しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 ダニエル4章 <最もへりくだった者>

2018-09-25 | ダニエル

日差し「この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。それは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、生ける者が知るためである。」(ダニエル4:17新改訳)

神はネブカドネツァル王を撃つ前に、夢で警告を与えられた。バビロン帝国はあまりにも強大になり、繁栄を誇ったため、王の心はおごり高ぶったのだが、あわれみ深い神はダニエルを通して刑罰の予告をするとともに、一年間の猶予期間を設けられたのである。▼しかし王は改めず、さばきは下り、ネブカデネザルは獣の心を持ち、完全に狂ってしまった。33節から、彼の哀れで悲惨な生活が想像できる。▼また最初の聖句に、「人間の中の最もへりくだった者」とあるが、これはイエス・キリストを指している。キリストこそ全き人、すなわちもっとも謙遜なお方として世に現れたお方である。だから主は万物の相続者、神の国の支配者として死者の中から最初に復活されたのであった。◆ここに「見張りの者たち」とあるが、地上の人間は神によって見張られている存在である。それは罪を犯させないためなのであろう。「人間の息は主のともしび。腹の底まで探り出す」(箴言20:27)とあるが、神はいつも人の心の底にある動機を見つめておられることを知りたい。また、あの大洪水前の時代、神は人の心をご覧になって心を痛められた、とある。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。」(創世記6:5同)◆今日、地上に生きている75億人の心は、その動機に至るまで神の前で完全に明らかにされ、調べられていることは確かであろう。なんという厳粛な事実か。だから、おそれおののいて御前にひれ伏し、悔い改めの心をもって歩むべきである。


朝の露 ダニエル3章 <金の像>

2018-09-24 | ダニエル

森の道「それで、すべての民が角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民族、諸国民、諸言語の者たちは、ひれ伏して、ネブカドネツァル王が建てた金の像を拝んだ。」(ダニエル3:7新改訳)

ネブカデネザル王は、神から巨像の幻を見せられ、ダニエルの解き明かしを聞いても生き方を変えなかった。そして巨大な金の像を造営、全国合同奉献式を行おうとした。▼これは預言的に見た場合、艱難時代における反キリストの礼拝を指すといえよう。すなわち、「にせ預言者」は反キリストの像を造り、「獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた」(黙示録13:14同)と記されている。▼ネブカドネツァルはバビロン帝国最大の王として、来るべき終末世界の一時的支配者、反キリストのひな型である。王は帝国を偶像礼拝で統一しようとし、神に撃たれて狂人となったが、そのこと自体、天の神が人類に送られたメッセージであることに、今の世界は気がつかなければならない。ともあれ、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように信仰に生命をかけなければならない時代はすでに始まっている、と知りたい。◆ネブカドネツァルには、傲慢で邪悪性に満ちた罪の姿がよく表れている。「しかし、もし拝まないなら、おまえたちは、即刻、火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか」(ダニエル3:15同)とは、なんという傲慢な言葉であろう。真の神を神として認めず、偶像の一つぐらいにしか考えていない、その態度をもって人をおどかし、服従させようとする、悪魔の本質である。王がその態度を撃たれ、狂者になったのはむしろ、神のあわれみであったといえる(4章)。


朝の露 ダニエル2章 <巨大な像>

2018-09-20 | ダニエル

C.コスモス「王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。」(ダニエル2:31新改訳)

そもそも人間が作る国家とはなんだろうか。人の心には権力と支配への欲望があり、つきつめれば、エデンの園で注入された悪魔の本質から出ている。だから国々の興亡とは、彼の奴隷となった人間を通して現れた罪の具現化にほかならない。ネブカドネツァル王が見た像が巨大で異様な輝きを持ち、恐ろしい姿をしていたのはそのためである。▼数千年におよぶ世界の歴史、民族の興亡、栄枯盛衰を学ぶとき、私たちがそこに何の希望も見いだせないのは、人類の営みが戦争と殺戮、暴力と争いに満ちているからにほかならない。ネブカドネツァルが示されたのは、神を信じない異邦人国家の総体が、悪魔の化身にしかすぎないという神のメッセージだったのである。そしてダニエルは王に解き明かしを告げる。唯一の希望は、イエス・キリストが再臨し、完全な平和をもって支配される神の国にこそあると・・・。像を打ち砕いた石とはまさにそれであった。◆この夢を見た時、ネブカドネツァルは「怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた」(12)とある。王が完全に平常心をなくし、それどころかパニック状態に陥っていたことが想像される。当然であろう。キリストの救いにあずからないまま、この世界の滅亡と、神の国出現の告知を受けるのは、恐怖と戦慄以外のなにものでもないのだから。◆新約聖書だけで300回以上、再臨の記事があるという。もし教会がこれを信じることなく読み過ごし、ほかのことに大部分の関心を傾け、終りを迎えるなら、あの油の備えを怠ったはなよめのように、永遠の後悔に至ることになる。講壇から毎週説教する立ち場にある牧師の責任は重大である。また、聖書を棚に置いておくだけのキリスト者も、実を刈り取ることになろう。


朝の露 ダニエル1章 <捕虜奴隷>

2018-09-19 | ダニエル

lantana「その少年たちは、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい者であり、また、カルデヤ人の文学とことばとを教えるにふさわしい者であった。」(ダニエル1:4新改訳)

ダニエルたちはバビロンへ連行され、宮廷で仕えるための教育を受けることになった。つまり、エリートとして選ばれたのである。しかし 聞こえはいいが、所詮(しょせん)捕虜奴隷であった。▼奈良時代、留学生として唐に渡った阿倍仲麻呂は優れた資質を玄宗皇帝に愛され、帰国を認められず、宮廷で七二歳の生涯を終えた。わが国の誇る人物とされるが、実情は属国の一倭人に過ぎなかったのではないか。▼この世は人の才能や能力を発掘すると、国家や世界のため利用する。やがて神の審判を受け、滅んでいく罪の文明、バビロン建設のためにとことんまで使い切る。わずかな報酬やうわべの名誉をあてがい、神のために備えられた賜物を浪費させ、一生を徒労に終わらせるのだ。ダニエルたちは見抜いていた。異教との闘いに生命を賭けることが、まことの神より与えられた使命だと。◆ところでダニエルたちは、なぜ王が食べるごちそうとぶどう酒を、「身を汚すもの」として拒んだのであろう(8)。思うに偶像にささげられた食べ物だったのではないか。それで断固拒否したと思われる。異教の宮廷で、生命を賭した戦いは早くもはじまったことがわかる。「しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。」(マタイ10:33同)◆ダニエルたちの直面した問題は、遠い過去のこととして片付けられない。現代の私たちにも明日起きるかもしれないのである。心から信仰の備えをしておきたい。