬっくんは大変だったんです。
ガリガリ君は売店になかったので、セイコーマートにぬっくんが走ります。1日3回とか。
そして、食べるけど、食べたぶんだけ吐きました。
朝起きたら、無意識のうちに夜中に食べたらしい、おにぎりまみれになってたことも何度も。
利尿剤でおしっこが5リットル以上出てたので、水分もそのくらい飲んでました。
これが・・・
移植3カ月前の、ビリルビン70超えの私の命を支えた食事です。
ふらふらで、まともに歩くのもやっとなのに、
無理に外泊して、自宅で料理もしましたよ。
おしっこの管を入れたまま、袋を台所にぶらさげて。
デパートやスーパーに買いだしにも行きました。
この、私の食べることの執念には、自分でも驚きました。
長い入院生活で、いちばん使ったのは食費です。
おかげで今では売店で欲しいと思うものがないくらい・・・
ぬっくんは走る
(
かんぞう
)
2009-07-07 11:03:52
ちーさんは「りら」の主ですね。
そして食欲が旺盛なのがちーさんらしいです。
病院食がマズいのはしょうがいないのでしょうが、2006年の春から業者が代わって、一層マズくなったと、もっぱらの噂でした。
ところがいつだったか、回診の時、確かS村先生が、「H大病院の食事って美味しい方なんだよね。」って話しててギョッとすると同時に、他院はどれだけマズいんだろうと、驚いてしまいました。
わたしは劇症ですから発症前は普通の生活をしてましたが、ちーさんはむしろ移植前の食生活から大変だったんですね。
移植後、おかゆばかりの時は、買ってきた梅干を乗せて食べてました。
ガリガリくんといえば、セイコーマート、無くなっちゃいましたよね、薬屋さんの隣の。
いろんな制限が加わると、人の食欲は増大するのでしょうか。
わたしも、自分が食べられない時に、1階の自販機でヤキソバを買い食いしている患者仲間(←移植患者)を見て、一瞬殺意、いや、羨ましさを覚えたものです。
ちーさんの闘病生活を支えた二大要素、それが「怒り」と「食欲」であることが良くわかりました。
IVH、というものなのか、それはきっとひささんが・・・
でもこれを、入院したばかりの、まだ心の準備が出来ていない時に、ガツンとやられたわけですよ。
ハッキリ言って、参りました。。
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学生時代、肝炎の急逝発症時の症状が、食事後の吐き気・食欲不振でした。
何を食べても、おいしくないし、食べると胃がすぐいっぱいになってしまい、吐き気がでてきて指で吐いてしまうの繰り返しでした。
あとはとてつもないだるさが出ていました。
朝まったくといていいほど起きれない。
起きても、すぐに二度寝して午後になり。夕方におきだしても、まだ夜寝れるので食事を取らない・・・
入院して、補液を行なって肝機能が改善してきた頃からやっと食べれるようになって来ました。
でも、常時吐き気があったのではなく、胃に食事をp入れたときだけですので、かんぞうさんの吐き気は、腎不全の症状かもしれませんね?
かんぞうさんは、鎖骨の下のところから鎖骨下静脈という太い静脈にカテーテルをさして、濃い栄養分を入れることができる中心静脈栄養を行なったのだと思います。
このカテーテルはからだの外から見えない鎖骨下静脈を、マニュアルにそって細い注射針で探りながら挿入するので、体格や台の高さなどで入らないときにはまったく入りません。
私も医師1年目のとき、運がよかったのかほとんど100%知れることがでできていましたが、病院を移って環境が変わってしまったら、5回連続で入れることができず、他の先生に変わってもらったことがあります。
今は、内頸静脈から入れることが多いので、比較的容易に入れることができますが、その当時には新人医師の関門となる手技でした。
痛みもあるので、1時間以上されているとぐったりするかもしれませんね。
腕の静脈からでは、濃い点滴をすると静脈炎となりすぐに使用できなくなってしまい静脈をつぶしてしまうので、太い静脈にカテーテルを通して心臓の近くに栄養剤を投与します。
糖分・アミノ酸をはじめ、脂肪分まで投与可能ですので、科学的には必要とするすべての栄養素を投与できますが、口から食べるのとはかなり差があります。
口から食べたほうが、栄養吸収が自然で、体重を増やしたりするためには欠かせないことだと思います。
外科の先生が、少しでも食べた方が良いといわれたのは、移植を考えていたこともあるとは思いますが、いざ食べ始まるときに使用していない消化管はなかなか動き出さないので、少しでも動かしておきたいと思ったのもあるかもしれません。
食事が食べられることが、いかに幸せなことかは、体験された方にしか実感できないことだと思います。
