「あなたは言われます。『知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか』と。確かに私は、自分の理解できないことを告げてしまいました。自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。」(ヨブ記42:3新改訳)
ヨブが切望していたのは、神に直接お会いして、心中にある疑問のすべてをぶちまけ、質問をぶつけることであった。ところがいざ神の御顔の前に出てみると、それがいかに愚かで無知な願いであるかを知ったのである。▼主は測り知れない摂理のうちにヨブを試練に会わせ、その出来事をご自身の栄光を現す尊い機会とされた。にもかかわらず、彼は承服できないと抗議し、神のなさることは理不尽ではないかと声を上げ続けた。知識もなしに摂理をおおい隠すとは、それを指している。▼私たちも今は鏡にぼんやり映るものを見ているように、なにもかも詳細に悟れるわけではない。しかしやがて愛する主と「顔と顔とを合わせて見る」(Ⅰコリント13:12同)ときがやって来る。その瞬間、ヨブのようにすべて明らかになり、感謝と喜びにあふれるであろう。