「主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」(ダニエル9:19新改訳)
この祈りをささげた時、ダニエルは90歳近かったのではないだろうか。というのは、70年前バビロンに連れて来られたとき、15,6歳の少年だったと思われるからである。▼その時から、エルサレムのために祈らない日はなかったにちがいない。毎日三度はエルサレムに向かってひざまずき、祈っていたと記されている(ダニエル6:10)。詩篇には、「エルサレムよ もしも 私があなたを忘れてしまうなら この右手もその巧みさを忘れるがよい。もしも 私があなたを思い出さず エルサレムを至上の喜びとしないなら 私の舌は上あごについてしまえばよい」(詩篇137:5,6同)と歌われている。▼日に三度祈り続けて70年、ダニエルはエレミヤ書により、回復の時が来たことを知り、ひれ伏して涙の懇願を神にささげた。彼の忍耐と信仰、聖なる執拗(しつよう)さを思う。そして神は彼の祈りを受け入れ、永遠に至る壮大な預言のプログラムを黙示された。「あなたは、神に愛されている人だからだ」との聖言と共に・・・。どこまでも神にすがり、あわれみを求めて祈り続ける人は、今も昔も主に愛される。◆ユダ王国最後の王ゼデキヤの治世中、エレミヤはすでに捕囚となってバビロンにいる同胞に手紙を送り、「バビロンに70年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる」(エレミヤ29:10同)と預言した。そして、「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける」(同12)とのおことばも伝えた。おそらく、この手紙の写しが、70年後にダニエルの手に渡ったのだ(ダニエル9:2同)。人間の歴史を支配、統御される神の御手は驚嘆すべきものである。時と国を越え、一通の手紙まで神の御計画によって管理され、新たな歴史を作るために用いられるとは。この全能者のご支配は私たちひとりひとりにまで及び、神の国出現の時が満ちるまで及ぶのである。