是非、移植後の食事のテーマ充実させてください。協力できることがあれば、参加させていただきます。
全くその通りで、鎖骨下の太い静脈に通すと言ってました。
当時は、なんでこんな場所に、と思いつつ、事の重大さを知ったきっかけにもなりました。
そうんです、なかなか入らないんです。
なかなか、というより全然。
激痛の始まりだったのかもしれません。
何度挿し替えられたかわかりませんもの。
ベテランの先生なんですよ(歳から見て)。
後に良く言われたのが、発病当初の処置(透析、血漿交換を含めて)が間違っていたら、移植まで至らなかったのでは、ということです。紙一重です。
吐き気は、今考えると食事に関係なく起こっていたような気がします。
あの頃は腎機能も低下していたんでしょうか。
吐き袋と洗面器は必需品でした。
本当に、普通に食事が出来る事は幸せですね。
入院中も一時退院時も、良くも悪くも食事に関しては大きなウエートを占めていました。
食べられなかった期間、食べ始めの期間、物凄く生活が変わりました。(今もですけど)
後からよく聞かれるのも食事のことが多いです。
病気と食事、闘病の過程での食事、これは自分が一番知りたかったことでもあります。
なんとか、波乱万丈、波風の激しかった闘病中の食事を、覚えている限り書いていこうと思います。
ひささんの知識があれば百人力です。
宜しくお願いします。
1番はじめの胆管炎のとき、私も入れました。
顔を隠されて、叫んでるうちに終わったけど。。。
(だって先生が馬乗りになって怖かったんだもん)
食事。
これは大事ですよね。
私は1度にたくさんは食べれなくて、何回かに分けて、少しずつ食べてました。
今でも家族で笑うのが、移植の3か月前から、移植直前までの、私のごはんです。
食欲はすごくあるんだけど、病院の食事が受け付けないのです。(これは病気発覚当初から)
なので、H大では買い食い専門。
売店のものを食べつくしました。
そんななか、母が週に2回くらい病院に来て、
デパートであれこれ買ってきては、宴会です。
ちょうど夜の回診に当たって、先生たちは笑ってました。
変化が起きたのが、移植3か月前から。
食欲はあるのに、普通のものが食べられなくなったんです。
味の濃いものや、塩の強いものがダメでした。
でも私は食べたい!!!!
で、なんだったら食べれるか?考えたんですよ。
イメージしてみたんです。
おかゆと味のついてない納豆。
これが主食でした。
おいしくておいしくて。
ガリガリ君。スイカ。炭酸の抜けた炭酸ジュース。
この3つは、今まで好きじゃなかったものです。
冬だったので、スイカはデパートでしか買えなくて、
母とぬっくんは大変だったんです。
ガリガリ君は売店になかったので、セイコーマートにぬっくんが走ります。1日3回とか。
そして、食べるけど、食べたぶんだけ吐きました。
朝起きたら、無意識のうちに夜中に食べたらしい、おにぎりまみれになってたことも何度も。
利尿剤でおしっこが5リットル以上出てたので、水分もそのくらい飲んでました。
これが・・・
移植3カ月前の、ビリルビン70超えの私の命を支えた食事です。
ふらふらで、まともに歩くのもやっとなのに、
無理に外泊して、自宅で料理もしましたよ。
おしっこの管を入れたまま、袋を台所にぶらさげて。
デパートやスーパーに買いだしにも行きました。
この、私の食べることの執念には、自分でも驚きました。
長い入院生活で、いちばん使ったのは食費です。
おかげで今では売店で欲しいと思うものがないくらい・・・
そして食欲が旺盛なのがちーさんらしいです。
病院食がマズいのはしょうがいないのでしょうが、2006年の春から業者が代わって、一層マズくなったと、もっぱらの噂でした。
ところがいつだったか、回診の時、確かS村先生が、「H大病院の食事って美味しい方なんだよね。」って話しててギョッとすると同時に、他院はどれだけマズいんだろうと、驚いてしまいました。
わたしは劇症ですから発症前は普通の生活をしてましたが、ちーさんはむしろ移植前の食生活から大変だったんですね。
移植後、おかゆばかりの時は、買ってきた梅干を乗せて食べてました。
ガリガリくんといえば、セイコーマート、無くなっちゃいましたよね、薬屋さんの隣の。
いろんな制限が加わると、人の食欲は増大するのでしょうか。
わたしも、自分が食べられない時に、1階の自販機でヤキソバを買い食いしている患者仲間(←移植患者)を見て、一瞬殺意、いや、羨ましさを覚えたものです。
ちーさんの闘病生活を支えた二大要素、それが「怒り」と「食欲」であることが良くわかりました。
IVH、というものなのか、それはきっとひささんが・・・
でもこれを、入院したばかりの、まだ心の準備が出来ていない時に、ガツンとやられたわけですよ。
ハッキリ言って、参りました。。